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専業音楽キュレーターの可能性

こんにちは,音楽教育学者の長谷川です👓

先日書いた下記の記事,多くの人に読んでいただいて嬉しい限りです。Twitterでも色々な反応をいただき,すべて興味深く拝読した。ありがとうございます。当該記事をまだお読みになっていない方は是非こちらから読んでみてください。

ようは,「楽器の上手さ」でガチンコ勝負しなくても,キュレーションという発想でお客さんの聴取体験を効果的にデザインすれば,技術で劣る演奏家にもファンが付くんじゃないですか?という提案をしたわけだ。

そうすると,一つの代替案が出てくる。

美術におけるキュレーションって専門家がやるんでしょ?だったら,こっちも「音楽キュレーター」みたいな専門家が出てくればいいのでは?演奏家がキュレーションに手を出すより,専門家に任せた方がよくね?

ですよね!!よくわります。前の記事にも書いた通り,現代美術におけるキュレーションは高度な知識を必要とする専門職として成立している仕事であり,それを演奏家が真似事で兼業するのは結構きつい。演奏の準備をするだけで大変なのだ。そこに加えてキュレーションなんてとてもとても…うんうん,演奏家の方々の気持ちはよくわかる。

…よくわかるんですが,それでも僕は「演奏家自身が自分のコンサートをキュレーションできた方がいい,いや,演奏さえできればいいという発想自体がやばい!」と思っているのだ。

このテーマについて考えてみることは「クラシック演奏家ビジネス論」の根幹に直結するので,ちょっとだけ深掘りしたい。いつも長くなるのでなるべく短めに語ります。


1.専業キュレーターが出てくれば演奏家は救われるのか?

前回の記事を読んでくださった方ならご理解いただいていると思うが,僕がキュレーションの発想を持ち出したのは,「再現芸術職人」としての演奏家の仕事が徐々に成立しにくくなっているからであった。

「音楽サブスクと安価なbluetoothスピーカーの普及は演奏家という職業に対する破壊的イノベーションである」という指摘は我ながら的を得ていると思う(「破壊的イノベーション」の意味がわからない人はググってみてね。簡単に言えば,自動車の発明は馬車に対する破壊的イノベーションってことです)。「楽器の上手さ」で他者を圧倒できない演奏家は,「他者の作品の再現」以外の価値を生み出さなければならない。また,COVID-19の影響で「生演奏」の価値が相対的に下がっていることにも留意しなければならないだろう。コロナが落ち着いたとしても移動コストや手間を考えて「生演奏」を選択しないお客さんは多そうだ。少なくとも「生演奏」の価値を「生演奏って最高に素晴らしいんですよ!!」くらいの解像度でしか言語化できないのであれば,「生演奏」をマーケティングの武器にすることはできないだろう(ここが一番重要だったりする)。

つまり,演奏家は「他者の作品の再現」でも「生演奏」でもない,新たな価値を生み出さなければならない,ということになる。

さて,ここでコンサートのキュレーションを専門的に勉強した「音楽キュレーター」みたいな人が現れたとしよう。「あなたのコンサートをキュレーションさせてください!私ならあなたの魅力を最大限に活かせます。新規顧客も開拓できます。一緒に市場を盛り上げましょう!」

素敵な提案だ。その音楽キュレーターがいい仕事をして評判になれば,「あの人がキュレーションするコンサートだったら素敵な体験ができそうだし行ってみたい!」みたいな新規層も現れるかもしれない。そうなればクラシック市場全体も多少盛り上がりそうだ。これまでそういうクラシック演奏家プロデューサーみたいな人は結構少なかったし,「教養としてのクラシック」「あなたもきっと分かる」みたいな売り文句が多かったような気がする。そういう「知的対象の取扱説明書」みたいなキュレーションもいいのかもしれないが,個人的にはApple製品を使ったときのユーザーエクスペリエンスのような「触っててきもちいし充実感ある」みたいな体験をデザインすることが肝要だと思っている。そういう企てをうまく作れる音楽キュレーターは成功するだろうし,現在のクラシック音楽市場に必要なのはまさにそういう人材なのではないかとさえ思える。

ということで,優秀な専業音楽キュレーターには大いに期待したいのであるが,「クラシック演奏家ビジネス論」に興味のある我々はここで一旦冷静にならなければならない。ここで議論しなければならないのは,「果たしてキュレーターは演奏家を救ってくれるのか」という点である。

結論から言えば,このキュレータープロデュースのコンサートに来てくれたお客さんは「キュレーターのファン」なのであって「演奏家のファン」ではない,というのが僕の考えだ。ここはきちんと分けて考える必要がある。チームラボのイベントに何度もくるお客さんはあの「光る卵」のファンになったわけではない。チームラボがデザインした体験を通してチームラボというキュレーターのファンになったのだ。同様の理屈で,コンサートが終わってキュレーターが別の演奏家と仕事を始めれば,その客はそっちに流れてしまう。

