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我が家の中心は犬。やんちゃガールに襲った出来事から感じたこと。

ある平日の夜。
私は日帰りで大阪出張から帰り、ご飯を作って、夫と2人で遅めの夜ご飯を食べることにした。

我が家には、なかなかやんちゃな7ヶ月の犬がいる。私はいつの間にか「やんちゃガール」と呼んでいるのだが、その日もいつもと変わらず、イタズラをする彼女に「こら!」と声が飛び交った。

その後、出来上がった夜ご飯を2人で食べ始めた時のこと。

犬がゴミ箱をあさろうと、リビングテーブル近くのゴミ箱に顔を入れようとした。実はこの姿は最近習得した得意技。ゴミ箱に何か入っていることを察知すると、よくやるのだった。

その日は夫が「こら!」とゴミ箱をどかした瞬間のこと。

「キャーン、キャン」とこれまで聞いたことがない鳴き声とともに、崩れ立ち上がれなくなってしまった。名前を呼んでも、じっとこちらを見つめるだけ。

これまでにない状況に「え……?」と状況を捉えるのに必死になった。

そして、ふと思い出す。

かかりつけの動物病院でワクチンを最初に打った時、獣医さんから「夜間はやっていないので、もし何かあったらここに電話してね」と連携する救急センターを教えてもらっていた。

「お財布に入っているはず」とたまたま近くに置いていた財布を取り出し、中に入っていた紹介カードを夫に渡し、電話をかけてもらう。その間に私は犬を抱くも、静かで、暴れることもない。

無事、救急センターにもつながり、慌てて車に乗り込み向かった。

現地に着くと、同じように犬を抱いた人や、ペットを預けた人が待合に数組いた。平日の夜21:30でも同じような人がいるのか…と、救急の現場を体感する。

問診票に状態を記載し、迎えに来た病院の方に犬を預ける。私の腕から離れていった犬はブルブルと震えていた。

数分後、診察室に呼ばれると、同世代だと思われる男性の獣医さんと診察台には犬がいた。獣医さんに抱かれ部屋の床に下してもらった犬は、一歩も歩けなかった先ほどの様子が嘘みたいにスタスタと歩いた。

「歩ける…」

そうホッとしたのも束の間、撮影したレントゲンから「パテラ(膝蓋骨脱臼)」であることが分かった。初めて聞く症状だったが、人間にも同じことは起きることは理解でき、やんちゃガールの犬種である、トイプードルには多いらしい。

そして「ひどい場合は手術ですね。かかりつけの病院で相談してみてください」とのことだった。

「まだ幼い犬だけれども手術…」と悲しい気持ちでいっぱいになりながら、再度腕に戻ってきた犬には少し元気が戻っているようだった。

あの時から時間が止まったかのような、食べかけの夜ご飯もそのままに残った家に帰宅をすると、先ほどとはうって変わり、足をびっこして歩く痛々しい姿に。本人も痛いのか、これまでとは異なる身体であることを実感したのか、これまでにないくらい大人しく、床に伏せ歩かない時間が増えた。

「会話ができたらいいのに…」

そう何度も思った。

翌朝も同じ状態だったため、夕方、かかりつけの動物病院へ。昨夜の病院からの報告書が届いていたようで、名前を呼ばれ、診察室に入るや否や先生から「どう…?」と言われる。

診察室では昨夜同様にスタスタ歩いているものの、問診で「あぁ、やっぱりそうだね」とパテラの詳細を教えてくださった。

「開業して10年だけど、今回のような手術は整形外科専門の病院を紹介していてね…」と先生が紹介し始めると、助手の方が病院のパンフレットを出してくださった。処方される薬を服用し、数日後に再び通院して手術の判断を下すことになった。

引き続き、家では足をびっこさせる姿が痛々しいし、何かにつけて構って欲しいのか、つぶらな瞳で見つめられるので、床に座り犬を迎える。
3つの足で懸命に向かってくる姿を見ると、つい胸がキュッと締め詰められる感覚だ。

ある日の夜、ご飯を食べながら、夫がボソッとつぶやいた。

「元気すぎるのもアレだけど、元気がないのは辛いね…散歩にも行けないし…」

私もつい自分の身体のことを忘れ、犬に気を遣うも、結局何もできないことに無力さでいっぱいになっていった。

たった5ヶ月前の2人暮らしでの日々が思い出せないくらいに、賑やかなだったこれまでの生活。そんな生活から静寂の時間が訪れ、改めて私たちの生活の中心であったことを痛感する。

実は、私がよく見る占いの年間占いには、彼女がやってくることが決まることになった月には「家族が増える」と書いてあった。犬を飼うとは全く考えていなかった私からすると、当時は「…?」だったが、結果かわいい家族が増えた。

そんなこんなで4ヶ月。日々、犬中心の生活をお子さんがいる方に話をすると「子育てと一緒だね!」と言われるようになった。子育てをしたことはないけれど、このような感覚なのだろうか…と思っていたが、今回の弱った彼女の姿を見て「やはりそうなんだろうな…」とぼんやりする。

彼女はこんな状況であっても、懸命に生きようとしている。そんな姿を見て、彼女は彼女の人生であり、私は私の人生であることを実感する。とはいえ、このようになってしまった原因を作り出してしまった私たちに何か非があったのではないか…と何処か責めてしまう部分もあるのだが、なってしまった以上、最善を尽くしたいと思う。

本当であれば、家族になって3ヶ月のタイミングでnoteを書こうと思っていたが、あれよあれよ…という間に過ぎ去っていき、タイミングを逃していた。

また週が明けたら病院に行く予定だし、そこからの変化もさまざまあるだろう。また落ち着いたタイミングで書くこともできるが、またタイミングを失うかもしれない…そう思うと、「今の気持ちで書く」という選択肢が浮かんできた。

ちなみに、この数日間は夫と彼女を心配する時間が増え、また2人の関係性もまた変化の時が訪れているような感覚だ(決して悪い意味ではない)。今回の出来事もまだまだ変化を迎えていくだろうが、これからも2人と一匹で乗り越え、いつか「あんなこともあったよね」と言いたいな、と思う。

***Xもやってます***


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