私はやり直すことが出来ますか、

およそ3ヶ月ぶりのnote。
天です。

11月の投稿を最後に、音沙汰を無くしたため
私のブログを一度でも目にしてくれた方は

やっと死んだか双極性障害女。


そう思っていたかもしれません。
最後の投稿も病み腐っていたのでね。
残念ながら生きていました。

あの投稿後、彼とも仲直りをしまして。
今でも関係をは続いています。

さて、長くなる。

が、聞いて欲しい。
見てほしい。
誰かの力になりたい。
そう思い、記す。

まず、現状
昨年の私の9月末までの経歴。

1月〜2月。
闘病に専念するため、無職に。
カレンダー白紙。書く気力もなし。
何をしていたかも
薄らぼんやりとしか思い出せないレベル。
だいたい人の金で呑んでた。

3月〜4月
最愛の彼は日本最北へ旅立ち、
孤独感に苛まれ、うつは更に悪化。
海底を彷徨う骨状態。

5月
彼の一時帰宅や
旧友からの遊びの誘いが多くなる。
以前うつは酷く、誘いを断ることも多々。

6月
クリープハイプのライブへ行く。
励まされたのと同時に、躁スイッチがかちり。
手っ取り早い夜職に就くことを決意。
ガールズバーで働き始める。
昼夜逆転生活が始まる。

8月
彼と大喧嘩。
人生で1番多い量の安定剤を吐くことなく摂取。
人生で1番重篤な状態で救急搬送。
2週間の精神科入院。
退院後、生きている心地がしないまま
日々散財を繰り返す。

9月末、ガールズバーを退職。
 昼夜逆転生活、過度な飲酒、ストレスにより
+15kg
ガールズバーで容姿を散々馬鹿にされ、
醜形恐怖症に。
人生の中では稼いでいた方だろうに
手元に残ったのは諭吉1、2枚。

書いていて、思った。
悲惨だ。

まず、約半年の無職期間を終えた後、
何故ガールズバーに就いたのか。
理由は簡単だった。
楽そうだと単純に思ったから。
それだけ。
飲み屋をしていた知り合いのスカウトに声をかけ、簡単な面接で即採用。
お酒を貰い、呑み、話す。
それだけだと本気で思っていた。
当たり前だが、夜の世界はどこだって泥沼。
増量と、若干の肝機能悪化。
醜形恐怖症を拗らせた位で抜けられて
良かった位なのだ。

そして、10月は訪れる。

私を変えたと推測できる1つの要因。

初めて同級生の子を
抱いたことだった。

10月。
2人の同級生が出産をし、母となった。
ぜひ抱っこして欲しいと声をかけて頂き、自宅に赴かせて頂いた。
私自身、結婚願望も子供が欲しいという願望もありながら、
それはなんとなくでしかなかった。
具体的にイメージができなかった。
そもそも赤ん坊なんて、
5歳の時に生まれた従姉妹で最後だ。

そんな私が
初めて生まれたばかりの命を抱いた。

暖かかった。そして、重かった。
腕の中は幸せで溢れていた。
心も、満たされていた。
ただの生理的微笑。それだけなのに。
これが天国にいる感触なんだ。
そして何より、我が子を抱く同級生の顔。
それこそが幸せそのものだったのだ。

自然と涙が溢れていた。
そして、心から思った。
“生まれてきてくれてありがとう。”
“この子の人生に強い風が吹かぬように。”
と。

私は、18歳。そして19歳で
2人の家族を亡くした。
心臓が止まり、血の巡らなくなった冷たい肌に触れ、本当の意味での終わりを見た。
火葬後のあの焼け付くような香りは、今でも鮮明に身体が覚えている。

