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「竹の、箸だけ」の零細企業が、「最高のお茶碗」をご提案します。


こんにちは。
株式会社ヤマチクの3代目、山﨑彰悟です。
ヤマチクは、熊本の山奥で「竹の、箸だけ」を57年間作り続ける小さなものづくり企業です。


南関町の「御用窯」


ヤマチクが所在するのは「南関町」という、人口1万人にも満たない小さな田舎町です。
主要産業は農業。名物は「南関そうめん」と「南関あげ」。
派手な観光地はないけど、空気もお米も野菜もおいしい、自然豊かな町です。

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そんな南関町に、実は肥後の国を治めた細川家の「御用窯」があったことを皆さんご存知でしょうか?


南関町の知られざる宝、「小代焼」


小代焼は、熊本県北部で約400年前から焼き続けられている陶器です。
肥後の国を治めた細川家の御用窯として、茶道具をはじめ、生活雑器などが多く作られました。熊笹やワラを燃やした灰といった自然のものを調合した手作りの釉薬で生まれる、独特の青や黄色が特徴です。

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その史跡が、実は南関町にあります。
しかも、僕の自宅から徒歩5分ぐらいのところに。笑

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僕も幼稚園の陶芸体験や小学校の遠足で訪れて以来、あまり小代焼について深く考えてことはありませんでした。

お散歩ついでにかつての登り窯を眺めていると、1人のおばあちゃんが話しかけてきました。
「焼き物に興味あるの?ちょっと待ってて!説明文ば持ってくるけん!」

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あっけにとられて待ってると、おばあちゃんが資料をもってきてくれました。聞けばこのおばあちゃんは、この史跡の近くで今でも小代焼を作り続けている「岱平窯」の大奥さまでした。

小代焼の歴史や特徴を、素性もわからない僕に丁寧に説明してくれました。
しかも、とても楽しそうに。

改めて調べてみると、由緒正しき歴史もある。
自然釉薬でしか出せない特有の風合いは、今の時代でもかっこいい。
何より、このおばあちゃんの小代焼への「愛」がスゴイ。

これは何としても多くの人に伝えたい、南関町の「いいもの」。


想像をはるかに越える、「岱平窯」の凄さ


ヤマチクのお箸と一緒に全国のお客様に、南関町の宝であるこの器を紹介したい。
早速、「岱平窯」さんに伺う事に。

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工房を訪ねると、2代目の坂井 博樹さんが出迎えてくれました。
そこで改めて「岱平窯」さんについて教えてもらうことに。

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150年以上前に作られた小代焼の史跡の隣で、伝統の技術に習いながら小代焼を作り続けている岱平窯さん。
時折出土する陶片から、昔の作り方や釉薬の配合を学ぶことも多いそうです。

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機械で成型・焼成した均一な焼き物も多いなかで、今でも「ろくろ」での成型と「登り窯」による焼成という昔ながらの作り方、強いにこだわりを持っていらっしゃいます。
(この「登り窯」は今は亡き先代が、かつての小代焼の風合いを探求するために自作したとのこと。)

それゆえ、形も色も1つとして同じものがありません。
まさに「一期一会」。さすがは「茶道通」として知られる細川家の御用窯、小代焼。
古式の小代焼特有の素朴で力感にあふれる作品は、どれも息をのむほど美しい。

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でも、その時に少し気になったことがありました。
由緒ある歴史。高い技術。ものづくりへの思い。魅力的な商品。
どれをとっても申し分ない。
でも、検索してもほとんど岱平窯の情報が出てこない。
その疑問を坂井さんに投げかけてみると、こう答えてくれました。

私はパソコンに疎くて・・。
でも、コロナで例年の物産展や展示会が無くなっているから、近々ホームページやオンラインショップを開設しようと思ってます。
小代焼の窯元組合で「オンライン展示会」をやる案も出てるんですよ。

それを聞いて僕は思いました。

「数年前のヤマチクと一緒だ・・。」

「いいもの」を作っていても、それを伝える術までは整っていない。
これは工芸の分野において別に珍しい事ではありません。
ヤマチクも数年前までは、地元の方にすら知られてはいませんでした。

