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海のことば、空のいろ

本日のnoteは、定期購読マガジンのご案内になります。定期購読マガジンを始める理由、その収益の利用方法、何故私が書き続けていくのか。今だからこその想いを綴りました。最後まで読んで頂けたら、とても嬉しいです。


書くことで伝えたい。文章で想いを届けたい。そう願って書いてきたこの1年。その間、ずっと考えていました。

書くことを仕事にすること。その意味。

書くことが好きなのは大前提としてありますが、一番の理由は自身の原体験にあります。

プロフィールにもある通り、私は虐待サバイバーです。生きることそのものに希望を見出すのがとても困難な家庭で育ちました。そんな私の心を救ってくれたのは、唯一の理解者である幼馴染が一人、そして、いつでも傍らにいてくれたたくさんの物語たちでした。正確に言うと、その物語のなかで登場人物たちが語りかけてくれる言葉たちが、ぎりぎりのところにいた私を幾度となく掬い上げてくれました。

物語は、架空の世界です。しかしそれは、人の生きる世界そのものです。どんな物語にも、”ひと”は存在します。その”ひと”は、それぞれが意志を持って生き生きと動いています。壁にぶつかったとき。生きることを放棄したくなるほどの悲しみに直面したとき。物語の中の”ひと”が取る行動、言動は実に様々でした。
私はそのなかから、自身が生き延びるために必要な選択肢を無意識のうちに選び取っていたように思います。
物語という架空の世界に逃避できる。その間は辛い現実を忘れられる。もちろん、そのような側面にも大いに救われてきました。しかしそれ以上に、触れる言葉たちの圧倒的な力と優しさに腕を引き上げてもらえたことが、私という人間の命を大袈裟ではなく救ってくれました。


今現在、私は安全な場所で平穏な暮らしをしています。長年見て見ぬふりをしてきた旦那との間にあった様々なことともケリをつけるべく、先日別居を始めました。安全な場所で育てられなかった私は、「安全」の概念がおそらく少し人とはズレています。
昔よりはマシだ。昔に比べたら幸せだ。
そう思うこと自体は悪いことではないのでしょう。しかし、理不尽なものを当然のように受け入れ過ぎる性質は、いつまでも私自身を苛む原因の一つでもありました。

いつ浴びせられるか分からない旦那の暴言から完全に開放された今、ようやく実感しています。

これが、本当の意味の「安全」なのだと。

身体に痣がなくとも、火傷の痕がなくとも、”言葉”で人はそれ以上の傷を負うこともあります。言葉というのは、使い方によっては実に恐ろしい凶器にもなり得るのです。立場が強い者が弱い者にそれを使った場合、その威力は残酷なまでの痛みをもたらします。それが親から子へ対するものだったなら、尚更です。

今現在も、この痛みを受けながら一人で膝を抱えて蹲っている子どもたちがたくさんいます。その子たち一人一人を抱きかかえてやりたい、どうにかしてやりたい、と思わずにはいられません。それでも、現実問題そんなことは到底叶いません。私は私一人しかいなくて、我が子もいれば自身の生活もあります。まさに今、私は私自身の生き方を模索している最中でもあります。
それでも、そんななかでも唯一できること。それが、私にとっての「書くこと」でした。
文章なら、こうしてネットの中に残すことが出来ます。必死の思いで検索をかけてくれた子の目に、もしかしたら私の書いたものが届くかもしれない。届いて欲しい。今すぐに現状を変える力はなくても、生きる力をほんの少しくらいなら手渡せるかもしれない。そう在りたいと願いながら、日々書いてきました。

しかし、それだけでは足りない、という想いが常に内側で声を上げていました。

書くだけでは変えられないものも正直あります。実際に児童虐待防止のために活動されている現場の人でなければ分からないこと、できないこともたくさんあるでしょう。実名も顔も出せない私にとって、そこに携わることができないのは大きなジレンマでもありました。
現在流行している感染症の影響で、休校や閉鎖的な日常を強いられている子どもたち。その子どもたちにとって、家庭が安息の場ならまだいいでしょう。しかし、そうとばかりも言えないのが現状です。

