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小説┊︎喫茶 エーデルワイス

 あなたの思い出話を聞かせてください。
 町外れにある小さなお店の立て看板に綺麗な字でそう書いてあった。このお店は喫茶店なのだが、知っている人はあまりいないと思う。と言うのもここにたどり着くまでの道が少し複雑で、分かれ道の多い路地裏を通らなければならないのだ。私がお店までの道を知っている理由、それはどこかのおとぎ話のような話だが「ついてきて」と言うようにチラチラと私のこと見ながら路地裏に入っていく猫に着いていき、そしてその先にこのお店があった。
 私は今日もお店の店員である伊織さんに会いに来た。
「こんにちは」
「こんにちは。また来てくれたんですね」
 ふわふわとした雰囲気の伊織さんはとても綺麗な人で、初めて会った時はさすがにドキドキしてしまった。
「今日はどんなお話を?」
「5年前の話です。私とその当時仲良かった友達の」
「なるほど。ではこちらをどうぞ」
 そう言ってダージリンティーとシフォンケーキ、そして紙とペンを渡された。この喫茶店は思い出話をお金の代わりとしている。商売として成り立つのか不思議だったが、そもそも人があまり来ないということと、普通にお金で支払う事もできるから大丈夫との事だ。
 私は温かい紅茶を1口啜ったあとペンを持ち、5年前の話を書き始めた。

 私には幼稚園の頃からずっと仲のいい「ゆめちゃん」という幼なじみの女の子がいた。ゆめちゃんは花を育てることが好きで、ゆめちゃんの家はお花畑のようにたくさんの花に囲まれていた。
 中学2年生の春、ゆめちゃんの家に遊びに行くと「一緒に育てよう」と花の種を渡された。
「なんの花?」
「咲いてからのお楽しみ」
 そういうと小さな植木鉢を持ってきて手際よく花を植える準備を始めた。
「こんな小さな植木鉢でいいの?」
「育ってきたらもうちょっと大きい植木鉢に移すんだよ」
 2人で1週間ずつ交代して育てようねと嬉しそうに話す。花を育てるのは初めてではなかったけど、あまり育てたことがないため不安だった。しかし、肥料や細かい作業は全てゆめちゃんが担当すると言ってくれた。最初の1週間はゆめちゃんで、そこから私とゆめちゃんが交互に花を育てた。ゆめちゃんから植木鉢を受け取ると早くも芽が出ていた。こんなにも早く育つのかと私は驚いた。
「水は表面の土がカラカラになってからでいいからね」
 私は自分の部屋の日当たりのいい窓際に植木鉢を置いた。まだ芽が出てきたばかりの植木鉢をワクワクしながら眺めていた。どんな花が咲くのか頭の中で沢山想像した。交換日記のように植木鉢を交換する日々。たった1週間という短い空白でも植物は大きく成長する。2回目の交換で受け取った時にはもう植木鉢が大きいものに変わっていた。そこからの成長はゆっくりとしていた。交換する度に少しずつ葉っぱが大きくなって茎が伸びていき、2人で成長を見守っている。
 夏休みにはいる頃には立派に発芽していた。夏休みはお互い旅行をすることがあって2週間交代の時があった。お土産と一緒に交換して、そのまま一緒に夏休みの宿題をやることもあった。暑さのせいで枯れてしまうかもしれないと不安だったがどうやら暑さに強い植物らしく、真夏の暑い日が続いても元気なままだった。むしろ私たちの方が夏の猛暑に負けていたと思う。
 冬服に衣替えをする季節になると、すでに茎がしっかりとして太くなっていた。
「大きくなってきたね」
「そうだね。来年の春頃には多分咲くと思う」
「そうなんだ!楽しみだな」
「この花ね、結構大きくなるから交換するの大変になると思うんだ。だから春になったら花が咲くまで美緒ちゃんのお家に置いてくれない?」
「いいけど私枯らしちゃいそうで怖いな⋯⋯」
 ゆめちゃんは大丈夫だよ!と親指を立ててグッドサインをする。
 それから春までは今まで通り1週間ずつ2人で交代しながら育てていった。冬には葉や茎がところどころ赤くなり、葉には模様ができていた。段々と赤色が濃くなり、冬の終わりには鮮やかな赤色や黄緑色になった。そして春を迎える頃にはかなり茎が伸び大きな葉っぱがわさわさと生えていた。確かにゆめちゃんの言う通り、これを交代制で育てるには持ち運びが大変だ。私たちが進級した学校帰り、ゆめちゃんの家に寄り、わさわさと葉っぱが生い茂った植木鉢を受け取り家に帰った。
「あとは美緒ちゃんに任せたよ」
「花が咲くまで頑張って育てるね!咲いたらゆめちゃんにすぐ教えるから」
「⋯⋯うん」
 私はこの時ゆめちゃんが少し悲しい表情を見せたことを、交代で育てる時期が終わったことが寂しいせいなのだろうと思っていた。
「お母さん見て。凄く育ったでしょ」
「ほんとだ。よく2人で育てたね。そういえばゆめちゃんのお家もうすぐ引っ越すんだよね?」
「⋯⋯え?」
 私は知らなかった。ゆめちゃんのお父さんが海外に転勤することになって、そのままゆめちゃん達も海外に行くらしい。それも来月に。私は悲しみとショックでその場に立ち尽くしてしまった。持っていた植木鉢をぎゅっと掴んだまま。あの時花が咲くまで私の家に置いて欲しいと言ったのは、一緒に育てることが出来なくなるからだった。どうして何も言ってくれなかったのか、そう思ったけれど言わなかったのではなく、言えなかったのだと理解した。私がその立場になった時、ゆめちゃんにちゃんと伝えられるかと言われたら多分伝えられない。きっとゆめちゃんもそうだったのだろう。
 私は翌日何食わぬ顔で学校に行き、普段と変わらずゆめちゃんと一緒に帰った。
「あのね、美緒ちゃん。ずっと言えなかったんだけど私、もうすぐ引っ越すんだ」
 少し震えた声でそう言ってくれた。
「⋯⋯知ってたよ。昨日お母さんから聞いたの」
「ごめんね。ごめんね、ずっと内緒にしてて」
「大丈夫。私もきっと言えないよ。でもこうやってちゃんと教えてくれてありがとう」
 ぽろぽろと泣き出すゆめちゃんにつられて私も泣いた。ごめんね、と言いながら泣くゆめちゃんと、大丈夫だよ、と言って泣く私。帰り道に初めて2人で大泣きした。

