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【“書きたい”が消えるその日まで】

「書いて生きる」

その目標を掲げてnoteをはじめてから、およそ2年半が過ぎた。正確にいえば「書いて生きる」は手段であり、目的ではない。ただ、私にとって大きな夢であることに変わりはない。

なかなか結果が出せない現状に、実際は何度も心が折れそうになった。はじめてnoteがバズったとき、正直期待した。どこかのメディアから仕事依頼が来るかもしれない。ドキドキしながら、そんな淡い期待に胸を膨らませていた。でもその期待は、あっさりと萎んだ。固定noteのスキが2,000を超えても、ただの一度も仕事の話が舞い込んでくることはなかった。

noteの公式コンテストにも、ことごとく落ち続けた。cakesクリエイターコンテストの中間には残れたものの、最終発表では受賞に掠りもしなかった。未だ公式コンテストは無冠のままである。

時折、誰にも見られない場所でひとり静かに書いていた過去を思い返していた。誰からも褒められず、認識もされず、でもそのぶん酷評されることも、結果に一喜一憂することもない。読んでもらえる喜びを得られない代わりに、悲しくなることも傷つくこともない。

DMで好き勝手言われたり、引用で貶められたり、エアリプで暴言を吐かれたり。表に出していないものも含め、叫びだしたくなるようなことが驚くほどたくさんあった。

昔の安寧に戻れば、楽になれるのだろうか。見える場所で書くのをやめたら、傷つかずに済むのだろうか。そう考えては、noteアカウントの「削除」ボタンを行ったりきたりしていた。

結果的に、今の私はnoteを続けている。先日、毎週連続更新が120週目を迎えた。

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書いて生きる道を諦めきれなかった私は、どんなときでも書くことだけはやめなかった。実際には、「やめなかった」というより「やめられなかった」に近い。私にとって書くことは、生きるうえで欠かせない行為だ。表で書くか、見えない場所で書くかの違いはあれど、「書かない」という選択肢が私にはない。大袈裟ではなく、書いていないと息がうまくできないのだ。

だったら、やめるべきじゃない。単純にそう思った。書くことそのものが嫌いになったわけではないなら、他の悩みに振り回されて自分が一番大事にしたいものを手離すなんてバカげている。誰に何と言われようとも、私は書いていたいのだ。そこに承認欲求がないと言えば嘘になる。ただ、それ以上に強い欲求が奥底に鎮座している。

これまで多くの方が明言している通り、「noteを書いているだけ」では仕事は回ってこない。具体的にどう動けばいいのか、教えてくれた友人がいた。それなのに、いざ動き出すまでに随分と時間がかかってしまった。単純に、怖かったのだ。

「お前なんかに、できるわけない」

はじめて書いた小説を破り捨てられたとき、親に言われた言葉だ。嫌な記憶はしつこく私を蝕み、勇気や自信を根こそぎ奪い去っていく。でも、そこから抜けださない限り、望む未来は掴めない。そのことに気づいてから、ある意味ようやく腹が据わった。

書きたいメディアのお問合せフォームから営業メールを送り、Twitterで知り合った編集さんにもDMで売り込みをした。お返事をいただけなかったことも、丁重にお断りされたこともある。それでも行動を起こした結果、幾つかのメディアで仕事として文章を書かせてもらえるようになった。

私がはじめて仕事として書いた記事は、『BadCats Weekly』さんの映画コラムだった。 

こちらのメディアで新たに連載エッセイを書かせてもらえる運びとなり、その第1作目が先日公開された。

編集長は、「はじめまして」のときから、とてもやさしかった。記事へのフィードバックも温かく丁寧で、読むたびに胸に灯りがともった。ライターを使い捨ての駒ではなく、大切なひとりの”ひと”として扱ってくれた。書き続けて9カ月経った今でも、その姿勢は何ひとつ変わらない。自分のメディア以外の記事も、躊躇いなく拡散して応援してくれる。メディアそのものだけではなく、ライター個人の飛躍を心から願ってくれる人だ。

こちらのメディアで書かせていただけるようになったのを機に、これまで一度もなかったお仕事依頼が少しずつ舞い込むようになった。エッセイだけではなく、インタビュー記事の仕事も少しずつ増えてきた。自分にとって大きな人生の転機であった昨年暮れから今年のはじめ、生きるだけでも精一杯だった私を、文章で出会えた仲間たちと「書く仕事」が支えてくれた。

先日、はじめての紙媒体のお仕事が無事に実を結んだ。PHPスペシャル10月号、「ためこまない」をテーマに書いたエッセイが、紙面に掲載された。送っていただいた見本誌を手にしたときの感慨を、私は一生忘れない。縦書きに印刷された自分の文章を、しみじみと読み返した。一度刷られたら消えることのない紙媒体。その責任と覚悟を、あふれる喜びとともに感じていた。

Twitterでシェアをしたところ、多くの方が拡散、応援してくれた。あんなにもたくさんの「おめでとう」を伝えてもらえた経験は、私の人生においてはじめてのことだった。しあわせで、嬉しくて、ありがたくて、涙腺が幾度となく緩んだ。

雨でも晴れでも曇りでも嵐でも、どんなときでも書き続けた。だから、今がある。そしてそれは、どんなときでも「ここにいるよ」と伝えてくれた人たちのおかげだ。挫けそうになるたび、背中に手のひらを当ててくれた人たちがいた。ひとりきりだったら、きっと私はとうの昔に折れていた。

当たり前のことだけど、仕事として文章を書いているから偉いだなんて思っていない。どんな目的で、どんな想いを持って書くかはその人の自由だ。仕事だろうが趣味だろうが、真剣だろうが息抜きだろうが、本人が望む形で書き続けられるのが何よりも大切だと思っている。私はたまたま、それを仕事にする未来を望んだ。ただ、それだけのことだ。

文章を通して出会った仲間たちは、誰ひとりとして「お前なんかにできるわけない」とは言わなかった。むしろ、「あなたならできる」と言い続けてくれた。その人たちの言葉と、過去から現在に至るまで書き続けてきた自分自身を、私は信じると決めた。そうして動き続けた結果、「書いて生きる」がようやく形になりつつある。

文章がすきだ。書くのも読むのも、そこに至るまでの過程も、終えたあとに脳内を漂う感情や思考も含め、私は言葉がすきだ。言葉と向き合うことは、私にとって自分自身、ひいては人と向き合うことでもある。

どんなジャンルの記事を書くときでも、そこには必ず“ひと”の存在と想いがある。掬い取りたい部分に光を当て、伝えたいものの輪郭を際立たせる。「魅せ方」を自在に変えられる素晴らしさと恐ろしさの両方を自覚したうえで、丁寧に綴っていく。書けば書くほど、己の未熟さに気づかされる。でも、だからこそ面白い。

これまでに届けられたエールのすべてが、大きな糧となり私のなかにしっかりと根付いている。誰かのために言葉を使える。私を支えてくれた人たちは、みんなそういう大きな懐を持っていた。だから私も、そう在りたい。

真摯に言葉を紡ぐ。そんな日々を丁寧に積み重ねていく。一見地味に思えることを、雑にしない。その繰り返しで見えてきたものが、たしかにある。

生きているだけで何かしらは起こるし、平穏な日ばかりではない。でも私は、この先もきっと書き続ける。自分のなかから「書きたい」が消えるまで、この手は止まらないだろう。


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