認めることができる人になりたい。#やさしさってなんだろう
優しい人になる。
これは私が掲げている目標の一つであり、いつになったら達成することができるのか判断が難しい目標でもある。
「優しい」の定義は人によって違うし、同じ人でも時が経てばきっと言葉が持つ意味は変わるからだ。
私はこれまで、「優しい」というのは「何でも許せる人」だと思っていた。
でも時に大切な人達がした間違いを許せないこともある。許せない人は優しくない人なのだろうか。本当の意味で「やさしい人」って何だろう。
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自分の価値観を押し付けて、相手が間違っているかのように振る舞う人を見ると「優しくない人だな。」と思う。
例えば、私の職場に自分の思ったように仕事をしてくれない人に対して怒ってしまう人がいる。イライラしている姿を見るたびに、なんて優しくない人なんだろうと思い私まで気分が悪くなるので厄介である。
その人を見ていると、相手の状況を汲み取ったり自分との違いを認める力に欠けているから優しくなれないんだな、と気づいた。
いま住んでいるアイルランドという国にはヨーロッパ各地から人が集まるだけでなく、私のようにアジアから来ている人もいれば、北米、南米、アフリカや中東から来ている人も多い。
広い世界を一つに凝縮したような多様性のある社会で生活するためには、自分と異なる価値観を持つ人を尊重することを強いられる。異文化に排他的になればなるほど、生きづらくなるのだ。
「相手と自分が違う」ことを自分が認めていないと、期待していたことと異なる何かが起きる度に腹を立たせて疲れてしまう。
また、理解されない相手側も生きづらく感じるだろう。
自分と他人が互いに優しい関係になるためには「互いを認める」ということが必要らしい。
優しいと易しいは同語源だ。
私が「他人を認めれる人」になると、相手に
とって私は「易しい人、すなわち優しい人」になる。
もしかすると、優しくなると易しくするって一緒のことなのかもしれない。
言葉遊びみたいになるけど、私の中で「許す」と「認める」は似ているようでちょっと違う。
「許す」という行為は自分が信じるルールからはみ出たことを、本当は間違っているけど許可をすること。
「認める」という行為は自分と異なるルールも、それはそれで正しいと容認することだと思う。
最近の私が思う優しい人、というのは何でも許す人なのではなく「異なる価値観を認めてあげることができる易しい人」なのかもしれない。
認めることは、これまでの自分が正しいと思っていた概念を崩すんだ。簡単ではない。でもそれができるからその人はきっと優しいと感じるんだろう。
自分とは違う、ということを心から認めることができる。
それがきっと今の私が思う「やさしさ」なんだ。
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