半生を振り返る③ 中学生時代
今回の記事は、以下の内容です。
・中学生時代
ADHDとASD併発の「はるぺど」です。
今回のテーマは「半生を振り返る③ 中学生時代」です。
前回の記事では小学生時代を書いていますので、まだの方はこちらもどうぞ。
早速、本題に入りたいと思います。
・中学生時代
あれこれあったが何とか小学校を卒業。そのまま地元の中学校へ入学。隣町の小学校出身の子供も同じ中学になったため、同級生が増えました。
登校にあたって制服が必須となりましたが、不器用な自分は学ランのホックが閉められず、泣きそうになりながら練習していたことを覚えています。
中学生になって何より嫌だったことは校則でも勉強でもなく、やっぱり体育の授業でした。
何なんです?あの軍隊を育成するような授業は???
相変わらず集団スポーツはてんでダメで、チームの足を引っ張っては同級生のため息に怯えながらのプレーでした。
芸術も向いていませんでした。
音楽は音痴だったし、楽器演奏も手がうまく動かない。中学時代の部活は美術部でしたがデッサンは下手、工芸にも向いていないのに何故入ったんだろ...?おまけに中2になった際、美術の先生が変わったことにより部の方針が変わり、「エンジョイ勢の部活からガチ勢の部活に変わった」ことから、常習的に部活をサボるように。
週5日も美術になんか向き合ってられるかー!
結局通知表で美術の成績は良くて4、大体3で終わる始末。内申点に響きます。
では部活で得たものは何か?友達でしょう。彼らとは今でも飲みにいくくらい仲が良く、大切な仲間です。
とはいえ、新しく友達ができた、と思っていた人が友達じゃなくなることがよくありました。当時は原因なぞつゆ知らず、今になっても分からないケースさえあります。いじめこそなかったものの、孤立することを少しずつ感じるようになりました。
一方で5教科および技術家庭科、保健は何とかなっていましたし、「これは将来絶対必要になるぞ」と目に見えていたから頑張れたのかもしれません。何なら「体育・音楽・美術なんか要らん。むしろ技術家庭科を増やせ」とまで思っていた位ですから。
ただ、勉強はできていたものの、5教科の得手不得手が少しずつ明らかになっていたのも事実でした。
例えば、数学の試験は15分位で完答したうえで95点以上を楽々取っていたのに対し、国語の試験は50分丸々使っても70点取れるかな...といった具合でした。漢字などの暗記ものはほぼ満点でしたが、文章を読むのがダメ。小説なら尚更ダメ。といった具合に。それでも他の教科で満点近い点数を取ることで無理やり5教科450点以上を記録していました。
国語(特に小説)が苦手だったのは、ASDの側面があったのかもしれません。
話は少しそれますが、我が家は両親ともに教育熱心な家庭で、「中学生の定期試験ごときで」が口癖でした。学年1位で当たり前、450点以上が当たり前。今思えば暗示というか、洗脳というか...学年2位になることが多かったため、いつも「また2位なの?」と怒られてばっかしでした。まあ、当時の自分は有能と思い込んでいた節があったため、「次こそは」と頑張っていたのですがね...これが厨二病か。
あと、ゲームや携帯電話に関しても非常に否定的な家庭で、「ゲームは1日30分」「電話はキッズケータイ(母親にのみ通話可能)」といった環境でした。これが後に自分を歪ませる原因となったのです。ちなみに高校進学時には携帯電話を買ってもらえましたが、ガラケー。LINEやSNSができないので、SNSでつながるようになった社会では同級生や知り合いとの関係が希薄になりがちでした。
ただ、通知表の評価も高かったこと、進学塾にも通っていたこともあってか、高校は市内一番の進学校に推薦で入学できるように。
しかし、高校生なったはるぺど君は地獄を見ることとなります。
次回の高校生時代に続きます。
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