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【短編小説】 藍を演じる①

一、庚の男

藍色がわたしを責め立てる。
『お前は弟子で、おまえは男だ。師は師で、師は男だ。』
この言葉を何度も繰り返し自分に言い聞かせてきた。

師は、藍色を好んで着る。
わたしは、藍色を纏う師の背中を見ながら占術を学んだ。そして、占い師としての尊敬だけではない、自分では認めたくない特別な感情をもって見つめていた。
だから清廉潔白を示すとされる藍色がわたしは憎らしかった。その藍色がわたしと師を隔てる結界になっているように感じたからだ。
師はいつも、わたしとの間見えない一線を引いた。決して超えてはいけない一線をいつも確かめながらわたしに接するのを、わたしは感じていた。
その度に、わたしはほっとすると同時に傷ついたのだった。

この世界は対になるようにできている。
月と太陽、光と影、陰と陽、火と水、男と女。
たとえ天と地がひっくり返ろうとも、わたし達はそのどちらの条件にも当てはまることはなく対になることはできないと思っていた。

師の父上は依頼の絶えない優れた占い師で高い的中率を誇っていた。そして皇帝からも意見を求められるほどの人格者で、村中の人々から慕われていた。
物心つく前に両親を失くし天涯孤独の身になったわたしを父の友人だった師の父上は家族として受け入れてくれた。師の母上は、産後の肥立ちが悪く師を産んで間もなく亡くなっていたので、師の父上は男手一つでわたし達を育ててくれた。

占術は一子相伝、親から子へ代々伝えられるもの。紙に残すことはなく、そのほとんどが口伝えでの伝承とされている。それは、門外不出の学びの宝で、家宝とも言える知識。幼いわたしもその傍らで毎日占術の話を聞いて育った。

夏の終わりのある日、師の父上がわたしの命式について話してくれたことがあった。秋風が吹き始め、赤とんぼが生垣の縁に並び背中に自分と同じ色の夕陽を浴びていた。
わたしと師の父上は庭を眺めながら縁側で茶をすすっていた。
「お前は随分と力強い命式を選んで生まれてきたようだ。」
「それはどのような読み解きによるものなのですか。」
「お前の日柱の干支は庚だ。庚とは剣を表す。
剣は武器だ。己を守る武器であり、他を守る武器であると同時に己も他も傷つけてしまう武器でもある。」
「自分のなかにそのような剣があるとは、なんとも恐ろしいです。」
「そうだな、だから己の剣の使い方を誤らないようにせねばならない。そのためには己の剣を磨くと思って心を磨くのだ。錆びぬようにな。試練はお前にとっての研磨剤となりお前の剣は磨かれる。そして、忍耐強く己と向き合い、己に問い続けるのだ。己の陰の一面から目を逸らしてはならないぞ。そこにこそ、己の真の望みが隠れているのだから。そして何より己の気持ちに正直に、純度を高く保って生きるのだ。お前の直感はときに目の前の真実よりも正しいことがあるかもしれない。もし、決断に迷うことがあればその時は己の直感を一番に信じなさい。」
己の気持ちに正直に。純度を高く保って生きる。己の直感を信じる。わたしは忘れないように何度も頭の中で繰り返した。
「それから、おまえの命式のなかで組み合わされてできた律音はお前を照らす光で、お前自身であることを忘れるな。」
「自分を照らす光が自分の中にあるのですか。」
「そうだ、お前の命式のなかには二人のお前がいる。
互いに、ときに光となり、ときに影となる。
光がないと影はできない。よってお前は自分自身を照らす光そのものなのだ。」
「なんだか、わかるような、わからないような。」
「そうだな、でも、いつかわかる日がくるだろう。わたしの見たてだと、お前には占術を広める役目がある。我が息子と共にこの占術を守り、広め、多くの人々の役に立ちなさい。」
まだ地面に足が届かなかったわたしは、縁側で足をぶらぶらさせながら自分の内にある剣とやらを想像してみた。
生垣の赤とんぼは物音に驚いて群れをなして夕焼けの空に飛んで行った。
それから数年後、師の父上は、師に占術を教えきると同時に流行り病にかかりあっけなくこの世を去ってしまった。
わたしも師も、共に孤独の星を選んで生まれてきたのか、家族というものには縁の薄い身の上だった。

春秋戦国時代に生まれたこの占術の読み解きは複雑を極め、なかでも師の唱える流派は緻密な読み解きで、師は父上顔負けの当代随一の占い師だとささやかれるようになった。
わたしの主な仕事は、師が星を読み解く下準備だ。
この占術は、生まれた年・月・日・時間から干支を導き出して読み解いていく。
どこか一つでも間違っていれば、その結果は別人のものになってしまう。占いとは、ともすればその人の人生を変えてしまう力を持っているがゆえ、わたし達は師の父上の教えの通り慎重に正確に調べ上げることを守った。
わたしはこうして師と寝食を共にしながら占術を学びながら、師に仕えた。
そして心の内では、認めるには苦しすぎる特別な感情を師の前ではひたすらに隠し、誰にも打ち明けることなく弟子を演じた。師の纏う藍色のように清廉潔白な師弟関係を保ち続けるために。


続く。。。

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