給食が唯一の栄養源である子どもたち。学校があるからこそ、暴力を振るわれる時間が短くてすんでいた子どもたち。そういう子どもたちの今この瞬間のことを思うと、胸が潰れそうになります。


書くことしかできないのなら、書くことで何ができるのかを必死に考えました。
直接子どもたちのケアをしている人たちを支援する方法。活動に参加できないのなら、私にできることはそれらの団体に寄付をすることの一択のみ。単発ではなく、長期的にそれを続けていくためにできることは何か。

私自身の生活を成り立たせることも、もちろん大切です。その基盤がなければ、書き続けることすらままなりません。しかし、だからといって一番の目的を疎かにしたくはないのです。


私が書くことを仕事にしたい理由は、たった一つ。
昔の自分のような子どもを、一人でも多く減らしたい。
ただ、それだけなんです。


私は私が生きていくうえで必要な生活費があれば、それで十分です。もちろん欲しいものはあります。行きたい場所も、会いたい人たちもたくさんいます。決して無欲な人間なわけでも、聖人君子なわけでもありません。それでも、守りたいものがたしかにあります。


辛いんです。家が安心できないって、本当に辛いんです。


無名の私にできることなんて、あまりにも小さいかもしれない。だからと言って何もしなければゼロだけど、小さくても何かをすればそれは小さなプラスになります。一人一人の小さなプラスが集まれば、それはきっと大きなプラスを生みます。
変えられないものを嘆いている時間が勿体ない。だったら、今できることを。そう思い、定期購読マガジンを始める決断をしました。


定期購読マガジンの収益のうち半分を、児童虐待防止のために活動している「オレンジリボン運動」の団体に寄付させて頂きます。

もう半分は、私自身が書いていくために必要な生活費に充てさせて頂きます。


定期購読マガジンのタイトルは、「海のことば、空のいろ」

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少し深めのエッセイ。創作にまつわるエピソード。時々、小説。
海の傍で生きてきた私のなかにある、たくさんの”いろ”と”ことば”たち。より自然体で紡いでいけたら、と思います。

*マガジン説明文より抜粋


海の傍で育った私のなかから生まれた、”ことば”と”いろ”。
エッセイ、創作にまつわるエピソード、短編小説をランダムに月4本お届けしていく形になります。より自然体に、息子たちのことも含めて今までは書ききれなかったエピソードなども綴っていきます。


自分にできることは何なのか。自身の生き方と書いて伝えていくことの両立。まだまだ大きな壁があり、問題は山積みです。だからこそ、今の私にできる精一杯でこれからも書いていきたい。そう思っています。

定期購読マガジンに関しては、現在note運営さんにお問い合わせ中です。審査が無事に通りましたら、改めてご案内させて頂きます。

対価を受け取って「書く」ということ、その重み。それによってできること。それぞれとしっかり向き合いながら、私らしく進んでいきたいと思っています。


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この世界は、優しいことばかりじゃない。それでも、優しいものもちゃんとあるよ。

いつか、そう信じて歩いていける日がくるといい。今、どんな現状にあるとしても。動き出せば、何かが変わる。腕を伸ばせば、掴んでくれる人がいる。必ずいるのだと、言い切れる世界であってほしい。

昔の自分に届くように。今は安全でも古傷の痛みに耐えかねて苦しんでいる人、現在進行形で痛みを受け続けている人にも、届くように。

”ことば”の色と力を信じて、これからも書き続けていきます。


最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます。 頂いたサポートは、今後の作品作りの為に使わせて頂きます。 私の作品が少しでもあなたの心に痕を残してくれたなら、こんなにも嬉しいことはありません。