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クーデターから1000日のミャンマー(その4:最終回)

その村の噂を聞いたのは、新型コロナウイルスが発生する前年の2019年だった。村には幅30メートルにも満たない川が流れており、その川を渡るとそこはタイである。シュエコッコと名付けられたこの村はカレン州に位置し、中国の開発会社が一帯一路構想の一環として150億ドルを投じてスマートシティを建設するという。この開発会社がYouTubeで公開した映像には、未来のハイテク都市の姿が映し出されていた。

▦ 違法ビジネスの巣窟


カレン州はタイに隣接し、国境近くの多くの地域は、ミャンマー独立直後から存在する民族軍であるKNU(カレン民族戦線)が支配している。しかし、2010年にKNUから分派したDKBAの一部がカレンBGF(カレン国境警備隊)となり、ミャンマー軍の支配下に入った。

ここでBGF(Border Guard Force / 国境警備隊)についての説明が必要だ。2008年に新憲法を制定したミャンマー軍は、少数民族軍を支配下に置こうとした。その手段としてBGFが使われた。民族軍をBGFに衣替えすることでミャンマー軍の支配下に入ることになるが、その交換条件として、特別なビジネス利権を与えられる。それは、支配地域内での違法ビジネスを許可するものだった。多くの民族軍はこの提案を拒否したが、一部の民族軍は受け入れた。その中のひとつが、ソー・チッドゥーをリーダーとするカレンBGFだった。彼が始めたのが、シュエコッコの開発である。

シュエコッコ

BGFになると、ミャンマー軍に逆らわない限り、支配地域内での行動は何をやっても自由だった。2019年当時、高い塀で囲まれたシュエコッコ内で何が建設されているのかは、当事者以外誰も知らなかった。潜入取材を試みたミャンマー人ジャーナリストがカレンBGFに一時拘束される事件も発生した。

漏れ伝わる情報によると、スマートシティというのは嘘だった。カジノ、オンラインカジノ、マネーロンダリングなどの賭博ビジネスが中心だった。当時のアウンサンスーチー率いるNLD政権はシュエコッコの開発に疑念を抱き、調査委員会を設立した。これにより、2020年には開発が一時停止となった。

2019年当時、カンボジアのシアヌークビルにも同様の中国人経営のカジノがあり、中国人向けのカジノが林立していた。カジノ自体は合法だが、そこではマネーロンダリングが行われていたとされる。その後、違法オンラインカジノと犯罪の増加により、カンボジア政府は2019年からオンラインカジノの取り締まりを始めた。シアヌークビルを追い出された中国人犯罪組織が次に目をつけたのがシュエコッコだった。

NLD政権が疑念を持ったためシュエコッコの開発は停止していたが、2021年のクーデター後に開発が再開された。ミャンマー国内が大混乱の中、シュエコッコでは開発が進んだ。そして、カジノ、オンラインカジノ、オンライン詐欺、マネーロンダリング、人身売買、強制売春など様々な悪が蔓延するようになった。噂では、臓器売買まで行われているという。中国人犯罪組織の暗躍はシュエコッコだけに限らなかった。

ラウカイ(ラオカイ)

シャン州の東北部、中国と国境を接し山に囲まれた辺境地にコーカン地区がある。この地に住むコーカン人は漢民族で、明朝の遺臣たちの末裔だと言われている。明朝の崩壊後、皇帝の血筋を引く永暦帝は清朝に追われ、ビルマまで逃れた。一時はビルマのタウングー王朝に庇護されたが、圧力により清朝の手に渡され、処刑された。しかし、永暦帝に付き従った遺臣たちは、ビルマ王朝の手も中国王朝の手も及ばない山の中に留まった。その数百年後、彼らの末裔たちはコーカン人としてミャンマーの少数民族となった。

このあたりの国境地帯は、山に囲まれ交通の便が悪く、貧しい地域だ。ケシ栽培はコーカン人にとって貴重な現金収入源となった。コーカンや隣接するワ州でケシ栽培が盛んになったのはイギリス植民地時代である。中国の辺境に位置するこの地域は、イギリスが中国へ輸出するアヘンの生産地となった。ビルマ独立後もケシ栽培は続き、地域の民族軍を支える収入源でもある。

