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『クレヨンしんちゃん』クレヨンホラー劇場「恐怖の幼稚園だゾ」のガチの怖さを徹底言語化検証

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◆ホラー回

『クレヨンしんちゃん』は不定期にホラー回が放送される。
そのひとつが、クレヨンホラー劇場「恐怖の幼稚園だゾ」だ。

初回放送日は1997年8月8日。夏の風物詩にふさわしい時期だ。
四半世紀前だし、セル画だし、4:3サイズだが、先週放送されていたと言われても全く違和感がない。『クレしん』は30年も放送されているのに全然時代を感じさせられないのはすごいな。

サブタイから如何にもなホラー回だと分かりやすく主張してくれる。
「ハハハ、そんな子供だましなんてされても怖がらないぞ」と見くびった人は少なくはないのではないだろうか。かくいうぼくも「な~んかわざとらし~な」とナメていた。
すいませんまじナメてました、ねえなにこれなんなのこれマジこえーんですけど

◆BGMの大切さ

BGMって、その、やっぱり偉大なんだなあ…

今回最初に念頭に置かれた感想はこれだった。
ご長寿アニメは視聴者が求めている・期待しているだろうアタリマエのような「いつもの」要素が不可欠だ。アンパンチで吹き飛ばされるばいきんまん。ドラえもんに泣きつくのび太。印籠をつきつける黄門様。毎度トンチキすぎる浦沢脚本。まさに実家のような安心感がしっくりくる。

その代表例が親の声よりも聴いたBGMである。
貴方は『クレしん』のBGMと言われるとどんな曲を連想するだろうか?
と言われてもどのような曲なのか、そもそも曲名すら分からないのでかなりふわふわした意見になるが、今日もまたおバカな一日がはじまるのを予感させられるBGMが多いのは間違いない。コメディに精通したBGMがいくつも脳内再生余裕の極みだ。
あとまあ、しんのすけがやらかしたときの緊張感あるBGMもだな。「デッ、デッ、デッデッデッデッ…ポリィン」ってやつ。オノマトペヘタクソだな自分。

ホラー回はそんないつものBGMが一度も流れない。
野原家全焼回という縦回とは異なり、一話完結の横回ではあるのだが、一時でもいつもの日常が崩壊された不安を煽らせるのが大変秀逸だ。「いつもの」がないだけでこんなにも不安にさせてくれるとは。

そしてわれわれは、その「いつもの」に強いありがたみを抱くこととなる。
この後いつもの日常回見たらスッゲエほっとしたくらいだよ!

◆頼れる大人・まつざか先生

今回地味に注目したいのはまつざか先生の存在だ。
この人も案の定終盤でホラーの餌食にされてしまったのだが、中盤までは大人がひとりいるだけで大分気持ちが変わる安心感が提供されていた。

組長やよしなが先生に代役を任せても変わらなさそうだが、今回は普段送迎してくれるよしなが先生の代わりにこの人になっただけで「いつもの」が一変された要因なので外せられない。
また、まつざか先生は先生組の中ではコメディリリーフの色が強いからか、劇場版ジャイアンのようなギャップ補正が発揮される。園児たちを落ち着かせようとしたりと、妙に心強いのだ。

仮にいつものかすかべ防衛隊(ボーちゃん除く)だけだったらどうなるかは分からない。肝試しではないので、子供だけしかいないのは可哀相に見えたかもしれない。そんな中で、まつざか先生の存在は刺激的だ。
大人がいてくれる安心感と期待感、犠牲者になってから一転させられる絶望感をわからせてくれるのだ。ホラー映画あるある「キャラがひとりずつ殺される」の構図に近い。最終的に風間くんひとりだけになるしね。

◆ギャグ無効化という絶望感

怖がるレア野しんのすけ

『クレしん』はかすかべ防衛隊といういつもの5人だけで活躍するケースは珍しくない。劇場版が特に顕著だ。「幼稚園児だけで大丈夫なのか?」という不安を機に留めている人はいるかもしれない。
が、少なくともぼくはそういうものは全く意識していない。『クレしん』にはそういった不安は求めていないというか、そもそもしんのすけならなんとかしてくれる信頼感がある。
つーかしんのすけって5歳児ならぬ機動力半端ねえもん。劇場版見るたびによくあんな曲芸みたいに動けるなあと感心させられる。敵からすれば相当厄介だわ。

ホラー回は正体不明の存在が敵だ。
しんのすけですら恐怖に抗えないのは等身大の5歳児らしい。というかかえって新鮮味があった。お前、ピーマン以外に抗えないものがあるのか。
劇場版なら勇気を振り絞ってラスボスにカンチョーするだろうが、見えない敵にはそんなギャグ技は使えすらしない絶望感がすごい。空気をひっくり返すようにケツだけ星人になってブリブリーブリブリーしても何も変化なさそうだもんな。というか、ホラーの黒幕が下手にツッコんだりしたらいつものギャグ回になるから台無しだ。

◆逆さ石化

シンプルに怖い絵面だな…
ボーちゃんや組長をはじめとするいつものメンツが石化され、しかも何故か逆さにされ、落下し砕け散り………ただでさえ石化は心苦しくなれる有様なのに、なんてことを…

その後も、ネネちゃんがトイレに流され(悲鳴が生々しい)、しんのすけが落下した石化モブの下敷きにされ、まつざか先生が黒幕らしき存在に身体を乗っ取られ…7分の短編だからこそ、事態はサクサク悪化していく。

本家クレしんがこんな残酷な絵面を提供してくれるのはあまりにも想定外だった。人の心とかないんか?
今回の配信を経て初めて見たのだが、当時の視聴者はトラウマになったんじゃないだろうか?というか臼井先生よくGOサイン送ったな!?

◆悪夢は現実となる

現実

「夢が正夢になろうとは」という終わり方は定番、あるあるだ。ホラー回だからこのままいつものおバカな一日に戻るのは決して許されない。予想的中なのだが、視聴者が求めていた(?)ものを叶えて期待通りとも言える。捻りがないと批判する人はいるかもしれないが。

結局この先どうなったのか分からない。
投げっぱなし…というのは違うので、まあ単純に視聴者の想像に任せる方式だ。「結局なにもなかった(風間くんは一日ずっと身震いしていそう)」「悪夢では見れなかったその先の絶望」「アクション仮面が助けてくれた」「ぶりぶりざえもんが裏切った」等、様々なルートが想像できる。

◆最大の謎・ボーちゃん不在

既に石化された犠牲者のひとりとして本編に登場したが、誰ひとりボーちゃん不在に気をとどめていなかったのも怖かった。
バス内で「あれ?ボーちゃんは?」「知らなーい」「風邪ひいたのかなあ」と話題にしなかったし、石化ボーちゃんを目撃しても「ボ、ボーちゃん…!?」と声をかけることもなかった。まるでモブ園児のような扱いになっている。逆マンソンとも言える。

普段組長がバスを運転しているが、代わりに謎の男。特に意味深なカットはなかったので、安易に黒幕扱いするには根拠不足だ。

本来存在しない第四の教室。これは結局なんだったのか。

…まあ7分くらいの一話完結短編ホラー回にこれ以上追求するのは不毛なのだが、やはりどうしても煮え切らない。けれど、そんな煮え切らなさがあるからホラー回として完成されているのだとぼくは考えている。

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