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30代ゲイが、誕生日が近づく度に思うこと。

宇多田ヒカルは15歳の時に「最後のキスはタバコのflavorがした」と歌っていたが、僕は30代になってもなお、タバコのflavorのするキスなどしたことがないし、

宇多田ヒカルは23歳の時に「ありがとうと君に言われるとなんだか切ない」と歌っていたが、僕は30代になってもなお、ありがとうと言われても、めっちゃウレシー⭐︎くらいの感情しか湧かない。

おかしい。
この差はなんだろう。
なんだか切ない。

最近、年齢について考える。

毎年この時期になると、あぁ、またもう一つ歳を重ねてしまう•••と、思う。
昔は誕生日ってあんなに楽しみだったのにな。

今回は誕生日についての話を書こうと思う。


昔は、歳をとることが楽しかった。
大人に近づくことが楽しかった。
できることが増えていく感じが、楽しかったのだ。本当に。

でも、今はどうか。
誕生日を迎えるたびに、思う。
本当にこのままでいいのか?
年齢と共にできることが増えていくはずだったのに?
去年の僕と何が変わった?
数字だけ増えていって、中身は20代中盤くらいで止まっていないか?


ウワァァぁぁ。やめてぇ!!!!
それ以上年齢について触れないで!!!!
毎年、誕生日が過ぎていることを忘れたふりしてナイモン(マッチングアプリ)の年齢を昨年のままにしてるの言わないでぇ!!!!
となるのである。
(少々取り乱したが、ナイモンの年齢については今変更してきたので大目に見てほしい。)

この歳になって、子どもの頃、かつてのおじさんおばさんたちが
「もうこの歳になると誕生日なんてめでたくないのよーホホホ」
なんてドヤ顔で言っていた気持ちがなんとなく、分かる。

僕はいつの間にか、誕生日なんてめでたくないのよーホホホおじさんになってしまった。

そもそも、なんで誕生日を祝う必要があるのだ!
ただ、この世に僕が生まれただけの日じゃないか!!
そんな昔のことにこだわりたくはない!!!
僕は未来だけを見て生きていくのだ!!!!

情緒が不安定になってきたところで、
ふと、昔のことを思い出した。
なぜか、いまだに忘れられない誕生日が、ある。



1999年、大晦日。
メディアでは、2000年問題が大きく取り上げられていた。

アホな僕は、2000年になった途端に機械がパニクってやばいことになるらしいよ、くらいのことしか知らなかったんだけど。

でも、何かが起きるんだとワクワクしていた。だって、西暦の千の位が変わるんだぜ?今日と明日が違う世界になっちゃうかも、って。

2000年問題にちょっとだけワクワクしながら、アホな僕は、いつもの年末と同じようにリビングで紅白歌合戦を観ていた。
その年が初出場だったグループ、サムシングエルスの『ラストチャンス』をgive me a chance〜🎵なんて、英語の意味も分からないままリビングで踊りながら熱唱していた。

当時の僕は、一つの曲に異常なほどにハマるという謎の性質を持っていた。サムエルのラストチャンスと、パフィーのアジアの純真が、その代表だ。
長野県に旅行に行ったとき、東京〜長野間の車中でアジアの純真をエンドレスで掛け続けた結果、母親が遠くを見つめながら「もうパンダを見るのもいやだ」と独り言のように呟いていたのを、覚えている。

翌朝、元日。目を覚ました僕は、何かが変わっているはずだというよくわからない期待を抱いたまま外に飛び出した。そして、世界が1999年と何も変わらず動いていることに、なんだかとてもがっかりした。



その年の誕生日。
2000年問題のことなんか1㎜も覚えていないアホな僕は、口の周りをクリームだらけにしながら、ショートケーキを食べていた。いつものことだ。僕は昔から食べ方がうまくない。このまえ、ご飯粒が耳たぶについていた時にはさすがに引いた。

最後までとってあったイチゴを食べ、一息つく。
あぁ、なんて美味しいんだろう。ショートケーキは幸せの味がする。

そばにあったコップに手を伸ばし、水を一気に飲んだ。

と同時に、その水をものすごい勢いで全て吹き出した。

コップに入っていたのは水ではなく、母親の焼酎だったのだ(我が家は父親が一滴も酒を飲めないに対し、母親は信じられないくらいの酒豪だ)。
誕生日を迎えたばかりの小学生男児が焼酎を一気飲みし、それをスプリンクラーのように家族の顔面に吹きかけた。
僕のクリームだらけの口から吹き出された焼酎が家族全員の顔面に綺麗にかかっていく瞬間を今でも鮮明に覚えている。焼酎まみれになった机上の手巻き寿司。歪む父親の顔。叫ぶ母親。地獄絵図である。
母親の顔を見て、僕にはもうラストチャンスなんてないことを確信した。

父親は静かに手巻き寿司を片付けていた。

誕生日なのに、めちゃくちゃ怒られた。
それでもやっぱり、次の年も誕生日が待ち遠しかった。



2023年、夏。
コロナが落ち着き、メディアでは毎日のように倍増した旅行者の数が取り上げられている。みんな楽しそうだ。
僕は23年前と変わらずアホだが、変わらない日々が続くことがどれだけ幸せなことか、今ならなんとなく分かる。
何かの変化を期待して外に飛び出すことも、もちろん、もうない。

30数回目の誕生日を前にした僕には、同じ曲を永遠に聴かせられ続けた結果、パンダ嫌いになってしまったり、顔面に焼酎を吹きかけられたりした母親への謝罪の気持ちがようやく芽生え始めている。

あの頃から何が変わったかなぁ。
久しぶりにサムシングエルスのラストチャンスを聴いてみた。

僕だけが取り残されたようで
友達が幸せそうに見えた
でも最近じゃ自分をもっと好きになろうと心に決めたんだ
give me a chance
最後に掛けてみたいんだ
once more chance
後悔だけはしたくない
一体どこまで
できるかも分からないけど

ラストチャンス

僕だけが取り残された?
最後に掛けてみたい?
自分のことを好きになると決めた?
あァ、なにも分かってない10歳のお前が歌うには早いよ、早すぎるよと、小5のharuyaにドロップキックをかましたい。





いや、と思う。
もしかしたら、その不釣り合いな感じがいいのかもしれない。小5のアホな僕だから、よかったのかもしれない。


今の僕が歌ってたらなんだかちょっと切実すぎて聞いてらんないわ。

と思って、曲を途中で止めた。



LINEは、誕生日になるとアイコンが三角帽を被るし、Twitterは、誕生日になるとプロフィール画面に風船が飛ぶ。いろんなところが全力で誕生日を祝福してくる。

こうやって最近は、今日はお前の誕生日だぞ!!!!を多方向からいろんな形であまりにゴリ押しされるので、誕生日なんてめでたくないのよーホホホおじさんも、あれ、もしかたら誕生日おめでたいかもしれないなーハハハおじさんに変わりつつある。

いやいや、たかだか風船が飛んだくらいでなにがおめでたいだ!と思う自分がいないわけでもないが、まぁ去年からなんとかこの1年間生き延びることができたわけだし。それだけでもう十分でしょうよ。という自分がいるのも確かだ。

歳を一つ重ねることへのプレッシャーからはどうにも逃れられそうにないけど。


という、それっぽい文章を書くことを通して、それとなくもうすぐ誕生日ですよアピールをしようとしている僕の本心はもう皆さんにバレはじめていると思うので、最後にいちばん大事なこと言いますね。



僕の誕生日は9月12日ですっ!!
祝ってくださいっ!!!!!!!!

久しぶりに更新してみました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

では、また。








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