岱平窯さんは、このコロナ禍で「変わる」決意をされている。
同じ南関町で「ものづくり」に携わる者として、おこがましくもその挑戦を後押ししたいと思いました。

「ぜひヤマチクのお箸とコラボさせてください。岱平窯の魅力を人々に伝えるお手伝いがしたいです。」

僕の不躾なお願いにも関わらず、坂井さんはご快諾いただきました。

「どんな器にしますか?」

そう言うと坂井さんはいろんな器を見せてくれました。
お皿。マグカップ。酒器。コーヒーカップ。
どれも美しい。どれも欲しい。

「でも、やっぱりお茶碗ですかね。」

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お箸とお茶碗。
日本人の食事に欠かせない、くらしの道具の代表格。
毎日の「いただきます」に、南関町で生まれたお箸とお茶碗を使って欲しい。

「お茶碗ですね。完成は9月になると思いますが、頑張っていいもの作りますんで。」

そうか、今から作るのか。だったらお願いしてみようかな。

登り窯の火入れ、立ち会わせてもらえませんか?岱平窯さんの魅力をしっかり伝えるために。せっかくならカメラマンさんも手配させてください。」

「わかりました。そのときはご連絡しますね。」
少し戸惑った様子で、坂井さんはそう言いました。

写真はヤマチクでのPRに使うのはもちろん、そのまま岱平窯さんに差し上げれば、ホームページの作成にも使える。

このコラボは、単なるきっかけに過ぎないんだ。
岱平窯さんが、自分たちで魅力を伝える「武器」を得ないと意味がない。

「オンラインショップで売る」
「カメラマンさんに依頼する」
「SNSで発信する」

そのプロセスも、可能な限り伝えていかないと。


そこには「神様」がいた。


そして、8月11日のお昼ごろ。
岱平窯の坂井さんから電話がありました。

「今日、窯に火を入れます。ご覧になられますか?」

「今日ですか!?わかりました。夜になりますが、伺います!」

ヤマチクのクリエイティブディレクター佐藤かつあきさんに、今夜動けるカメラマンさんを急いで手配していただき、奇跡的に「BICOLUT」のマエダ モトツグ さんに写真を撮ってもらえることに。
(かつあきさん、マエダさん、その節は本当にありがとうございました。)

そしてその夜21時、岱平窯に伺いました。
あたりは真っ暗。その中に、うっすらと灯りと煙が見えました。
そこには坂井さんと、そのご家族が。

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「いい具合に窯が温まってきましたよ。覗いてみますか?」

ゆっくり窯に近づいてみました。
少し近づいただけで顔に熱を感じる。
「パチパチ」と、近づくにつれ大きくなる薪の燃える音。
そっと窯を覗いてみると、燃え盛る炎の奥には整然と器が並べられてました。

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それは、「美しい」という形容では足りないほどの神秘的な光景。
思わず熱さも忘れて見入ってしまいました。

「火入れから約2日間、15分おきに薪をくべます。窯の温度が1300℃になるまで、今日は夜通し燃やしますよ。」

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窯の熱さと、薪の重さ、そして眠気。とんでもない重労働です。
ちなみに、中の温度は窯の中にいくつも配置されたこの愛らしい道具の曲がり具合で見るんだそうです。(温度が上がると曲がる仕組み)

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「まぁ、長丁場です。眠気覚ましにコーヒーでもいかがですか?」
そう言うと、お手製のコップに坂井さんがコーヒーを入れてくれました。

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コーヒーを飲みながら天井を仰ぐと、ふと神棚が目に留まりました。

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「やっぱり火を使うし、安全祈願は欠かせませんよね。」
僕はそう聞くと、坂井さんはこう答えました。

「もちろんそれもありますが。私たちは自然のものを材料にしますから。
どんな仕上がりになるかは、まさに神のみぞ知るです。だからいい器ができるよう願いを込めて、お祀りしてます。」

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坂井さんの言葉に、強い衝撃を受けました。
土。水。草木。火。風。そして人。
あらゆる自然の恩恵と、作り手の思いと努力が幾重にも折り重なって、この小代焼はできている。
それはまさに、「ものづくり」の原点そのもの。


器が火を纏う


時刻は深夜2時をまわりました。
窯の温度はぐんぐん上がり、離れていても熱を感じる程に。
額の汗を拭いながら、坂井さんは薪をくべ続けます。
「そろそろかな・・。ちょっと覗いてみてください。」

