アイリッシュアクセントとバグパイプ
「アイリッシュアクセントはどう?」
彼が私に投げかけた2つ目の質問はこれだった。
イギリスのマンチェスターとリバプールの間の田舎町に住むイギリス人の彼。
そんな彼と私が出会ったのは、いまから6年前のことだった。
彼が私の大学に交換留学生として日本にやってきた、2012年以来の知り合いだ。
アイルランドとイングランドは、私が思っているよりもずっと近い距離にあるらしい。
「アイルランドに来るなら、あそびに行くよ!」
冗談かと思って半分聞き流していたが、アイルランドに来てから1か月と10日。彼は本当に飛行機に乗って私を訪ねにやってきた。
最後に彼を見たのは、彼が日本に遊びに来た2015年の夏だったはず。
2年と半年ぶりの再会だった。
とにかく、彼は本当に宣言通り、アイルランドの首都であるダブリンへとやってきて、
冒頭にあるように、私に聞いてきたのだ。
アイルランド人の英語の発音は私にどう映っているのか、と。
それを聞いたとき、少しヒヤリとしたことは、彼には言わなかった。
アイリッシュの発音は、私の中ではまだまだ未知の領域。
英語話者にとっても、時に聞き取りが難しいと言われているアイリッシュの発音は、私には難しいと感じる瞬間が度々ある。
もっとアイリッシュと話す機会を設けなくては…と丁度感じていたところだったのだ。
「全然わかんないよ!」
私は正直に答えた。
「アイリッシュの発音は難しすぎる!」
彼は笑って、そのうち慣れるさ、みたいなことを言った。
そうだといいんだけど。
あまり英語が得意でない方のために補足しておかなくてはいけない。
『所変われば品変わる』とはよく言ったもので、ひとくちに英語と言っても場所によっていくつも方言がある。
時に方言は、私たちの英語に対して抱いている概念を覆してしまうほど強力で、たまに違う言語で話しかけられているのか、と錯覚を覚えるほどだ。
ちなみに私たち日本人が、学校で習う英語は大抵アメリカンイングリッシュ。流れるような話し方と、日本人が苦手とするRの巻いた音が印象的な方言である。
映画やドラマなどで慣れ親しんでいることもあり、アメリカンイングリッシュが一番聞きやすいという方も多いだろう。
反対に、アイリッシュの英語の発音は、方言の中でもさらにキツイと言われている。
何というか…私はその強いアクセントを、うまく日本語で表現することもままならない。
一つ例を挙げるとしたら、アイリッシュはDublinと書くダブリンのことを『ドブリン』みたいに発音する。
とにかく難しいのだ。
私とそのイギリス人の友人は、3日ほど一緒に過ごしていろんな話をした。
私が旅をしたタイのこと。
イギリスでは、スコーンに特別なクリームをつけて食べること。
日本の若者がどれだけ政治に対して興味関心があるか、とか。
バスに乗るより歩く方が好き、といった共通点。
アイルランドの歴史の話もしたし、
移民の話もした。
マンチェスターとリバプールの間っていう好立地に住んでいるにも関わらず、彼はサッカーには全く興味がなかったこと、とか。
とにかく思い付く限り、たくさん話した。
イギリス内にもたくさんの方言があるから一概には言えないのだけど、私はブリティッシュアクセントが好きだ。
何というか、イギリス王室を想像させるその音は知性を感じる。
真似しようとすると喉が詰まる感じがするのだけど。
イギリスに住む彼は、私にとってはかなりキツめのブリティッシュアクセントで、話しながらその音や、選ぶ単語を楽しんでいた。
私がブリティッシュアクセントとアメリカンアクセントをしっかり聞き分けれるようになったのは、本当に最近だと思う。
完全にアメリカンイングリッシュに慣れてしまっていた私は、ブリティッシュイングリッシュを好きになるまで割りと時間がかかった。
ぶっ通しで話し続けた3日間も終わりを迎え、彼がイギリスに帰らなくてはいけない時間がやってくる。
彼を空港に連れていくバスを待つ中、ポツリと言ったことを私は聞き逃さなかった。
「アイリッシュの英語は、とても綺麗だ。」
「それをまだ君が楽しめていないのは少し残念だけど、その美しさに早く気づけるように願っているよ。」
彼が乗ったバスを見送り、ダブリンのメイン通りを歩いていると、路上パフォーマーがバグパイプを吹いている音が聴こえてきた。
街に響き渡る、バグパイプの音が何だか心地よく感じて、ふと思った。
アイルランドに移ってくる前、正直アイリッシュミュージックはあまり好きではなかった。
特に甲高い音を発するバグパイプは、聴いていて思わず顔をしかめてしまうどころか、耳をふさぎたくなるくらい。
でも、その音の良さがだんだんわかってきたのだろう。
彼を見送った帰り道で聴いたバグパイプは、とても愛おしく、私の好きな音色を響かせていた。
ブリティッシュアクセントが聞き取りづらい音から、聞きたい音に変わったように、
バグパイプの音色が耳障りなものから、愛おしい音に変わったように、
ダブリンで作った思い出とかと重なって、いつかアイリッシュの発音も、私にとっても美しいものとして映るのかな。
今度、アイリッシュと話す機会を見つけたら、バグパイプについてどう思うか聞いてみよう、なんて考えながら寒空の下をひとり歩いて帰った。
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