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「タテマエ化したビジョン」と「目的としてのカオス」が組織を滅ぼす

物騒なタイトルをつけてしまった。

このnoteでは、その週に読んだ本と考えたことを無理やり毎週書き残していて、ほとんどの場合、まとまることなく、とっ散らかったままなんだけど、今週は特にひどいことを先に言い訳。

考えるきっかけは、この一文。

いわば合理の世界・タテマエの世界は、表面に現われた論理的整合性のある制度や仕組みの裏にかくされたドロドロとした情緒やエネルギーを押し殺してしまう。

引用元はこちらの本。

初版発行:1993年。リクルートの創業期から活躍し、適性検査SPIの開発者である大沢武志氏。その伝説の名著と呼ばれるのがこの「心理学経営」

絶版・入手困難で、今年の年初~春先くらいまでは、中古で6万円くらいしてた本です。

30年近く前に書かれた本とは思えない、今年出版された本だとしても何も古くないくらい、本質的なことが書かれているので、人事とか経営とかに関係のない人でも参考になる部分が多い。

6月くらいに、Kindle版が出たらしく、今は、ほぼ通常価格で入手できます。

このnoteでは、本書の中でも、「活性化」のテーマに絞って引用してますが、リーダーシップや性格タイプ、みたいな話でも、これまで受けてきたマネジメント系の研修の「根っ子」が垣間見える感じが何度もあります。


カオスの中にこそ、活性化の土壌がある

ベンチャーで働いていた時、あまりに混沌としていて、絶望的な気持ちになったことがあるんだけど、それが「活性化」に一役買っている、という話。

ときには、相互批判があり、対決があり、トラブルさえ避けられないような組織にこそ、活力が期待できるのである。  
これがゆらぎであり、カオスである。このゆらぎが増幅され、一定のクリティカルポイントを超えたときに、破壊や革命が起こる。組織活性化の最終ゴールは破壊のための破壊ではなく、新しい創造のための破壊である。  
安定の自己否定、既成の秩序と現状の価値の自己否定、それらによってもたらされる混沌のなかにこそ活性化の土壌があるといってよいだろう。

ビジョンなきカオスは単なる混乱

一方で、活性化の名の下に、しょっちゅう組織変更してる会社があって、全然業績が伸びてなかったりする話を聞いたりして、それは何なんだっけ?って思ってて、その答えも書いてあって、

新しい秩序へのビジョンと目標の欠落したカオスは単なる混乱であって、脈絡のない異動の頻発は、長期的な構えで仕事に取り組む姿勢をメンバーから奪うだけである。

活性化は目的ではなく手段なのに、リクルートやサイバーエージェントが活性化してるから、ウチの会社でも、なんつって、活性化施策すると、こうなる。

新しい秩序へのビジョンと目標の欠落。

上場=大人になること=タテマエの世界における外部環境との調和

とはいえ、ビジョンがないわけじゃない。

じゃあ、なんで、っていうと、まず、組織として大きくなる上で、外部環境と調和していかないといけない。

わかりやすい例としては、上場準備。

たとえば株式未上場の高成長企業がある時点で上場を目指すとき、様々なルールによって組織の細部にわたって制度化を急速に進める場合が規制化による非活性化の最もわかりやすい事例であろう。しかし、急激な成長過程における組織活性化の進行は、当該組織内部の個別の事情に基づく論理がカルチャーに縛られ、外部社会との調和に亀裂を生じさせる組織の危機を同時に伴うことも往々にして起る。株式公開に伴う組織内部の規制化は、活性化にブレーキを踏む一方で、外部環境との調和に向けて必要な企業努力を必然的に可能にしてくれる過程でもある。

外部環境との調和の弊害としての「ビジョンのタテマエ化」

上場準備って、社会でやっていける、大人になる準備、みたいなもんで、大人になったら、夢語ってる場合じゃないよね。責任を果たし、家族を養っていかないといけないから、的な変化だと思っていて、

そういう中で、中途半端に改めてビジョンの言語化、みたいなことをすると、ビジョンが大人が語っても恥ずかしくない、見え方気にして、置きにいったような、タテマエとしての夢、みたいなモノになるケースが少なからず、あるんじゃないかと。

「タテマエ化したビジョン」と「目的としてのカオス」が組織を滅ぼす

そうして、タテマエ化したビジョンの中で、大人として家族を食わしていきかなきゃいけない、少しでもいい生活をさせてあげたい、みたいな経済合理しか本音がない中、ホンネのビジョン、がなく、それ自体が目的となった活性化施策でカオスが生まれると組織が滅びていくんじゃないかと。

(反論)ビジョンは方便で、(市場選択・戦略の良し悪しと)対面小集団の作り方の巧拙の話?

書いてるうちに、違う説も思いついたので、残しておく。

ビジョンはそんなに大事じゃなくて、「対面小集団」の作り方が上手くて、市場が右肩上がりで成長してればよいのかも。

対面小集団という個性が相互認知された状況下で、自律的に小集団活動が営まれることの活性化への効果は計り知れないものがある。そこでの集団の人間関係を通して、情緒的なレベルで自己開示も促進され、公式組織には欠落しがちな気持ちの交流と連帯感の醸成にもなり、これが全組織に一斉に繰り広げられることで、組織のなかのコミュニケーションの、いわば共振と共感の輪が拡がり、いわゆる風通しのよい組織風土へと変えていく効用もある。

ーーここからは、少し余談。

「Facebook・Instagram」はタテマエの世界で「Twitter・note」は本音の世界、なのか。

ずっと、そう思っていたけど、どうやら違いそうで、

現時点の自分としての仮説は、Twitterは本音ではなく、Twitterは本音風エモな「ネオ」タテマエ、って感じ。

一般的なタテマエの中で、本音語りだすと浮くけど、「ネオ」タテマエと本音は、私みたいな社会的に未成熟なコミュ障には、あまり区別がつかない。

ゆえに、それを利用して、ガチタテマエのカウンターとして、ネオタテマエを駆使して、自覚的にやっているエモ系なビジネスがあったりするんじゃないかと、タテマエのレベルが進化しただけかも。

Twitter的な「外部環境との調和」と、その限界

いわゆる、上場準備的なガチタテマエな外部環境との調和に加えて、ここ数年で、企業であっても、「ネオ」タテマエ的な、Twitter的な外部環境との調和、が有効に機能するようになってきていて、そこにクソミソ混ざってきてしまっているのが、今なのかもしれない。

先端層はTwitterから離れてクローズドなコミュニティに軸足を移しつつあるのも、この話の延長線上かも。

…と、とっ散らかったままですが、読んでいて、過去のいろんな経験つながって、思考が深まる、という意味でとても良い本。折に触れて読み返したい。

毎週note書いてます

タテマエは嫌いって言ってる自分が一番タテマエ使って生きてるんじゃないか、みたいなことなのかも。未熟なだけ。


※今回は、12月8日(日)~12月14日(土)分の週報になります。





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