半生を振り返る④ 高校生時代

今回の記事は、以下の内容です。

・高校生時代
・発達障害を知るきっかけ

ADHDとASD併発の「はるぺど」です。

今回のテーマは「半生を振り返る④ 高校生時代」です。
前回の記事では中学生時代を書いていますので、まだの方はこちらもどうぞ。

早速、本題に入りたいと思います。

・高校生時代

中学生のときに勉強を頑張ったおかげで、高校は市内一番の進学校に入学できたはるぺど君。高校は中学校までとは違い、入試というシステムのおかげで、自分に近い学力の人間が集まるため友達も作りやすいと考えていました。

しかし、ここでやらかす。
自己紹介ができる機会に、熱を出して休んでしまったのです。

感覚過敏/鈍麻という言葉をご存知でしょうか?言葉の意味のままなのですが、特定の感覚に対して過剰に感じやすかったり、逆に鈍くて気づきにくいことを指します。ASDはこの傾向が強いと言われており、自分は気温に対する感覚が鈍いんだと思います。特に寒さに鈍感で、夏服→冬服の衣替えは一度風邪をひかないとできない位なのです。これは社会人になった今でもやらかすことがあり、変われと言われても変わりにくいのです。

結局この風邪の一件で友達グループに入れそうだったチャンスを逃してしまい、やはり孤立してしまうようになったのでした。
加えて、周囲がスマホだったなかで自分だけがガラケーだったので、クラスのLINEグループには入れなかったこともそれを後押しするようになった気がします。

その後も挽回して、仲良くなってもらおうとあれこれチャレンジするも、やはりダメでした。今、この記事の下書きを書いている時点で、定期的な連絡を取っている人は1人もいません。
一念発起、運動部に入ろうと2、3の部活に仮入部しましたが、1日の練習で体力が底を尽き、おまけに怪我まで負う始末。部活も諦めました。

友達づくりと部活動への入部の失敗。これは「高校という青春」が無くなった瞬間でもありました。

「じゃ勉強を」となるのが今までの私でしたが、高校の学びは義務教育のそれとは難易度や量が大違い。とうとう勉強についていけなくなりました。
それを決定づけたのが物理の授業。国語がダメだから理系、工学に進みたいから理系、ということで進んだものの...

物理の定期試験で人生初の赤点。

この瞬間、自分の正体のうちの1つを悟りました。
「自分は勉強が得意なんかじゃない。スポーツと芸術がどうしようもないので勉強に逃げただけで、本当は何もできないポンコツなんだ」と。

その瞬間、勉強が嫌になってしまった。
結局、何もできないダメ人間じゃねーか。
なんのために勉強を頑張ってここに来たのか。

・発達障害を知るきっかけ

ヤケになったことに加え、家でのゲームやパソコンが厳しく制限されていることから、放課後は帰宅途中のネットカフェに籠もるように。当時のお小遣いとお年玉のほとんどをこの空間に注ぎ込んだと言っても過言ではありません。家ではできないことも、ここなら楽しめる。アダルトなコンテンツをこっそり見たことも,,,。

そんなある日のこと。かったるい大学のオープンキャンパスの帰り道。いつものようにネットカフェに飛び込み、YouTubeでレトロゲームのプレイ動画を再生しようとコンテンツをクリックしたときのことでした。

はるぺど:「あ~、いつもの動画広告かぁ スキップスキップ...ん?」
動画広告:「こんなことで困っていませんか?」

(動画広告の内容に食い入るように見続ける はるぺど君)

はるぺど:「...これだ...!自分はこれなのかもしれない...!」

そう、この動画広告こそ、発達障害に関する動画広告だったのです。
確か、ADHDを抱えたまま青年(大学生)になった男性の学生生活・就職活動を描いたものだったと記憶しています。

予定を立てて行動するのが難しい
部屋が散らかり整理できない
思いつきで行動しやすい
グループから孤立しやすい

自分にも思い当たる節がありました。というより、将来の自分を見ているかのようで、複雑な気持ちになりました。

後日、このことを家族に話しましたが、「気のせい」「心配しすぎ」と軽く流されてしまいました。当時の自分は今よりも純粋というか単純だったので、「そんなものかぁ」とそこまで気にはしていませんでした。

それでも「自分は発達障害かもしれない」という気持ちはずっと頭の片隅に残ったまま時間が流れていきました。

そして月日は流れ、大学受験。何とか地元の国公立大学に進学できました。

次回以降は大学生時代のお話になりますが、内容が濃くなるので、大学生時代というくくりの中で複数回に分けてお話すると思います。


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