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ピアという存在

前回の記事で「つながり」「交流」という概念について少し触れました。

しかし、そこで気付いたのです。

よく考えたら自分、ピアといえる存在ほとんどいないな?

自分にはADHDという発達障害と、双極性障害という精神障害があります。
職場を除く周囲の人々には、普段からそれらをオープンにしてはいますが、"同じ"障害者としての立場からお互いのことを話し合える関係の人間はほとんどいません。

この「取説」をつくるにあたってnoteを選んだ理由に「つながり」というポイントを挙げたのは、このような関係性の人間が周りにいないということが関係しているのではないか?
つまり、自分は本当はピアが欲しいのでは?

ということで、今回は「つながり」を持つピアについて考えてみようと思います。
構成は以下の通りです。

1.「ピア」とは?
2.なぜ自分にはピアがいないのか
3.ピアの必要性
4.ピアと「つながり」をつくるために
5.まとめ


1.「ピア」とは?

まず、「ピア」とはどのような存在なのでしょうか。
こちらのサイトでは、以下のように定義されています。

ピアサポートとは
英語のピア(peer)という言葉は(年齢・地位・能力・経験などが)同等の者・同僚同輩・仲間という意味です。 ピアサポートという言葉は「仲間を支える」という意味になりますが、 その活動は一方が支える、支えられるという一方通行のものではなく、 仲間同士でお互いがお互いを支える、支えられるというものです。(後略)

ピアサポートというと依存症や障害分野で行われているイメージがあったのですが、がんなどの病気、教育や出産・育児の分野にも適用されるもののようです。
また、同様の概念に「セルフヘルプグループ」の取り組みがありますが、区別の基準はあいまいです。

以上が調べた範囲内での定義なんですが、実施するにあたっての詳細は団体によって結構違うようでした。
たとえば、中心になる司会役は当事者なのか専門員なのかとか、「ピア」には非当事者である家族や友人も含まれるのかとか…。

まぁ定義はそれぞれの実施主体によって様々なようですが、とりあえず自分がここで想定している「ピア」とは以下の通りです。

・共通の"課題"を持っている人(当事者)

・お互いの体験を語り合い、励まし合える人

長々と書いてきましたが、要するに自分にはこういう「仲間」がいないわけです。


2.なぜピアがいないのか

こんなにも自分で入力してて悲しい見出しがあるでしょうか。

しかし現実としていないものはいないので、その理由について自己分析してみようと思います。

① 交流に対して消極的
初手からかなり致命的な要因ですが、ネット上で知らない人と知り合うことに少々抵抗があります。

Twitterでも、診断名とか薬の名前で検索したんだろうな~というような方に「いいね」されたりフォローされたりするのですが、なんか怖くなってブロックしてしまったり…。
当事者っぽい方ならまだ良いんですけど、支援者側っぽいプロフィールの方だと、何か発達障害者ビジネスに巻き込まれるのではないかなどと考えてしまいます。


② "当事者"然とした当事者に興味がない

noteプロフィールのスクショ

このプロフィールの奴に言われたくねぇよって感じだと思いますが、障害をアイデンティティにすることにあまり良い印象がありません。

障害をアイデンティティにするというか、関係性づくりに「障害者だから」という要因を持ち込むことを良しとしない、と言った方が適切かもしれません。

自分の周りには視覚や聴覚にバリアのある方々がいて、しばしば彼らと飲みに行ったり遊んだりします。
それは彼らが「障害者だから」=興味深いから、"かわいそう"だから、障害者と仲が良いという自分でありたいから、というような理由ではなく、単純に彼らといっしょにいると楽しいからです。
そこに"健常者"の友人との違いはありませんし、違いをつくりたくありません。

「ピア」とは、同様の障害を持つ人間のことです。
つまり、自分からピアをつくろうとするということは、「同様の障害を持つから」関係性をつくるということだと考えています。
これは前述の「仲良くなる理由に障害の有無を持ち込みたくない」という考えに反します。

また、同様の障害を持っているからといって、人間として「仲間」になれるかは別問題です。
習慣や趣味など、どこか共通点や共感できる部分がないと、関係性をつくりあげるのは難しいと思うのです。

③ 自分にないものがある"当事者"に対する恐怖
かなり反感を買いそうな話でビクビクしていますが、「取説」をつくるために敢えて書いておきたいと思います。

プロフィールに書いていますが、自分は障害者であると同時にセクシャルマイノリティでもあります。

具体的に言うと、「自分はどのような性別であると思うか」を示す「性自認」はXジェンダーであり、「どのような人を恋愛や性の対象とするか」を示す「性的指向」はアセクシャルです。


同様にXジェンダーやアセクシャルを自認する人の間でもその認識はさまざまではありますが、自分の場合は「男性でも女性でもありたくない」「どのような性自認の相手であろうと、恋愛感情や性欲のようなものを感じない(わからない)」といった感じです。

自分のセクシャリティに引け目はありませんし、マジョリティを羨んだりそうなりたいと思っているわけではありません。
しかし、戸籍上の性別と性自認が一致(シスジェンダー)していたり、"異性"に性的指向のある(ヘテロセクシャル)発達障害者の語りを見ると、「"ふつう"の人じゃん」と一歩引いてしまうところがあるのです。

ネット上でよく見るのは、「大変なことがあってもパートナー(多くは『彼氏』や『夫』)が支えてくれている」という(多くは女性の)発達障害者の方の語りです。
その方々が収入面や生活面で「楽をしている」「ずるい」とはけして思いません。
その方々にも各々の困難さがあって、パートナーがいればすべて解決するというわけではないことはわかっています。
しかしその手の話を見ると、どうしても同じ土俵で話をできないように感じてしまうのです。



以上の3点が、ピアができない理由ではないかと分析します。
自分で書いておいて何ですが、性格の悪さが露呈したというか、ピアができないことについて「でしょうね」感が満載の項になってしまいました。


そして悪印象を残したタイミングで切るのは本当に嫌なのですが、文字数が長くなってしまいましたので第3項以降は次の記事に分割しようと思います。
引き続きお付き合いいただけますと幸いです。


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【参考】
note本文中に書ききれなかったことについて、わかりやすくまとめてくださっているサイトがあるのでご紹介します。


①ピアサポートの歴史について

こちらの記事の「ピアサポートの歴史・当事者の時代」という項に、わかりやすくまとめられています。
(『こころの元気+』 2011年8月号特集より)


②セクシュアリティの捉え方について
山形市役所のHPのこちらの図が、非常に正確でわかりやすいです。
(リンクのキャプションに表示されなかったので、図は引用させていただきました。)

山形市HP「性的マイノリティを理解しよう!」



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