1989年から、彭家声(ポンジャーシィン)が率いるMNDAA(ミャンマー民族民主同盟軍)がラウカイ(中国語ではラオカイ)を中心とするコーカンを支配していた。しかし、2009年にミャンマー軍との間で衝突が発生した。ミャンマー軍はMNDAAをBGFに変え、支配下に置こうとした。MNDAA内部で路線闘争が起き、ミャンマー軍側に寝返ったのは白所成(ベーサウチェイン / バイソウチョウン)をリーダーとする4大家族(氏族)だ。彭家声のMNDAAは敗北し、中国へ逃走した。ミャンマー軍側に付いた4大家族は自らの軍勢をコーカンBGFへ衣替えし、この地区を支配するようになった。コーカンBGFは違法ビジネスのパスポートを手に入れ、ミャンマーの国会へ国会議員を送り出すまでになった。

この2009年の軍事作戦を指揮したのが現在のミャンマー軍の最高司令官であるミンアウンフラインだ。当時、彼はシャン州東部地域(ゴールデントライアングル)の軍を指揮する局長で、このコーカン軍事作戦の成功が彼のキャリアを大きく押し上げた。彼に協力したコーカンBGFのリーダー白所成はミンアウンフラインの盟友となった。

オンライン詐欺の拠点はラウカイやシュエコッコだけではなかった。コーカン地区の南側にあるワ州、カレン州のKKパークも詐欺ビジネスの拠点となった。ワ州を支配してるのはUWSA(ワ州連合軍)で、クーデター後も中立を維持している。KKパークはKNU(カレン民族同盟)の一部の実力者が絡んでおり、KNU内部で問題となっている。ミャンマー軍と戦う民族軍も、中国人犯罪組織に侵されていた。

ミャンマー地図(中国のガス・石油パイプライン)

東南アジアを侵食する犯罪組織

中国人犯罪組織は巨額のカネを稼いでいると言われている。例えばカンボジアでは、2021年に100億ドル以上が動き、GDPの半分に匹敵する規模だという。ミャンマーでも140億ドルを稼ぐとされる。この莫大なカネを中心に、欲望と暴力が渦巻く世界がミャンマーの国境地帯に広がっていた。

2022年以降、最も儲かる違法ビジネスはオンライン詐欺である。犯罪組織は、世界中から集めた膨大な個人情報のリストを持っている。そのリストを基に、世界中の人たちにメッセージを送り、返信した人をターゲットにして金銭を騙し取る。特に恋愛感情を利用したロマンス詐欺が多い。被害者は画面の向こうにいる人に愛情を感じ、最終的には全財産を失うことになる。被害者の中には自殺する人もいるという。被害者は中国人が多いが、日本を含む世界中に広がっている。

犯罪組織で手足となって働くのは、ちょっと前まで普通の生活を送っていた若者たちである。彼らは、簡単に金が稼げるという宣伝に騙されてやって来る。ミャンマーでは12万人もの中国人が働いているという。しかし、甘い話に騙されて来るのは中国人だけではない。クーデター後、仕事を失ったミャンマー人も大勢いる。今日食べる米にも苦労している彼らは、怪しいと思いながらも、藁をもすがる思いでこの仕事に応募する。

中国やミャンマー以外からも、高給を求めて世界中から若者がやって来る。インターネットの求人広告では勤務地をタイとしているが、バンコクに到着後、ミャンマーの辺境地に連れて行かれる。彼らは厳しく監視され、逃げようとすれば拷問が待っている。このようにして、彼らは組織の奴隷として働くことになる。

騙されて集まった世界中の若者たちは被害者でありながら、組織内で働くことで加害者にもなってしまう。一度この鎖に絡め取られると、脱出は非常に困難だ。中国政府は軍事政権に対して犯罪組織を取り締まるよう要請したが、最高権力者のミンアウンフラインは動かなかった。いや、動けなかった。国境地帯の少数民族に違法ビジネスを許可したのはそもそもミャンマー軍だったし、違法ビジネスを取り締まると味方だった少数民族軍が敵になってしまう恐れがある。また、ミャンマー軍自体が犯罪組織から巨額の見返りを受け取っているという話もある。