そして21歳になる手前。
ようやく、始まりの音を、温度を。
自らの肌で感じることが出来たのだ。

程なくして21歳になった私。


変わらなくてはならない。
昼の世界で
生きていかねばならない。
もがいていかねばならない。と

心に決めた。
そして、真面目にハローワークや役所、
病院に通い詰めた。

流石にすぐにはどうにもならなかったので、
一文無しの通帳をどうにかするのが先決。
として、日払い生活を始めた。

現代はとてつもなく便利だ。
即日払いの日払いを面接なしでできるアプリを二つ掛け持ちして、多い時は週4日。
真新しいその日限りの職場へと出向いた。

それでも足らなかったので、
徹底して節約をした。

11月は2回だけ、地元へ出向いて実家に寄り、犬と猫を抱いた。
そして、憎くて仕方のなかった父と祖母と腹を割って話した。
2人とも、嬉しそうに微笑んでくれていた。

その足で、親友と友人宅へ向かった。
子供を抱かせてもらったり
ミルクをあげてみたりした。

それ以外の遊びは一切せず、
日払いに明け暮れた。


そして、11月後半。
遂に選びに選んだ一つの職場へと辿り着いた。

自分の大好きな本、映画、音楽を扱う接客業。
雇用形態はパート。
もちろん、障がい者枠だ。

ハローワークに行った時点で
5人が落とされていた。
絶望的だなと思いつつも、
緊張の最中面接へ赴いた。

そして、こう伝えた。

障害に負けたくない。
自分と戦いたい。
自分の好きなことを追求したい。

結果、その場で合格をいただいた。
『もう7人落としたんだ。天さんが8人目だね。ぜひうちで働いてくれないか?』

全身に稲妻が走るほどに嬉しかった。
店長は変わった人だ。
しかし、私にとっては命の恩人なので、
よっぽどのことがなければ
おそらく心底嫌いになる事はない。

ただ、続くかどうか。
不安だった。

そこで目標を立てた。

  • 入れられたシフトは穴なくこなすこと。

  • 健忘で忘れやすいのは当たり前。とにかくメモをたくさん取ること。

  • 聞いて、見て、実践。
    とにかく、身体に覚えこませること。

  • 1ミリでもわからなかったら、確認を取ること。

店長は意外とスパルタ。
すぐに新しいことをやらせようとした。
それが吉と出たのか。
毎日少しずつ。
着々と出来ることが増えていった。

最近では少しずつ、コミュニケーションも取れるようになってきている。
先輩方も優しい方々が多い。
長い方が多いので、出来て当たり前文化はあるものの、強くあたられた事はあまりない。
店長の機嫌が悪くて理不尽に当たってくる時も、後からフォローしてくれたり。
恵まれていると心から感じる。

2月で、この職場に来て2ヶ月になる。
そして、人生で初めて。
社会保険、雇用保険を
かけられるまでになった。

そんな中でも、去年のクリスマス直後には
コロナに罹って仕事に行けなくなった。
その直後も後遺症に悩まされた。
かかりつけの精神科のある病院の夜間救急にお世話になったりもした。

その時は流石に不安定になり、うつ状態に。
大声をあげて泣いたり、過眠がひどくなって仕事に戻れるか不安にもなった。

けれど、今こうやってやれている事実。
それは、今の私に多大なる自信を与えている。

…まあ、そんな事は言いつつも。
現在躁状態が続いており。
要らないことまで喋ったり、散財が酷くなってはいるので、今後も要注意だが。

そして、こんな私だが
今春から大好きな彼との同棲が開始予定だ。
真新しい生活が始まり、
職場は今の何十倍も遠くなる。

心と身体の許す限り、この職場に居たい。
そう思うのだった。

あまり気にはかけていなかったが、
ここに来るまでの道のりでも、
数少ない友人と何人か縁を切った。

人って不思議なもので。
おそらく縁は切れる時に切れるように
そう出来ているのだと思う。

何故ならその人たちが私の生活から消えても、
なんの問題もなく時は過ぎるからだ。

最近は本を読むことに明け暮れていて、
自分で文章を書く事は実に前の記事ぶり。

大変拙い文章で申し訳なかったが、
私のnote内では指折り数えるほどしかない
喜ばしい内容の投稿で
今年初めての記事を彩ることができた。

今後私の人生はどの方向へ向かうのだろう。
それは私にもわからない。

最終学歴専門中退。
双極性障害II型。
障害者手帳持ちの私の人生を。

またお目に掛けてくれたら
それほど幸福な事はない。

拙い文章を読んでいただき
本当にありがとうございました。

これからも何かの節に書ければいいな。
その際はよろしくお願いします。

2023.1.28

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