また,売れっ子のキュレーターは自分が思い描くコンサートを実現するに足る演奏家,すなわち「楽器の上手さ」のパラメータが高い演奏家をブッキングしていくだろう。チームラボだって途中で不具合が起こりそうな「光る卵」を使うわけがない。そう,結局のところ,「エキストラに呼んでもらう」「事務所から仕事をもらう」という現在のビジネスモデルが「キュレーターに声をかけてもらう」にすり替わっただけだ。これでは「楽器が上手い人一強の世界」を再生産するだけになってしまう。

もちろんそのキュレーターが人材発掘を目的に「指は回らないけど超独特な音色の持ち主にスポットを当ててみたい」みたいな発想で人選し,その人の音色の独特さにうまくフォーカスした選曲で巧みにプロデュースすれば,「楽器の上手さ」のパラメータが高くない人にもチャンスが回ってくるかもしれない。ただ,そんな頻繁にできる企画にはならないと思います…なぜなら,クラシック音楽はそもそも「超独特な音色」等を許容する余白を備えていないからだ。結局クラシック音楽の再現という営み自体「楽器の上手さ」というパラメータと親和性が高いのである…。また,万が一そんなキュレーターがいたとしても,一生そのキュレーターのお世話になるわけにはいかない。あんまりサステナブルではないですよね。自分の個性を活かしたキュレーションをいつかは自分でできるようにならなければならない。キュレーターが演奏家のキュレーションスキルの育成まで視野に入れた教育熱心な人ならいいんですけど…なかなかそんな悠長なこともいってられないだろう。

あるいは,キュレーターと演奏家が対等なチームになるパターンならいいかもしれないですね。ただちょっと思うんですけど,そこまで気合入れて徹底的にやるんだったら,キュレーターと組むよりももはや演奏家自身の良さが生きるような曲を作ってくれる作曲家と組んだほうがいいような気がします。こっちは結構可能性が残されていると思う。自分も作品制作者の一部になるってことなので,まさに前の記事で言及した「演奏家兼クリエイター」としての道を模索することになる。

2.演奏家が生み出す価値について

ここまでの議論は,常に一つの問いに繋がっている。すなわち,「演奏家はどんな価値を生み出しているの?」という少々残酷な問いだ。

作家(作曲家)は作品という価値を生む。キュレーターは鑑賞者の体験をデザインすることで作品の集合にそれらの和以上の新たな価値を付与する。では,演奏家は?「生演奏の価値」については「いいものです!」くらいぼんやりとしか言語化できず,「他者の作品の再現」にのみ専心する演奏家は,市場に対してどんな価値をアピールしていくのだろう?それらをユーザー目線でみた時に,「音楽サブスク」×「一流演奏家の音源」という最強タッグに勝る魅力があるだろうか?

前の記事でも言っているからもはや誤解する人はいないと思うが,僕は演奏家をディスりたいわけではありません。僕はなんだかんだ言いながら音大生のコンサートに行くし,演奏家という仕事にリスペクトすら抱いている。ただ,冷静に,ドライなビジネス目線で考えたときに,「一番上手い人」以外の演奏家の価値って言語化しづらいのだ。演奏家という仕事は素晴らしく尊いが,残念ながらビジネスとして市場で戦っていくための方略は現段階で成立していない。というか,何を売り物にしているのか演奏家本人もよくわかっていない。ここが問題である。

個人的な見解だが,従来的な意味での「クラシック演奏家」に対する受け皿は今後ますます小さくなっていくだろう。したがって,「クラシック演奏家養成コース」を卒業した人は,新たな職業モデルを模索することから始めなければならない。このあたりは,レッスン産業の今後について語ったnoteにも書いたので,よければ読んでみてください。

やはり,その演奏家しか創造できない「コトとしての体験」を提供してくしかないと思うんですよね。その具体例が上のnoteに書いてあります。楽曲というモノをお客さんに提供する中間業者のような形で稼ぐモデルは今後ますます難しい。自分なりの価値を示す商品を作らなければ生きていけないのではないか,というのが長谷川の意見です。その意味で,「演奏家と作曲家のチームでしか生み出し得ない音楽作品を作って(あるいは自分で作品を作って),それをベースに自分でキュレーションしたコンサートを作る」という「演奏家兼クリエイター兼キュレーター」みたいな人はどんどんファンを作っていくのではないかと思います。

3.まとめ

ということで以上です。長谷川の意見をまとめると,「専業キュレーターが出てくれば音楽市場は盛り上がる可能性は大いにあるが,その恩恵を受けることのできる演奏家はごく少数。キュレーターの登場を期待してノープランで再現芸術職人を目指すのは危険」ということになる。皆さんはどう思いますか?

結局のところ,「演奏家は市場にどんな価値を提供できるのか」という最初の問いに立ち戻ることになると思います。そのあたりを自分なりに考えることが新たな生き方を見つけることにつながるのかなとぼんやり思ってます。

今回はいつもより短くまとめたつもり…最後まで読んでくださった方,ありがとうございました!

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