オンライン詐欺が世界的に注目され始めたのは2022年からで、2023年には中国国内でも、騙されて働いている若者たちのことがメディアに取り上げられるようになった。しかし、中国政府が本格的に動くことはなかった。その後、事態は深刻化し、ミャンマーで犯罪組織の餌食になる中国人若者のことが中国メディアに大きく取り上げられるようになった。中国にとっては、オンライン詐欺の被害者が続出し、10万人以上の中国人若者が犯罪組織の罠にはまっている状況は、看過できないものになった。

中国で大ヒットした映画、「孤注一擲」

2023年8月に中国である映画が封切られた。「孤注一擲」(No More Bets)というこの映画は、中国全土で大ヒットした。映画に描かれていたのは、まさにラウカイやシュエコッコで起きていることだった。

プログラマーのシェンとモデルのアンナは、高収入の仕事ということで海外に誘われた。しかし、その就職先は奴隷キャンプのような詐欺組織だった。監禁され虐待された二人は、ネット上で見知らぬ相手にオンライン詐欺を働くことを強要される。彼らの仕事の結果、見ず知らずの男、顾天之がオンライン・ギャンブルにハマってしまった。全財産を失った顾は、ビルから飛び降り自殺を図る。顾が詐欺に引っかかったことを知った彼の恋人が警察に通報し、警察は国を越えた捜査と捜索を開始した・・・

https://en.wikipedia.org/wiki/No_More_Bets


映画のヒットと時を同じくして、8月から中国政府が犯罪組織の取り締まりに乗り出した。軍事政権と民族軍に対して強力な申し入れが行われた。これに応じたのは、コーカンの南に隣接するワ州を支配するUWSA(ワ州連合軍)である。ワ州に存在するオンライン詐欺組織の中国人たちはUWSAに逮捕され、中国に引き渡された。

UWSAは、中国の支援によってミャンマー最強だと言われるようになった民族軍だ。ミャンマーでは最強でも、中国政府に逆らうわけにはいかった。しかし、軍事政権は動かなかった。

ミャンマーの国境地域でこうした違法ビジネスが盛んになった要因はミャンマー軍にある。ミャンマー軍が民族軍を支配下に置く見返りとして、彼らに違法ビジネスを許可したからだ。今さら、違法ビジネスを取り締まるわけにはいかなかった。もし取り締まれば、彼らが離反してしまう恐れがあった。中国政府と軍事政権の間に不穏な空気が流れるようになった。

そして、10月20日に事件が起きた。ラウカイに臥虎山莊と呼ばれるオンライン詐欺の拠点があった。ここで働く中国人たちが逃走を試みたが、臥虎山莊の私兵によって何十名も銃殺された。殺された者の中には、中国当局から派遣された潜入捜査官が複数いたと伝えられている。

▦ 衝撃的な1027作戦(2023年10月27日〜)


10月27日の午後、私は友人の会社から自宅に戻る車の中にいた。独立系メディアのページをスマホで見ていると、シャン州北部の戦いについのニュースが次々と入ってきた。その日1日だけで、何箇所ものミャンマー軍の基地が陥落していった。それまで毎日起きていた軍事衝突とは次元が違うもので、「1027作戦」と名付けられていた。シャン州北部のこの軍事作戦は、「兄弟同盟軍」と呼ばれる3民族軍が中心となり、ミャンマー軍へ奇襲をかけたものだ。そして、この日はクーデターから1000日目だった。

シャン州北部というのは地政学的に非常に重要な地域だ。その昔、太平洋戦争で日本軍がビルマに侵攻した要因のひとつは、シャン州北部を走る「ビルマ公路」を潰すためだった。ビルマ公路は「援蒋ルート」とも呼ばれ、日中戦争で日本軍が戦っていた国民党への補給ルートだった。

