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感情≠わたし

感情のおはなし。

先日熊本まで、片道三時間半かけてドライブしてある人に会いに行ってきた。
わたしは今、アーユルヴェーダの日本人ドクターから毎週三時間の講座を受けている。正直、MBAを取っていた時と同じくらい頭を悩ませている、めちゃくちゃ本格的なクラスだ。
基本オンラインのクラスなのだけど、その中で同じ九州の、しかも同じヨガの先生というバックグラウンドを持った方が。

その方に会いに行ってきたのです。

エアコンの効かないジムニーちゃんとの夏の長時間ドライブは、いかに熱を逃すかが勝負。
早朝に出発して、まずは朝イチその方(以下ゆうちゃん)のヨガクラスに出席。
一時間半のクラスだったのだけど、長いとは感じず一瞬のうちに終わった。
ヨガ初めての方や、まだ体が開ききっていない生徒さんも参加していたけれど果敢に挑戦をさせるクラス。ポーズにもチャレンジできる人用のオプションがいくつかあって、自分の体と向き合いながら体を開いていける、本当にすんばらしいクラスでした。

特に、普段は優しくておっとりした話し方のゆうちゃんだけれど、クラスの中での声のトーンや速さに抑揚があることに気づいて、(私の中の課題なもんでそこに意識がいったんでしょう)そしてその抑揚がすごく心地よくて、クラス後、その方の抑揚は意識してつけているのか聞いてみたらやっぱり意識しているとのこと。やっぱそっか!練習あるのみだ。抑揚は今のわたしのテーマなのです。

ヨガを教える上での難しさ、自分の練習の課題、田舎でヨガ教えると言うこと(やっぱりまだヨガの認知度がまだまだ低かったり)、アーユルヴェーダを取り入れて暮らすこと、薫先生のクラスがすごく楽しくて、難しいこと。笑 色んな悩みだったり想いだったりを分かち合えてすごく嬉しい時間だった。

夜は、その方の旦那様(以下けんちゃん)からチネイザンという施術を受けた。
お腹や内臓にアプローチする施術で、不思議な感覚だった。施術中寝れたらベスト、ということで、素直に寝た。笑
途中何度か起きながらも、施術を受けたまま寝て、気づいたら朝だった。
すごくすごく深い眠りだった。

普段は覚えていない夢を覚えていた。
チネイザンでは、夢も大事にするということを施術前に聞いていたので、覚えている範囲で朝けんちゃんに話した。
夢は解釈してはいけないらしいけれど、それぞれ出てくるものが象徴するキーワードがあるらしく、そこからなんとなく読み取った印象を話してくれた。

「木が育ち過ぎているのかも。木は思考の象徴。水は過去、習慣、本能、癖、創造性の象徴。水は木を育てて、木が育つと根を張り土を抑える。土の中には金が育ち、金は美学や感情の象徴。

これから道がひらけてたくさんの学びを選び取っていく中で、思考だけの判断じゃなく、美学や感情面の割合も増やしていくとバランスが取れていくかも」と。
(あってるかなw

このフィードバックがなかなか刺さって、先月末で仕事を辞めたわたしは、ヨガの練習やアーユルヴェーダの勉強に没頭したくて、勉強!勉強!となっていたのだけれど(そして同時にアーユルヴェーダの学びが深すぎて不安も感じてたのだけれど)、もっと感情や感覚、美しいと思う時間、手を動かす作業に没頭する時間とかも含めていこう、と思ったのでした。

感情については臓器を触っていてもキーワードになっているっぽくて、感情のうまく出せていない部分を皮膚が代わりに出してくれているのかなぁ、と。(お腹に謎の皮膚疾患が割と長い間出ているのです)

感情、かぁ。と、感情について考えてみた。
昔から感情を出すのがそんなに得意ではなかった気がする。
小さい頃から泣く時は押入れの中に閉じこもって泣いていた。泣くところはだれにもみられたくなかった。
何考えてるのかわからないと言われたり、怒ってないけども怒ってる?と聞かれることもよくあった。(これはアスペルガー症候群の特徴でもある。

自分の感情について、どうしたら抑圧せずに開いていけるのだろう?と考えてみた。多分、元々そんなに感情的になったりする方ではないので(もちろんなる時もあるけどね)それを無理に感情を大袈裟に表現する努力をするっていうのも違うと思うんだけど。
だけど、まずはやっぱりどの感情も自分の中で受け入れてあげようと思った。
特にネガティブな感情について、「こんなこと感じちゃいけない」という思いが深層にあると思う。怒り、嫉妬、独占欲、できれば見たくないような自分の嫌な部分。

それだって自分の一部であると受け入れる器がやっとちょっとずつ育ってきた。

育てていく中で、感情=自分 ではないという理解が深まってきたのも大きいのかなぁと思った。これはヨガ哲学の教えでもある。

感情は、人間が持っているただの機能なので、身体の機能と同じで、色んな科学的な反応が体内で起こっていることにすぎなくて。
本当の自分はもっともっと内側に、いつも光り輝いている。

その内側にいる自分との繋がりを意識して暮らしていると、感情を俯瞰して見ることも少しずつできるようになってきた。あぁ、わたしはこういう時こういう感情になるんだぁ〜とかね。決してそれを否定するわけではなく、そこから自分の癖やその裏にある思いを読み取ることが大事だと思う。

そういう学びをくれるのはいつも人で、人との関わりで学ぶことっていうのは本当に大きい。自分一人で感じられる感情なんて、たかが知れている。

綺麗なことばかりじゃなくてよくて、それが人生でそれが人間で。
その生々しい部分も味わっていきたいなぁと思う。

いま、生きてるからさっ

はるを。

ゆうちゃんけんちゃん、たくさんの気づきをありがとう♡

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