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20年ぶりに訪れたルーツの地で気づかされた、他者との関係性の築き方

「春生まれなんですか?」

初めての方やまだ関係が深くない方と話をした時、よく聞かれる質問の一つ。名前に季節や季語がある人は、共感いただけるのではないだろうか。

もちろんその季節に関係する人も多いだろうが、私は違う。

「あ、冬生まれです…(笑)名前の由来は山の名前で…」

子供の頃…とかなり漠然、いつの頃だか忘れたが、「父の地元の近くにある山からつけた」と聞いたのがきっかけだった。

2022年3月31日、そのルーツである場所に降り立つことになった。
実は前回訪れてから20年ぶりのこと。(おそらくもっと経っている)

「久しぶりの帰省が、叔父に最後の別れを告げることになるとは…」

信じがたい気持ちと共に平日の朝、出張に向かうビジネスパーソンと共に新幹線に乗り、向かう。新幹線から在来線に乗り継ぎ約2時間。もはや前回の記憶がないので、今やさまざま地域に行くようになった私からすると、駅前は整備され、のどかな地域の一つ…という印象だった。

今回は、久しぶりの地で言葉にならない時間を過ごすなかで、気づかされたあることについて話してみたいと思う。

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叔父の家族、弟である父、母と妹と私。久しぶりに集い、叔父の話になる。

「そんな話、知らなかった」
「知らなかったんだけど、実は」
「へぇ、そうなんだね」

私と妹はもともと、深くは知らなかったのだが、誰一人、完璧に叔父を知っている人はいない。会話のなかから出てくる「こうだった」の掛け合わせで、新たな叔父が生まれていった。

ある話のなかで従兄弟と父はこんな会話をしていた。

「何で言わなかったんだろう?」
「親だしね、子どもには言わないよ」

私自身、これまで「嘘をつかれた」経験に「他者に対する不信感」を抱いたことがある。この経験がもとになり、他者との関係をどう築いていったらいいのだろうか…そうずっと感じていた。正直、今も分からない。

だからこそ「正直でいること」が是であり、「私は正直でいたいし、相手にもそういてほしい」と思っていた。しかし相手に求めることとしては、押し付けだったようだ。

「真実を隠すことで関係性が深まり、進むこともある」

真実を隠すことには、大きく二つあると思う。一つは、全く別の嘘をつくこと、もう一つは言わないことである。後者の「言わない」はさらに意図的なこと、そうでないことに分けられる。タイミングを逃してしまった…と言い換えると、経験がある人もいるかもしれない。しかし相手からすると、どちらも「隠されていた」との印象を与えかねない。

そして隠した真実が綻びとなり、関係性が崩れることもある。もちろん綻びが出た時に、謝罪やその理由を明らかにすることで保たれることもある。よって一概に括ることはできないのだが。

私は崩れたことがきっかけで、自身の思考が形成されたが、今回「崩れないことで互いが幸せなこともある」そう気づいたのだ。

もちろん大人と子どもではより複雑になるであろう。相手が子どもならば、より難しいことも多いだろうが、今回は大人同士で考えてみる。

「なぜ言ってくれなかったのか」

隠された相手からすると、こう思うことがあるだろう。私だったらつい、思ってしまう。しかし隠した理由はさまざま。これまでの私だったら「相手に責任がある(相手が悪い)」と思ってしまう。

しかし全てがそうではない。自身のプライドだけでなく、相手への配慮、タイミングを逃した…など、決して悪いものだけではないようだ。

「相手への優しさがゆえのこともある」

さらに自分自身にも当てはめて振り返ってみると、あることに気づいた。私でさえも、過去に相手を優先するあまり、自分に嘘をついていたこともあった。それでもその状態には限界もあり、いつも綻びが出てしまう。

そう。先ほどの述べた通り、自分がされて嫌だと分かっていながら、同じことをしてしまっていたのだった。なんだか恥ずかしくなった。

「やっぱり正直でいたい」

これまで書いてきてなんだが、私自身はやはりこの気持ちが強い。さらに相手に嘘をつかれることも好きではない。しかし、それを相手に押し付けることはしたくない。今回を経て感じる、正直な気持ちだ。

そう考えるとさらに、日々思い感じることは互いに話し聴き合える関係性をつくっていきたいな、と思うようになった。「正直でいたい、嘘をつかれたくない」と思いながら、夫から「嫌いだ」と言われたらショックを受けるどころではないだろう。何がそうさせてしまったのだろか…との問いに永遠に向き合うことが想像がつく。

それでも「嫌いだ」と一方的に言われる前に、話し聴き合える関係性であったらその手前で原因を解消することができるのではないか。(そう言われないように、ある種の願いを賭けているいるような気もするが)

「話し聴き合える関係性を壊すのは自分でもある」

実は訃報が入る前日、私は別件でショックを受け、気持ちが落ちていた。励ましの言葉をかけてくれた夫にも「(体験していないからこそ)自分の気持ちが分かるもんか…」とつい素気ない態度を取ってしまっていた。つまりは聴き入れる関係性を自らで放棄していた。素直に反省。。

もちろん24時間365日、互いが元気で話し聞き合える関係性でいられることはないだろう。それでも、せっかく生きているのだからこそ、少しでも多くの時間をそんな風に過ごせたらな、と。

私は少なからず、言いたいことを押し殺してしまう癖があるし、余裕がないとつい、自分の中に篭ってしまう。そう認識しているがゆえ、改善の余地は多いにある。それでも相手が子どもだったら、難しいかもしれないが、大人同士であればまだ希望はある。

「まずは自分が整っている必要がある」

一つひとつの積み重ねで、一人ひとり、互いの関係性はできていく。矛盾を持ち合わせているからこその「人」の面白さと難しさに、これからの日々も向き合い続けていきたい。

本来であれば、こんな時間は過ごしたくなかった。しかしまた一つ自身のアイデンティティを再確認させてもらった時間でもある。この気づきを無駄にすることなく、これからも生きていきたい。


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