そのビルマ公路をなぞるように、現在はミャンマーと中国を結ぶ最大の国境貿易の幹線道路が存在し、インド洋と中国を繋ぐ石油・天然ガスパイプラインが走っている。さらに、中国とインド洋を結ぶ未来のハイウェイと鉄道もここを通る計画だ。ミャンマーと中国を結ぶ最重要のルートであり、兄弟同盟軍が攻撃対象としたのはまさにこのルートだった。

1027作戦の推移

話を10月27日に戻す。
突然の攻撃でミャンマー軍は大混乱に陥り、次々と軍事基地を放棄していった。攻撃は一箇所だけではなく、同時多発的に多数の場所で始まった。3民族軍は2009年から一緒にKIAで訓練を受けてきた。兄弟同盟という名に違わない見事な連携だった。そして、連携していたのは彼らだけではなかった。全部で10もの民族軍や地方のPDF(間接支援も入れると20もの組織)が1027作戦に参加していたという。これだけ多くのグループがひとつの軍事作戦に協力するのもミャンマーでは前代未聞だ。

1027作戦の大義名分はふたつあった。軍事独裁政権の打破と違法ビジネスの撲滅だ。ラウカイも兄弟同盟軍に攻撃され、オンライン詐欺の拠点はあっけなく崩壊した。犯罪組織の中国人たちは逮捕されて中国へ送り返された。ラウカイを支配していた4大家族や有力者たちは我先にと、ミャンマー軍のヘリコプターでラウカイから脱出した。

この1027作戦について、事前に中国政府の了承があったのかどうか明らかにされていない。しかし、兄弟同盟軍が中国に伝えていたのは確かだろうと多くの専門家が述べている。

それにしても、ミャンマー軍は弱かった。いくら虚を突いた攻撃といえ、ミャンマー軍には戦闘爆撃機やヘリコプターが配備された空軍があり、戦車や装甲車、重火器も装備し、銃や弾丸も豊富に持っている。しかし、次々とミャンマー軍の基地やキャンプが陥落していった。

1月3日時点で、400を超えるミャンマー軍の前哨基地を含む様々な基地、12の主要な町、複数の中国との国境ゲートを兄弟同盟軍が落とすこととなった。

ラウカイは1月5日に陥落した。ラウカイにある軍司令部が降伏し、2000名以上の将兵、彼らの家族を合わせると4000名以上が捕虜となった。また、6名の准将も含まれていた。この4000名以上の捕虜は武装解除された上でラショーやタウンジーなどにあるミャンマー軍の元へ送り返された。その後、6名の准将は軍事裁判にかけられ、3人が死刑で3人が終身刑を言い渡されたという複数の報道がある。軍事政権の報道局はこれを否定しているが、現在6名がどういう状況にあるのかという言及はない。

その後も戦いは続いていたが、1月12日に中国昆明で行われた第3回停戦協議で兄弟同盟とミャンマー軍の間で停戦が合意された。停戦の範囲はシャン州北部の戦いだけで、他の地域は対象となっていない。しかし、合意後もミャンマー軍による空爆や重火器の砲撃が続いていると、兄弟同盟軍のTNLAから報告されている。そのうち、本格的な戦いへ発展する可能性が高い。

現地からのニュースには、ミャンマー軍捕虜の姿が写真や動画に写っていた。軍服を着ているのは少数で、ボロボロの服をまとい痩せこけて虚ろな目をしている人たちがたくさん写っていた。中にはかなりの高齢者もいる。そんな彼らの姿を見ていると哀れになってくる。軍が特権階級というのは将校以上で、兵士は奴隷以下の存在だった。

オンライン詐欺のその後

1027作戦が始まる直前に、オンライン詐欺グループから逃げようとした数十人の中国人が射殺されたという事件(中国潜入捜査官も殺されたという)があった。事件が起きた臥虎山莊のオーナー明学昌(ミン・シュエチャン)は軍事政権に逮捕されたが、中国側に引き渡される直前に自殺した。しかし、本当に自殺だったのかを疑う声が大きい。