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坂井さんが私に手招きしました。促されるまま窯を覗いてみると・・。

「え!?器が燃えてる!?」

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真っ赤に輝く器が、メラメラと火を纏っていました。
(写真じゃ伝えきれませんね。これは立ち会った者しか拝めません。)

聞けば、器にかけた自然釉薬が燃えているそうです。

これによって、小代焼独特の色味や艶が生み出されます。
その神々しい光景を目の当たりにして、全身に鳥肌が立ちました。
自然と人が織り成す奇跡のような光景に、自然と手を合わせて拝みたくなる。
そこには「神様」が宿っているようでした。

「くらしの道具」を作るために


そして夜が明けて。
坂井さんは変わらぬ様子で薪をくべていました。
(すみません。僕はたまらず仮眠しました。笑)

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わかってはいたけど、本当に夜通しなんだな・・。
皆様忘れてませんか?これ、器を作ってるんですよ。
しかも、1個数千円程度の器。

どんなに大変でも、高級品ではなく、「くらしの道具」を作ることにこだわり続ける。そこは、ヤマチクのものづくりと通じるものがあります。

「そろそろ上の段に火を移しますよ。」

そう言うと坂井さんは、薪をくべていた口をレンガと土で塞ぎはじめました。

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「登り窯」は、器を入れる部屋が何階層にもなっています。
下方の部屋から温度を上げ、徐々に火を上の部屋に移していきます。
夜通し火を入れて、ようやく最初の階層が1300℃程度に達したようです。

手前の口を塞いだ後は、すかさず第2階層の壁に穴をあけ、そこからまた薪をくべます。

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これをあと1日近く続ける。本当にすごい。
ただ、僕の立ち合いは一旦はここまでになってしまいました。

「窯出しは窯が冷えてからなので、4日後の8月16日になります。」
「じゃあその時また伺いますね。」

最後まで立ち会えない名残惜しさと、窯出しでどんな器が出来上がるかというワクワクを胸に、僕は岱平窯を後にしました。


そしていよいよ窯出し


そして窯出し。
この日も神様へのお参りから始まります。
「いい器が焼けてますように・・・。」

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「じゃあ崩しますね。」
そういうと、口塞いでいたレンガを丁寧に外していきます。

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そしてそこには色鮮やかの器たちが待っていました。
炎の中で燃えていた釉薬が、美しい艶と色彩を生み出してます。

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坂井さんは足場を組んで、そそくさと窯の中に入っていきました。
そして次々と中の器を取り出していきます。

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出した器の仕上がりを、1つずつ丁寧に確かめていきます。
そこには、あの時のおばあちゃんの姿も。

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ひと通り確認を終えた後、今回依頼したお茶碗を見せてくれました。

「こんな具合に仕上がりましたが、どうですかね?」

「最高です。きっとお客様も喜んでくれます。」


南関町で生まれた、最高のお茶碗


皆さん、お待たせしました。
坂井さんが、自然の恵みを最大限に活かして生み出した最高のお茶碗がこちらです。

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今回ヤマチクがご要望したのは、「黄」「青」「白」の3種類です。
サイズも女性の手に収まるぐらいのほどよいサイズです。
優しい持ち心地が癖になります。

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「ろくろ」で成型してあるので、1つずつ形が微妙に違います。
機械による大量生産では絶対に生み出せない「味」です。

そしてこの色味と艶。
同じ釉薬を使っていても、窯入れの場所や、焼成時に降りかかる灰によって、1つとして同じものは生まれません。
どんな風合いのお茶碗が届くかはお楽しみ。
これこそが、登り窯の醍醐味です。

こんな素敵なお茶碗をヤマチクの自社ブランド「okaeri」とコラボさせていただきました。
竹の素材感と、小代焼の素朴さがとてもよく合います。

「敬老の日」
の贈り物にもオススメです。

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もうまもなく「食欲の秋」が訪れます。

南関町が誇る最高のお茶碗と、ヤマチクの軽くてしなやかなお箸で、美味しいごはんをたくさん召し上がってください。


数量限定です。(多分一瞬でなくなると思います。)

お買い求めは、お早めに。

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