風呂に入れたので聞いてほしい
2日ぶりにシャワーを浴びた。
この一文を読んで社会の大多数の方はドン引きのことと思われるが、「すごい!がんばってる!」「2日…まだ全然大丈夫じゃん」と思われた方はぜひこのnoteの続きを読んでいただけると幸いです。
2日ぶり、というのは、火曜と水曜の夜にシャワーを浴びなかったということである。
火曜はすこし遠出をしていて(このご時世不謹慎なことだと思うが、キャンセルできなかった)、とても疲れていたので帰宅してすぐに寝てしまった。
まだ汗をかくような季節ではないが、外出をするとやはり体に不快感は残る。
しかし火曜の疲労をひきずった水曜も、浴槽につかることはおろか、お湯を浴びたりドライシャンプーをすることすらできなかった。
そして迎えた今日。
からだが気持ちわるい。今すぐにでもこの不快感を洗い流したい。
しかし動かない身体。働かない頭。
なんだこの文章。出来の悪いラップか。
そんなわけで、「自力での清拭が難しいなら!」と、以前記事にしたように、「外注」すべく美容室/床屋探しにスマホのインターネットブラウザを開くに至った。
しかし、やはり「お金がかかる」「家から出なければならない」という2点が行動力に与える影響は大きく、社会的・個人的理由から、今回は二の足を踏んでしまった。
美容師/理容師さんのシャンプーはとても気持ちよいので、仮に自力で清拭ができるような状況でも行きたいくらいなのだけれども。
さて、いつものように前置きが長くなってしまったが、ここからが本題である。
今回の記事では、今日自分がシャワーを浴びることに成功するに至った方法と、最近思いもかけずそれに成功した例について紹介したいと思う。
なお、ここでいう「シャワーを浴びる」というのは、最低限「髪を洗う」「身体をボディソープで洗う」「その後身体と髪を乾かす」ということを指し、ただ身体にお湯をかけることを指すわけではないということを初めにことわっておきたい。
1.雄叫びを上げながら服を脱ぐ
大マジメで書いてます。
これは今日の話。
昨日、一昨日と過ごし、身体の不快感が日に日に意識化される中「髪を洗わなきゃ…体も拭わなきゃ…」という強迫観念のようなものに縛られている脳と、どうしても動けない体との間で煩悶していた。
ルームメイトが「湯船にお湯をはっておこうか」と入浴のトリガーをつくろうとしてくれるも、それに返事すらできなかった。
しかし、どうしても風呂には入りたい。
この身体の不快感を取り除き、清潔感と自己肯定感を取り戻したい。
そこでまず、JUDY AND MARYの「BATHROOM」を一曲リピートしてみることにした。狂気、初手。
なぜこんなことをしようとしたのかはよくわからないが、とにかく「風呂」という概念から意識を逸らさないようにしたかったのかもしれない。
なお、「BATHROOM」の歌詞の内容には、「風呂に入りたい」という意識は全く示唆されていない。なんなら既に自分ひとりでどっぷり湯船に浸かれている(比喩ではあるが)ので羨ましい限りである。
そして「BATHROOM」が耳に馴染んできたころ、何も考えずに雄叫びを上げながら服を脱ぎ、部屋をうろついた。狂気、総大将。
「風呂に入らなきゃ/入りたい」という意識も、入浴前/後の準備もなにもかもを捨て、ただただ服を脱ぎ、歩く。
そこにはもはや「面倒」「だるい」「つらい」といった気の重さはなく、ただただ「この全裸の状況から早く脱したい」という意識しかなかった。
そして何も考えず、風呂場に向かった。
そのあとしたことといえば、全く"いつも通り"で、髪を洗い、身体を洗い、タオルで身を拭い、髪を乾かすといった"ふつう"の清拭である。
方法は少々奇抜かもしれないが、結果としては"ふつう"に身体がキレイになった。
これが今日「シャワーを浴びることに成功した方法」である。
2.ドライシャンプーをするテイで服を脱ぐ
