幸ある一年がみなさまとともに、ありますように。
遠投という言葉があります。手元にある球をできるだけ遠くに、見えないところへ届かせる。手には、投げたという記憶しか残らない。今年だけではなく、年末は、そんなことを考えます。
みなさん、きっとお忙しく、慌ただしく、お辛く、哀しみもある一年ではなかったかと推察いたします。
私も例外ではなく、3月には、コロナが深刻化すると同時期に父を見送りました。葬儀も簡素なもので、ごく近しい家族だけで行いました。
五月からはウィーン大学に赴任する予定でしたが、それもならず、結局、ZOOMで単位を出す講義を担当することになりました。ウィーンの留学生たちは、故郷にすでに戻っていたので、数多くの国を結んでの講義になりました。まったく未知の世界でしたが、幸いよき協力者を得て無事終わりました。こんな経験は、教員になって20年以上が過ぎましたがはじめてのことで、苦しくも発見に満ちた半年でした。
夏は少し、ゆっくりと過ごし、好きなテニスに熱中できましたが、後期がはじまって第三波が襲ってきてからは、戸惑いなどというものではなく、気持ちが揺れました。ウィーン講義は、火事場の体験で、私も学生も勢いで乗り切りましたが、勤務先では、悩みが多く、十全な教育が出来ないことに、気持ちが揺れました。
かろうじて、対面と配信のハイブリッドをはじめたところに、事態が深刻化して、来年もまた、激震に打開策を探す毎日になると思っています。
演劇界もまた、未曾有の試練に見舞われました。
現代演劇、歌舞伎などのジャンルを問わず、人と人とが、会わないことが、なにより尊重される状況のなかで、稽古を重ね、上演にこぎつけた皆さんに敬意を表します。それは、絶え間ない緊張と不安にさらされる日々だったと思います。ただ、残念なことに年が変われば、この事態が改善するわけではない。また、新しい日が来て、私たちは、蛮勇でもなく、暴走でもなく、自棄でもない毎日を迎えます。
今、確かなことは、失われていく命への哀惜のように思えます。もちろん、父はコロナではなく、高齢のためになくなくなりました。コロナがなくても命は失われていく。コロナも癌も交通事故も等しく大切な命を奪っていく。私たちはとなりの生命とともに生きていく。そんな切実な思いのなかにいます。
長文になりました。どうぞよいお年を。みなさまの新しい年が、幸あるようにお祈りしております。
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長谷部浩のノート お芝居と劇評とその周辺
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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。