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村井良大、spiによる『手紙』に、ミュージカルの可能性を読む。

 ミュージカルでは、再演は最高の勲章となる。トニー賞には、ベストリバイバル部門があるし、日本でも白鸚の『ラマンチャの男』は、一九六九年から再演を繰り返した。

 とはいえ、ブロードウェイやウェストエンド発ではなく、日本オリジナルのミュージカルとなると、宝塚をのぞけば、再演を繰り返すのは、容易ではない。

 東野圭吾原作、髙橋知伽子脚本・作詞、深沢桂子作曲・音楽監督・作詞、藤田俊太郎演出の『手紙』は、二○一六年の初演、一七年の再演に続いて、三演を果たしたのは画期的な出来事だ。しかも、新国立劇場小劇場での初演から一転して、今回は東京建物ブリリアホールへ劇場を移した。千人を超える客席数だから、たとえて云えば、オフから初めてブロードウェイに進出したともいえるだろう。
 
 再演を重ねるうちに、基本的な劇構造はかわらないが、演出上の工夫はさらに洗練を増している。しかも、洗練が弱さにつながるのではなく、むしろ野性を取り戻す方向に行っているのは、演出の指向性だろうか。


 ミュージカルには、役柄、演技術に類型がある。様式的な演劇だといってもいい。そのため、表現できるドラマの深さに、どこか限界があると思われてきた。特に三演では、音楽に寄りかかるのではなく、歌唱の素晴らしさと台詞劇がお互い拮抗する関係をめざしている。
 そのため、ときに、ミュージシャン達は沈黙する。劇場は静まりかえって、俳優の言葉が客席に突き刺さる。観客は、登場人物の心の揺れを、自分のものとしていた。音楽の情調によらずに、心の深さが、観客を動かす場面が何度もあった。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。