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”まだら模様”を抱えて。

「大丈夫」と「大丈夫じゃない」の狭間で、随分長いこともがいているような気がする。

「大丈夫」
そう言い聞かせた瞬間、「そんなわけない」という真逆の声が内側から聞こえてくる。

どんな環境にしろ、どんな病にしろ、”受け入れる”までの道のりは困難を極める。葛藤が渦を巻く。ぐるぐると容赦なく掻き回される感情の波は、いつもどんより濁っている。

”清”の感情だけを携えて生きられるなら、まだよかった。自分のなかにある汚泥のような部位を、私はまだうまく愛することができない。


8月から始まった記憶の欠落。それに伴う様々な症状。蘇る過去の記憶。それらの意味するところを、本当はとうに気付いていた。10代の頃から、精神症状にまつわる様々な文献を読み漁っている。セルフカウンセリングのためでもあり、純粋に知識として興味もあった。カウンセラーに憧れた時期もあるが、自身と患者さんとの境界線を見誤ってしまうのが怖くて、一歩を踏み出せないまま今に至る。

現代は大抵の知識がネットで手に入る。昔読み漁った書物とネットの情報に、大きなズレはなかった。医療は日進月歩な世界だ。それでも私に病名が付くとしたら、一つしかないのだろうと知っていた。


認めたくなかった。認めてしまったら、もう今までの自分には戻れないような気がした。どんな言葉をかけられても、私はそれを素直に受け入れることができなかった。

「焦らないで」

友人のその台詞にさえ、苛立った。子どもたちの住む自宅にいたはずなのに、アパートのトイレにいる。朝起きてやろうと思っていたことが何もできないまま、夜の18時を過ぎている。

時間を切り取られるような感覚に、いつか私は慣れるのだろうか。未だ慣れない私は、その都度その現象に戸惑い、苛立ってしまう。

「私は1日24時間を自分の意識の下で生きていたいだけなの!」

思わず声を荒げて、慌てて謝った。話を聴いてくれる人をサンドバッグになんてしたくない。その人は何も悪くないし、その人が寄り添ってくれているから自我を保てている。頭ではわかっているのに、感情が付いていかない。

焦れば焦るほど、心に黒いシミが増える。まだら模様になったそれは、消えることなく点々と濃い影を落としている。


先日、三度目の通院があった。治療の記録は、まだ書けずにいる。それは単に、私の覚悟の問題に過ぎない。いずれ書きたいとは思っている。ただその前に、いつも読んでくださる方々へ、先にお話しておきたい。
信じてもらえない場合もあるかもしれない。それはそれで致し方ないと思っている。信じてほしい気持ちはあるが、それは他者に強制すべきものではない。読んでどう感じるかは人それぞれだろう。私自身、未だ半信半疑のところがある。それでも実際に起きていることをそのまま書き記す。最後まで読んでもらえたら、それだけで充分だ。


主治医の先生に、病名を告げられた。予想通りの答えに、思わず目を瞑った。何故私は、これまで気付かずに生きてこられたのだろう。

「今そうなったわけじゃなく、ずっと昔からそうだったんですよ。たまたまそれに気付いたのが今だっただけで」

私はその病名を告げられたとき、わかりやすく絶望した。病名にショックを受けるというのは、その病気の人への偏見になるのだろうか。いずれその感情も時間の経過とともに薄れるのかもしれない。苛立つことが減り、慣れていくのかもしれない。しかし今はまだ、その境地に辿り着けない。


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