 ゆめちゃんが遠くに行く前に何を渡そうか毎日のように考えた。悩みに悩んでハンカチを渡すことに決めた。ネリネの刺繍が入ったハンカチ。
 花言葉は「また会う日を楽しみに」
 きっとゆめちゃんなら気づいてくれるだろうという期待を込めて今まで仲良くしてくれたことのお礼と、これからもずっと友達だということを綴った手紙とともに渡した。
「また会えるよね」
「うん!絶対会える!絶対に会う!お花のことよろしくね」
 あの日大泣きした私達は笑顔でさよならをした。2人で育てた花が咲いたのは、ゆめちゃんが引っ越してからすぐの事だった。
「あら、綺麗に咲いたね。これゼラニウムでしょ」
「へぇ、ゼラニウムって言うんだ」
 咲いてからのお楽しみと言われ私だけが分からないまま育てていた花はゼラニウムだった。ゼラニウムの花言葉は「尊敬」「信頼」「真の友情」らしい。ゆめちゃんも同じことを考えていたのだと思う。私よりもずっと前に。約1年間、ゆめちゃんが心に秘めた思いはこうして綺麗に咲いた。あの時の笑顔の別れにふさわしい鮮やかな赤色のゼラニウム。いつかは必ず枯れてしまう。しかし私たちの思いが枯れることはない。
 それから私の家の庭は毎年ネリネとゼラニウムが咲くようになった。

「伊織さん。書けました」
「お疲れ様でした。今日はいつにも増して真剣でしたね」
 5年前のことを思い出しては時々しんみりしてしまう。あれから結局ゆめちゃんには1度も会っていない。その代わり毎年春の季節に手紙を送りあっている。いつか会える日が来るのがとても待ち遠しい。
「伊織さんの思い出話も聞いてみたいです」
 私は残りのシフォンケーキを頬張りながら言った。
「私の、ですか?そうですね⋯⋯」
 伊織さんは口元に手を当てて考えている。
「今はまだ秘密にしておきます。いつかお話しますね。この喫茶店を始めた理由とか」
 ふふっと笑いながらそう答える。
「ですのでそれまでは」

 あなたの思い出話を聞かせてください。

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