新マガジン「天下無双 漢 海老蔵」を立ち上げるにあたって
新しいマガジンを立ち上げる。紹介のために、以下のような文章を書いた。
市川海老蔵が、不当な非難を受けていることを、残念に思います。役者は舞台がすべてです。海老蔵について書いた劇評を集めました。野性、暴力性、破天荒が評価されてきた海老蔵に、市民社会の陳腐な常識を押しつけても、私は意味がないと思います。スキャンダルは、歌舞伎役者の勲章です。
海老蔵についてスキャンダルめいた報道がなされている。
私はワイドショーや週刊誌を見る習慣はないので、詳細を知らない。けれども、扇情的なパッシングが、ひとりの役者について行われているのは、異常な事態だと思っている。また、こうした非難を浴びながら、毅然として歌舞伎座で『暫』の舞台を勤めている海老蔵に感服している。
歌舞伎役者に限らず、芸能者は、舞台の出来によって評価されると考えている。スキャンダルがあろうと、なかろうと舞台の出来とは、まったく関係がない。
このNOTEの「【劇評259】海老蔵の復活。歌舞伎座で炸裂する『暫』の大きさ」に書いたが、東京オリンピックのときに悪評を受けた『暫』の印象を払拭するだけの意志に貫かれていた。
また、周囲を固める役者たちも堂々としている。腕のある役者が居並ぶなか、突出した魅力を放つのが市川海老蔵だった。
Instagramで散見するプライベートの海老蔵は、白髪交じりの四十代だが、美貌が衰えるどころか、なにか蠱惑的な力に満ちている。
それは、超自然的な力と直接的に繋がる荒事を、家の藝としているからなのだろうか。プライベート写真はともかく、舞台上で観る鎌倉権五郎は、異形の姿であり、誇張した装束、鬘と拮抗するようにして、ひとりの身体がある。
身体が持つ力とは、いったい何に依拠するのだろうか。ひとによって解答は違うかもしれない。
目の力「睨み」を指摘する人もいるだろう。
怒りの文字を身体の内部に湛えていると考える人もいるだろう。こ
うした定式で語るのは簡単だけれども、仄聞すればこの役を演じるために海老蔵は体重を増やしたのだという。
以前、ピアニストの中村紘子が、よい演奏家の条件について語ったことがある。フルコンと呼ばれるもっとも巨大なピアノに拮抗するには、体重が必要なのだというのである。
海老蔵は、方法論は単純だが、出てくる表現は複雑という藝能の秘術をよく理解しているのかも知れない。体重とは、おそらく筋肉量の増加であろう。
コロナ禍によって延期になった團十郎襲名も、そう遠くはあるまい。
私はNOTEに新しいマガジン「天下無双 漢 海老蔵」を立ち上げた。この役者の実像に迫っていきたい。
襲名のときには、家の藝『助六』と『勧進帳』は、必ず出し物となるだろう。
『助六』の地方は、河東節である。玄人の演奏家ではなく、日頃から河東節を稽古している素人が御簾の奥とはいえ舞台上に立つ。助六を演じる役者は、この河東節の方々が詰めている役者に挨拶に行くのが慣例となっている。
友人の祖母は、日本舞踊家だけれども、何度も『助六』で河東節を勤めている。ごく初期の海老蔵は、楽屋にも入らずに、暖簾を分けて「よろしく」とひと言いうだけだったという。失礼きわまりない態度である。ところが、年齢を重ねるにつれて、きちんと楽屋に入り、正座して挨拶をするようになった。
「でもね、どっちがいいかよくわからない」
伝聞ではあるけれども、野性と暴力性で売り出した海老蔵が、礼儀正しく丸くなるのを、だれも望んでいない。伝聞ではあるけれども、高齢の舞踊家のこの感想を私はおもしろく聞いた。
https://note.com/hasebehiroshi/m/mc09dee51f69d
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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。