また、ラウカイを牛耳って詐欺ビジネスを行っていた4大家族は、ラウカイからミャンマー軍のヘリコプターで脱出し、その後の行方はわからない。中国政府から彼ら10人の逮捕状が出たが、軍事政権は口を閉ざしたままだ。その10人の中には、ミンアウンフラインの盟友とされている白所成も含まれている。彼らは軍事政権によって匿われているというのがもっぱらの噂だ。軍事政権が口を閉ざすのも、ミャンマー軍と犯罪組織との結びつきが中国政府に明らかになることを恐れているからだと言われている。

ラウカイから脱出した犯罪組織の中国人幹部たちは、他の地域に移動してまた詐欺ビジネスを続けようとしているという。シャン州北部のコーカンやワ州では詐欺組織は壊滅したが、タイと国境を接するカレン州のシュエコッコやKKパークではまだ詐欺ビジネスが続いている。中国、ミャンマー、タイの3カ国合同で去年から対策を検討しているが、ミャンマーの軍事政権の動きは鈍い。

去年、タイ政府はシュエコッコへの電気と通信回線を遮断したが、シュエコッコでは自家発電で対応している。また、ミャンマーの通信会社Mytelが2023年7月にシュエコッコ近くに電波塔を新たに設置した。Mytelはベトナム企業とミャンマー軍傘下企業との合弁会社だ。中国とタイの圧力に軍事政権はいつまで耐えることができるのだろうか。

これを書いている今(1月24日)、シュエコッコを支配しているカレンBGFがミャンマー軍の支配から外れて独立するというニュースが入ってきた。このままミャンマー軍側に付いていると将来が危ういと考えたのだろう。カレン州での戦いでは、今までミャンマー軍とカレンBGFが共同軍事作戦でKNU(カレン民族戦線)と戦ってきた。カレンBGFがミャンマー軍から離脱することになれば、ミャンマー軍はますます厳しくなる。シュエコッコの違法ビジネスもどうなるか分からなくなってきた。

ただ、犯罪者たちの行き先はミャンマーだけでない。ラオスのボケオに、ゴールデン・トライアングル経済特区(金三角経済特区)がある。中国資本によって開発されているこの経済特区は、ほぼ中国の植民地状態だという。ここには中国人向けのカジノをはじめ、ラウカイと同じようにオンライン詐欺の組織も活動している。ミャンマーの犯罪拠点が潰れても、彼らは新たな腐敗の地へ流れていくだけだ。

▦ 転換点


1027作戦はミャンマー国民を勇気づけた。私の周りのミャンマー人も一気に元気になった。兄弟同盟軍の活躍により、連日盛り上がりを見せていた。Facebookを見ると、「いいね」が多数付いたコメントが目立った。
「今まで私たちが勝つと信じていましたが、本当は確信が持てませんでした。しかし、今は確信を持っています」
このコメントはミャンマー国民の気持ちを代弁していた。

戦いが3年近く続き、抵抗することに「疲れた」と感じる人々が増えていた。軍が弱体化しているのは知っていたが、なかなか軍は倒れず、生活も厳しくなっていた。この戦いがいつまで続くのかという先の見えない不安で、心が折れそうな人々(折れた人々も)がたくさんいた。外に出ると、誰が聞き耳を立てているか、誰がこっそり見ているかわからない。自由におしゃべりもできず、写真を撮る際も周囲への注意が必要だった。また、ネット上でも実名で本当のことを書くことができなかった。24時間監視されているような状態を3年近く経験してきた。そこに飛び込んできたのが1027作戦のニュースだった。人々の表情は明らかに変わった。

変わり始めた海外の視線

変わったのはミャンマー国内だけではなかった。1027作戦が始まって1ヶ月も経つと、海外の報道の論調が明らかに変わってきた。ワシントン・ポストは「ミャンマー軍事政権は敗北しつつある。米国は崩壊に備えるべきだ」という記事で、以下のように述べている。

世界は体制崩壊後のことを考え始める必要がある。これは、この国で唯一の合法的な民主化推進勢力であるNUG(国民統一政府)との対話を意味する。

ワシントン・ポスト


クーデター後もヤンゴンに住み続け、毎日普通のミャンマー人と接している私からすると、国際機関や海外政府のミャンマー国民に対する対応は冷淡だと感じてた。彼らはミャンマー軍を非難する「言葉」を繰り返すだけだった。それに、いくら軍が弱体化しても体制変換について本気で語る大手の海外メディアは存在しなかった。ミャンマーに関心がなかったとしか思えない。しかし、1027作戦をきっかけにその状況が変わり始めた。

