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しあわせな香り

グリルで軽く炙ったパンは、しあわせな匂いがする。焼き立てのそれと同じ、バターの芳醇な香り。ほかほかになった表面の艶を見ながら、ゆっくり珈琲をドリップする。

どんなに苦しい夢のあとも、私はご飯を食べる。美味しい朝ご飯が待っていてくれたら、おそらくそれだけで、人は生きていける。


悪夢というものは、実体がない。どこまでが夢で、どこまでが現実なのか。空想の生き物だけが出てくる夢ならば、おそらくそんなに苦しまない。ゴジラに踏みつぶされる夢を見たとしても、それははっきりと夢であることを自覚できる。夢のなかでどれほど恐怖に慄いていようとも、目覚めた瞬間思わず苦笑できてしまう。そういう悪夢なら、まだよかった。

実在する人物が追いかけてくる。そのあとに起こる出来事が、過去なのか、ただの夢なのか。私には判断がつかない。映画などでよく見るセラピーのように、簡単に記憶を辿ってトラウマを克服できたらいいのに。
「これは過去に過ぎません。だからもう、大丈夫です」
その言葉に安心して、二度と悪夢を見ない。そんなふうに、簡単だったらいいのに。


映画は2時間。ドラマはおよそ10時間。人の人生は平均700,800時間。切り取れるのがどれほど一瞬のものか、知れば知るほど恐ろしくなる。こうして何千字、何万字と書いていても、私は私の時間のほんの一瞬を切り取って書いているに過ぎない。

書きたいことがある。書きたくないことがある。書きたいけど書けないこともある。どれも私で、どれも本当で、それなのに「書かなかった」部分を見るたびに後ろ指をさされているような気になる。

悪夢に追いかけられるたび、強烈な追体験が襲ってくる。そういうとき、今でも時々我を忘れる。そのときの自分の姿をありのままに書くことが、私にはできない。知られたくない、というのは少し違う。それを書くことが正しいとは思えない、というほうがおそらく近い。


消えない綻びが次々に連なる。ほどこうと必死になればなるほど、ぐちゃぐちゃにもつれてしまう。


「朝ご飯、食べた?」
まだぼんやりしている私に脳に、友人の声が届いた。
「まだ。今起きたから」
日中の半分が過ぎた頃に意識を取り戻した私の身体は、ぽっかりと大きな穴が空いているかのようにわかりやすく空腹だった。
「なんか食べたほうがいいよ」
「あんまり食べたくない」
空腹と食欲が比例しない。それはあまり良いサインではないとわかっている。それでも、食べたくない。
「だめだよ、ちゃんと食べて」
「食べたくないの」
「だから食べるんだよ」
「え?」
「食べたくないときこそ、ちゃんと食べるんだよ。一口でいいから。一口食べたら、きっともう一口食べてみようかな、って気になるから。胃袋に食べ物が入ったら、身体は何とか頑張ろうって思えるもんなんだよ」


昔、同じようなことを言われた。

「胃袋が空っぽなまんまじゃ、人は生きていけないんだよ。だから、ちゃんと食べろ」


昨夜、友人から美味しい贈り物が届いた。しあわせな気持ちで受け取ったそれを、しあわせな気持ちで食べたかった。だから最初は、今朝食べる気にならなかった。でも、と思い直した。

食べたら、しあわせな気持ちになれるかもしれない。

心にたくさん栄養をあげてね。

そう書いてくれた友人の想いを、素直に受け取りたいと思った。


シンプルなパンをグリルで軽く温める。部屋中にふくよかなバターの香りが広がる。甘い、しあわせな匂い。パン屋さんの店先の匂い。
一緒に送ってくれた濃厚なイチゴジャムを、とろりとパンに垂らす。果肉がゴロゴロ入ったジャムは、果物そのものの味がする。甘酸っぱいイチゴの香り。ちびが大好きな香り。
ゆっくりドリップした珈琲からは、私が大好きな香ばしい香り。長男がいつも言う。
「お母さん、今朝は胃痛くないの?痛いときは珈琲だめだよ」
大丈夫。友人が送ってくれたのは、ノンカフェインの珈琲だから。

木製のミニテーブルに遅めの朝食を並べる。ゆっくり、最初の一口を小さく含んだ。

「美味しい」
「ほらね。もう一口、食べてみたくなったでしょ?」
「うん」

素直に頷き、ほかほかのパンを口に運ぶ。もぐもぐと咀嚼する私の口から、体内に栄養が届けられる。大好きな香りと味が、疲れ果てた心と身体にゆっくりと染み込む。

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頬を濡らしながら食べ続ける。もぐもぐと、しっかり噛みしめながら。色んなものに、心から感謝しながら。

「食べて元気出たら、好きなことしなよ」

”好きなこと”をする。それに罪悪感を覚える癖は、今でも隅っこのほうにしつこくこびりついている。それでも今、友人の言葉通り、私は好きなことをしている。書きたいと思い立ち、これを書いている。

私が今日書いた2000字は、起き抜けから朝食を食べ終わるまでのおよそ1時間ぶん。残りの23時間は、私だけのものだ。いつか書くこともあるかもしれない。書きたいと思い、書けると判断したなら。


生きる力をくれる友人たちに、私は何を返せるだろう。
生きる力を内側から取り戻すために、私にできることはなんだろう。

助けてもらえることへの感謝。それだけに寄りかからない自制心。その両方を、忘れたくない。

そんなようなことを伝えたら、友人に言われた。

「そんな小難しいこと考えなくていいから、ゆっくりいつか元気になって。それだけでいいから


私は、やっぱりけっこう、しあわせな人生なのかもしれない。

”ふしあわせ”と、”しあわせ”。総量が人生のなかでどっちが上かなんて、死んでみるまでわからない。そんな不確かな数字に振り回されるくらいなら、今日感じた想いこそを、私は大切にしたい。


今日の1曲。
「花の名」~BUNP OF CHICKEN

僕がここに在る事は あなたの在った証拠で
僕がここに置く唄は あなたと置いた証拠で

生きる力を借りたから
生きている内に返さなきゃ

「花の名」より。

最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます。 頂いたサポートは、今後の作品作りの為に使わせて頂きます。 私の作品が少しでもあなたの心に痕を残してくれたなら、こんなにも嬉しいことはありません。