京都にある佐々木能衣装を訪ねる幸せ。
京都市上京区裏門通り中立売上ル神在家町二○二番地。
ある歌舞伎役者の紹介を得て、京都の佐々木能衣装を訪ねたのは、もう三〇年ほど前のことになる。
京都らしい仕舞屋の奥深い木造家屋の奥に通される。あいだには、染めが行われている桶があり、さらに進むと工場になる。
所狭しと昔ながらの織機が所狭しと並べられ、織りを待つ糸もひしめいている。織機はすべて人間の手で動かす。
以前は、空引き機で、二人がかりで織っていた。ひとりは、降りてと、もうひとりは機の上に乗って経糸を挙げる人が必要だったけれど、現在使われているジャガード機は、紋紙という型紙のようなものを使うことで、ひとりで織れるようになったという。
こうした見学の機会を得たのは、もちろん、どうやって能衣裳が織り上げられるのか現場を観たい気持からだった。勤務先の大学で、古美術研究旅行を行う時に、学生達に本物の職人の姿を見せたいと願ったからだ。大義名分があったのである。
織機のあいだの狭いスペースに、二十人あまりの学生を二班に分けて、見せていただいた。その織機の建てる音、細心の注意が払われている場を観るのは、美術学部の学生にとって、またとない機会になった。
ご縁ができたので、初めて伺ってから三度ほどお世話になった。はじめは佐々木家の当主にご説明を願ったが、最後に伺った時は、将来を託された若い職人が話してくださった。決して饒舌ではないが、重みのある言葉に打たれた。
今回、偶然手に入った佐々木洋次さんの『能装束精解 制作の現場から』(檜書店 二○二二年)は、これまで公開されなかった能衣装の詳細な事典になっている。能の見巧者といえども、触れ得なかった能役者と佐々木能衣裳の深い対話が伺い知れる本になっている。
編者は聞く。
「以前から疑問に思っていたのですが、佐々木能装束ではなくて、どうして能衣装なんですか」
佐々木さんは、「西陣では能衣装というのが能の織物、特に唐織の代名詞で、昔はどちらでもよかったのです」とあっさり応える。
さらに、
「今は、能衣装と言うと、能装束に直されますからね」
と、能の世界の権威主義についても、軽い皮肉をいうと、
「衣装というとお芝居の衣裳のようで、それよりも少し格式を持たせるということでしょうね。うちは英訳ではコスチュームではなく、ローブスと訳しています」
とかわしている。
一方、桃山時代の装束で、重要文化財に指定されている「桃山唐織」について、本の赤の色についても話している。
これについては、「鑑定はある程度できると思います。少なくとも古美術商の方よりも出来ると思っています」
この自負心。京都の人ならではのやんわりとしてはいるが、芯の強さが伝わってきた。
さて、私がお邪魔したとき、坂東玉三郎さんが佐々木能衣装であつらえた衣裳が、メンテナンスのために戻ってきていた。
制作するだけはないのだなとわかった。能は一回限りの公演だが、歌舞伎は二十五日間、衣裳を酷使する。このときの衣裳は、歌舞伎の本公演なのか、日数が限られた舞踊公演のためなのかは聞き忘れた。
そのときだったと思うが、若さゆえの無謀さで、学生のひとりが、能衣装の値段について質問した。
答えを聞いて驚いた。
金額はここでは書かない。単純な比較は慎まなければいけないけれども、たとえば京都で知られた老舗の袋帯より、はるかに良心的だったのを覚えている。
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長谷部浩のノート お芝居と劇評とその周辺
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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。