ミンアウンフラインの辞任を求めるの声

軍サポーターたちのSNSに変化が起きた。総司令官ミンアウンフラインの辞任を求める書き込みが出てきたのだ。また、マバタ(ミャンマー愛国協会)の僧侶が軍を支持する集会でミンアウンフラインの辞任を求めたのだ。マバタは超国家主義の仏教団体で、軍事政権を支持している団体だ。いくらマバタであろうと、今までは軍のトップである総司令官に辞任の声を上げることなど、絶対にタブーであった。もし声を上げるとそれだけで逮捕されてしまい、その後は命の保証もない。実際、ミンアウンフラインの辞任を求めたマバタの僧侶は一時拘束されたが、今回はすぐに解放された。軍サポーターが行っているSNS上での批判はもう抑えることができなくなったようだ。

外からの批判ばかりではない、軍内部でもミンアウンフラインに対する不満の声が出ているという。

ミャンマー軍は上下関係が非常に厳しく、上官に反抗的態度を見せることは絶対にできない。軍内部で評価されるのは、能力よりも忠誠心だ。こうした組織でトップが批判されるというのは尋常ではない。

もうすぐ2月1日だ。この日でクーデターから丸3年になる。去年の7月に半年間延長した非常事態宣言の期限が1月31日に切れる。たぶん、また延長するだろうが、ミンアウンフラインがどうなるのかはわからない。

▦ 民主主義への道


今でも、クーデター後の2ヶ月間の日々を思い出す。その頃のヤンゴンでは、驚くほど多くの住民が街頭に出て様々な抗議活動をしていた。皆、善き国民であろうとし、互いに与え合い、助け合っていた。それはクーデター後に起きた一瞬の輝きだった。

その世界をミャンマー軍が暴力で粉々にし、ミャンマーは一気に闇に包まれてしまった。「ミャンマーは終わった」と思ったとき、若者たちが立ち上がった。

意識変革

武器も経験も資金もなかった彼らが、東南アジア有数のミャンマー軍に対抗できるわけがないと、世界中の誰もが思った。私の頭にも、若者たちが次々と倒れていく光景しか浮かばなかった。しかし、彼らは国境地帯に逃れて少数民族軍の助けを借り、さらには少数民族軍と協力してミャンマー軍に戦いを挑んだ。

そして今、ミャンマー軍を追い詰めるまでになった。ここまで来ることができたのは、若者たちの力だけではなく、多くの民族軍と諸々の勢力が結束したからだ。これほど団結したことは、今までのミャンマーの歴史で前例のないことだった。

最も大きかったのは国民の意識の変革だった。いくら若者たちが立ち上がっても、いくら民族軍が立ち上がっても、国民の支持がなければ成し遂げられない。それが起きたのは、クーデターによって多くの国民がミャンマー軍の真の姿を知ったからだ。

ミャンマー軍が行ったことは、言葉がいくらあっても足りない、日本人には想像すらできない非道で残虐なことを軍は行ってきた。ほとんどの民族にとっての共通の敵がミャンマー軍となった。そして、歴史上初めて民族の違いを超えて各民族がミャンマー人としての国民意識を持つようになった。

その2」でも書いたが、ミャンマーには解決不可能だと思われていたロヒンギャ問題がある。解決を妨げていた根本原因は国民の意識だったが、クーデター後にそれが劇的に変化した。クーデター以前は多くの人たちがロヒンギャ人をミャンマー人と認めていなかったが、今では半数以上の人たちがミャンマー人として認めるようになった。クーデターにより軍の正体を身を持って知った国民が軍の嘘に気がついたのだ。ミャンマー軍が崩壊すれば、ロヒンギャ問題も解決に向けて大きく前進することになる。

ただ、全てのミャンマー人が変わったわけではない。高齢者ほど、軍の権威から逃れられない人が多い。また、軍に近い人は軍の支配構造の中で様々な利益を得てきた。軍を否定することは、これまでの自分の人生を否定することになるし、今の自分の財産を否定することに繋がる。

