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他人を敵だと思うことをやめる。


他人を敵だと思って入るのをやめたら、自分のことが少し好きになった。

これは、最近自分の中で革命だったこと。

あまり深く考えたことはなかったけど、今までのわたしは他人を敵だと思っていたと思う。

たとえば、こんなことがあった。

近所のスーパー銭湯で1人で入浴して、身体を拭いて服を着て。

約束の時間が迫っていたから少し急いで髪を乾かしていたら、鏡越しにお婆さんと目が合った。

他にもドライヤーは空いているし、何か困っている様子にも見えないし、もちろん知り合いというわけでもない。

お婆さんはわたしの周りをうろうろと歩いて、一体何がしたいのかわたしにはわからなかった。

「どうかしたんですか?」

と言えれば良かったんだけど、急いでいたわたしにはそういう心の余裕もなく。

理由もわからずわたしのことを見ているお婆さんに、心の中でモヤモヤするばかりだった。

言ってしまえばこの時わたしは、お婆さんを敵と見なしていたのかもしれない。

だけどそれから数分後、事態は一変した。

虫が大の苦手であるわたしの足元に、大きな虫がいるのに気がついて。

大声を出すわけにもいかないから、わたしは反射的に避けてフリーズした。

場所を移動することも考えたけど、その温泉はコインでドライヤーを動かすタイプだったから躊躇う気持ちもあって…

だけど虫も嫌だし、どうしようなんて考えていたところへ、わたしの前に現れたのがさっきのお婆さん。

ティッシュを持ってきてその虫を捕まえてくれたのだ。

わたしは赤の他人で、お婆さんだってドライヤーを使っていたわけじゃないんだから知らんぷりだってできたのに。

「ありがとうございました!」

わたしがそう言うと、お婆さんはニッコリ微笑んでくれた。

わたしが勝手に敵扱いしてしまっていたお婆さんは、心優しい救世主だったんだ。

それに気づいたわたしは、心の中で敵扱いしていたのを申し訳なく思った。

はじめから敵だなんて思っていなかったら、心優しいお婆さんにもっと違う態度をとれたかもしれないのに。

知らない人を敵と見なして入ることが、どれだけ勿体ないことか強く感じさせられる出来事だった。

それから、こんなことも。

当時飲食店で働いていたわたしはいつも帰りが23時くらい。

だけどその日は珍しく夕方に帰ることができて、家で何しようか楽しみに帰路についていた。

そして家まであと数分という所で、それは起こったのだ。

人間が2人並んでギリギリ通れるかどうかの歩道で、少し遠くに自転車に乗った小学生が見える。

自転車2台横並びだから歩道はギチギチで、とてもすれ違う余裕はない。

そこでも、わたしの敵モードは発動した。

「子どもだから仕方ないけど、迷惑だなぁ…運が悪かった。」

そんな風に思いながら道を譲ろうとした時。

「待って!」

小学生の1人がもう1人にそう言ったかと思うと、

「人が来てるから避けよう!」

と言って1列になってくれたのだ。

わたしはまさか子どもがそんな気遣いをしてくれるなんて思っていなかったし、心の中で敵扱いしてしまったのに…

真っ直ぐな心で親切にしてくれた彼らに、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

ここでもわたしはできるだけの思いを込めて、「ありがとうございます!」と言いながらすれ違った。

彼らを敵だなんて思わず、こちらも笑顔で譲ることができていたら、きっとお互いに気持ち良かったんだろうに。

わたしはこういう経験を重ねるうちに、他人を敵だと思って入り、心の中でネガティブな思いを抱くことがとても勿体ないって気づいた。

きっとわざわざ気づく必要なんてなく、はじめから他人に好意的な思いを持てる人もいるんだと思う。

だけど気づけただけでも、良しとすることにする!

わたしが他人を敵だと思わずに、親切な心を持てたとしたら…

他人を敵だと思ってしまう人に同じように「あっ、敵じゃないんだ」って気づかせてあげられるかもしれない。

それって他人のためになると思いきや、実は自分のためにもなる。

他人に冷たくしている自分と親切にしている自分…

比べたらどっちが好きかなんて、きっと考えなくてもわかるはず。

そういう繰り返しでわたしたちはきっと、自分を好きになっていけるんじゃないかな。

そう思うようになった。

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