いまいちタイトルだけではピンとこないだろうが、前述の方法より狂気の度合は下がったと思われる。
ドライシャンプーについては、以前の記事で紹介したこちらを引き続き使用している。
使用の手順は以下の通りである。
①頭皮と髪全体にスプレーする
②指の腹で軽くマッサージする
③タオルまたは蒸しタオルでふきとる
パウダータイプのドライシャンプーならおそらく粉っぽさが残るのだろうと思うが、このスプレータイプのドライシャンプーは、スプレーした後になにかが頭皮に残っている感覚がない。(もちろん個人差はあるだろうし、自分の使い方が間違っているのかもしれない)
そのため、このドライシャンプーを使用したのち乾いたタオルでふきとっていても、頭皮の汚れがタオルに固着しているという感覚が得られず、できるだけ蒸しタオルでふきとるようにしている。
そんなある日、「身体を洗う気力はないけど髪だけでもさっぱりしたい」「蒸しタオルをつくる元気はない」という条件下で、部屋着のまま洗面所まで行き、なんとかドライシャンプーを頭皮と髪にもみこみ、乾いたタオルで髪を拭った。
そして使用済みのタオルを見て思った。
「こんな汚れてるかもよくわからないタオルを洗濯カゴに入れて、わざわざ洗濯するのももったいないな…」
今思えば、メーカーさんに大変失礼な話である。
しかしそう思うと、体のだるさから意識が逸れ、「せっかく洗濯するなら、もったいないからシャワーを浴びてこのタオルで身体を拭こう」というように考えるようになった。
そうして気付いたら服を脱ぎ、風呂場の蛇口をひねり、こともあろうが髪をシャンプーで洗って身体もボディソープで洗っていたのである。
魑魅魍魎に操られているとか、翌朝全裸で知らないベッドで横になっている情景とかを思い起こすような書き方になってしまったが、要するに「風呂に入らなくては」という強迫観念のような意識を捨て、ついでの気持ちで行うと案外うまくいく、みたいなことが言いたかった。
妖怪の類の存在は今のところ我が家では確認されていないし、翌朝も自分の布団で寝ていたので、汎用性はある方法だと思う。
3.湯船に浸かる"だけ"の気持ちで服を脱ぐ
これは比較的体調がマシなときの方法で、最近わりと多用している。
自分は髪を洗ったり体を洗うのはめんどうだが、湯船にゆったり浸かるのは大好きだ。
しかしやはり、湯船を洗ったりお湯を張る手間を考えると、そう易々と「湯船に浸かれると思えば風呂場に行ける」とは言えない。
そこで、「湯船を洗う」ことも、「お湯を張る」こともやめることにした。
タイトル通り、湯船に浸かる"だけ"の状態にするのだ。
まず、浴槽に栓をして、浴槽内にお湯が溜まるように準備する。
そして自分自身は浴槽の外で軽くシャワーを浴びておく。(特に意味はないが、なんとなく気持ちの問題で行っている)
その後浴槽に入り、シャワーをその中で浴びることで、浴槽内を"湯船"にしていく。
もちろん髪や体に付いていた汚れが浴槽内にたまっていくので、その"湯船"に浸かることは衛生的とは言えないが、その中でシャンプーや洗顔等々、そもそも風呂場に行かなければできない/やりたくないことができるので、自分はそれで充分だと思っている。
無意味な反抗として、シャンプーなど洗剤(?)を落とすときには、その部位を浴槽外に出したりはしているが。
そして最後に浴槽から上がって、軽くシャワーを浴びたのち、ボディソープでもう一度汚れを洗い流す。
自分の清潔感のタガが外れているから成立するからこそ、これを「シャワーを浴びられた成功体験」として紹介できる、という限定的な方法かもしれないが、自分にとってはこれがかなり有効であった。
なお、残された汚い"湯船"の処理は、その後体力が回復した際の自分が行っている。
入浴した時点での自分は「入浴する」という行為で疲弊しきっているので、あとは体を拭いて髪を乾かすだけで、もう何もしなくていいのだ。
えらかった。がんばったね。
まとめると、
・髪や体を洗うのは面倒だが、湯船に浸かるのが大好き
