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[備忘]大学生と社会人の違い〜勉強する時間・習慣〜

もうすぐ社会人3年目に突入します。

最近ふと感じることがあります。
「思考しなくなったなぁ」と。

その背景には2つの「学び」があるんじゃないかと思いました。
①仕事のための学び
②人生のための学び

社会人になって

大学を卒業してフルタイムで働くようになってからは「アウトプットを出すためのインプット」がほとんどでした。
知らないことだらけのなかで何らかのアウトプット、引いては成果を出すために情報を収集していました。

プロダクトマネジメント、プロジェクトマネジメント、カスタマーサクセス、カスタマーサポートに関連した本や記事を読み、イベントに参加して学びを得ていました。そのおかげで、それらの"一般論"は割と知っている感覚があります。
「こういう風にやったら上手くいくんじゃないか」という仮説(そんな大層なものじゃないが)があるので、次は実践して自分の経験で語れるようにする段階なんだと思っています。

仕事のための学びは基本的にHOW(どうやるか)を教えてくれるものです。
一方で、教養や自分の知的好奇心を刺激してくれるような学びは全く得られていないんじゃないかと感じています。焦っています。

そもそも小学生くらいの時から勉強があまり好きじゃなく勉強の習慣が全くと言っていいほど無いので、アウトプットを迫られない学習を続けられないという節もあるかもしません。

Facebookに投稿する頻度も減りました。投稿する時間を取れないというわけではなく、投稿する内容が無くなった感覚です。誰かと話しても、仕事のHOW以外あまり話せない。
これって、日々仕事のこと以外で思考できていないってことなんじゃないかなと。

大学生の頃は

大学では経営学を勉強していました。これもまたHOWを勉強する学部ではありますが、他にも経済や一般教養科目などもあり、興味があることについて腰を据えて勉強することができました。
何らかのアウトプット(成果)を出すことを目的にはせず、勉強していました。(課題はちゃんと提出してました)

週4,5日大学に行き、講義を受ける。ひたすら聞いて見て読んで、考えて書いて、という日々。習慣とかではなく、勉強せざるをえない環境。
今思えばこの時間はとても貴重なんだったと気付かされます。

純粋に学べるということの貴重さ。

ありたい姿、やりたいことに近づくためには

こういう焦りがあるのは、おそらく自分が成し遂げたいと思っていることに近づけている実感がないからです。

興味関心のままにインプットしていく、学ぶ。
思考を捗らせ、自分のやりたいことやありたい姿に近づけるためにはこういう学びをもっと作っていくことが大事なんじゃないかと思いました。


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