・潔癖の傾向がまるでない
・「湯船に浸かれる」程度のトリガーで入浴できるほどには体力がある
という条件が揃っていれば、服を脱いで風呂場に向かうことができる。そんな方法である。
4.まとめ
以上が、最近「なんかはずみで風呂入れた」という成功体験3選である。
これら3つの方法に共通する点を考察すると、ひとえに「後先を考えずに行動した」という点が成功のカギとなったと考えられる。
後先というのは、「タオルやシャンプーを風呂場に持っていく」「服を脱ぐ」という事前準備から、「身体を拭いて髪の毛を乾かす」「風呂場の後片づけをする」という事後の始末までの一連の行為を表す。
ただでさえ、単純な身の清拭すらおっくうだというのに、これらの事前/事後のことまで考えれば気が重くなり、風呂場から足が遠のくのは想像に難くないことだと思う。
逆に銭湯などの入浴施設が気楽なのは、場所によっては手ぶらで行けてタオルなど貸してくれ(事前)、諸々の後片付けもお任せでき(事後)、ただ身の清拭に集中できるという点も関係しているのではないだろうか。
そう考えると、銭湯や美容室/理容室に行くことは、「後先」を他人に任せられるという"環境"に依存した清拭の方法だろう。
しかし今回紹介した3つの方法はそのような"環境"ではなく、「後先をあえて考えない/偶然気にしなかった」という工夫によって清拭を可能にした例である。
ひとつめで紹介した方法は、ジュディマリの「BATHROOM」を聞きながら雄叫びを上げて服を脱ぐという、「後先を考える余地を自ら奪う」という点が功を奏したのだと考える。
ふたつめの例では、ドライシャンプーをしようと行動している時点でひとつめの例より具体的な行動が起こせているという点に違いはあるものの、「清拭の工程の入り口に立った時点で、すでに後先を考える間もなく出口まで運ばれていった」といったような感じで、準備のおっくうさも後片付けのめんどうさも意識する間がなかった。
みっつめの方法も「湯船に浸かることが大好き」という特別なトリガーがあるという点で他ふたつの例と異なるが、一回その大好きな浴槽に入ろうとすれば、準備などなあなあに済ませて、目の前にある清拭の作業工程をこなすことに集中できるという点で、浴槽に出入りする前後の煩わしいことは目に入っていない。
結論としては、風呂に入る困難さを取り除くための一つの観点は、風呂場における清拭に伴う事前/事後の工程を"環境"によって外部化する、ないしそれを意識しないように工夫する、ということになるだろう。
もちろん事前/事後の工程だけでなく、清拭の行為そのものに困難があったり、それそのものにアプローチできる方法もあるだろうから、それについてはまた別の機会に考えたい。
自分も、これを読んでくれたあなたも、明日もお風呂に入れますように。
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【補足】
ADHDにとってなぜ入浴がおっくうなのか、どうしたらいいのかということについて、以前Twitter上で見たものに「『あーーーーー』と叫び続けることで脳をバグらせると云々」といったものがあった。
これが今回の1の方法と近しかったため引用したかったのだが、残念ながら見つけることができなかった。
どのくらいがんばって検索したかスクショを載せたいくらいがんばったが、ダメだった。
代わりといっては失礼だが、それに近しいツイートをなさっている方がいらっしゃったので、ここで引用させていただく。
また、「どうして風呂に入るという行為は先延ばしされがちなのか」ということについての分析も合点がいくものであったため、紹介させていただく。
このことについて考えることは尽きせぬのだが、あまりに記事が長くなってしまうのでまたの機会に。
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