レジスタンス側の問題

ミャンマー軍と戦っているレジスタンス側もいろいろな問題を抱えている。PDF(国民防衛隊)と呼ばれる若者たちのグループの中に、密告者やミャンマー軍への協力者といった非戦闘員を殺害している組織がある。

また、支配地内を通る車に過大な通行料を要求したり、チーク材の不法伐採を行ったりしているPDFも一部に存在する。更に、PDF同士が小競り合いを起こしているところもある。

本来はNUG(国民統一政府)が管理すべきだが、その管理は十分ではなかった。主にインターネット上で活動する政府のため、PDFを直接制御することが困難だし、マンパワーや資金も不足していた。また、NUGがPDFに必要な活動資金を提供できないため、各PDFは個別に資金を調達する必要があった。彼らはいつも活動資金の不足に悩んでいる。

さらに、NUGはビルマ人(民族)が主体であるNLD(国民民主連盟)のメンバーが中心となって設立した組織であるため、ビルマ人中心の意識が払拭できず、少数民族からの批判も多い。

最大の問題点は、NUGがミャンマー国内に拠点を持っていないことだ。安全な国外でいくら発言しても国内にいる国民へ言葉が響かないし、軍が何を行い国民が何を思っているか現場にいなければ真実は見えない。アウンサンスーチーが国民から尊敬されているのも、彼女が決して逃げないで国内に留まっていたからだ。NUGもリスクはあるだろうが、少数民族支配域でもいい、どこかに拠点を置くことで、ミャンマー国内で戦っているPDFや少数民族軍の信頼も得ることができるし、外国政府に対しても実効支配を証明することができる。

少数民族軍は、歴史的な対立から今でも互いに武力で争うことがある。ミャンマー軍はこれを利用し、これまで何度も少数民族同士の連帯を崩してきたという歴史がある。また、軍が差し出す利権という餌に食いついてしまう民族軍の幹部もいる。

レジスタンス側も多くの問題を抱えているが、彼らに何か問題があると、ネット上ですぐに批判される。軍と戦っている彼らの存在基盤は国民の支持である。国民から否定されると存続できなくなってしまう。彼らは国民から常に注視されているとも言える。そして、批判とともに多くの意見が出てくる。まさに、国のあり方を国民みんなで議論しているのである。

変革を拒否したミャンマー軍

レジスタンス側と対極なのがミャンマー軍だ。戦後80年近く続いたミャンマー軍は権力を欲しいままにしてきた。長年の独裁の結果、ミャンマー軍は膨大な既得権益を得て汚職にまみれる組織となった。

強大だと思われていたミャンマー軍が、まともな武器も経験も持ち合わせないPDFの若者や、猟銃しか持っていなかった山の民にも負けるような軍だと、クーデター後にあらわになった。その現実を直視すれば、腐敗した組織を建て直さなければいけなかったが、自らを変えることを拒否した。外からの批判は受け付けず、批判した者に対しては重い処罰を課した。戦況が不利になると国民に対してより凶暴で残虐になった。今では、自分たちが生き残ることしか考えていない。国民のことなど彼らの頭の中には露ほども存在しない。

ミャンマー軍とその総司令官ミンアウンフラインは、ヤダヤ(呪術、迷信)に深く傾倒している。吉祥の白い象を探し、サイクロンの進路を変えるために祈祷師を呼び寄せ、敵の攻撃を避けるために三猿(見ざる、言わざる、聞かざる)の写真を逆さに掲げるなどしている。1962年にクーデターを起こしたネウィン将軍の時代からミャンマー軍にはヤダヤを信じる伝統が存在するが、現在はまるで王朝時代の軍隊が先祖返りしたかのように見える。

未来

これまで、圧倒的な支配者であった軍に対して立ち上がった国民に、国際機関や外国政府から軍事支援や資金援助はほとんどなかった。強力なリーダーだったアウンサンスーチーはクーデター直後に逮捕されて、姿が消えた。こんな絶望的な状況で、名も無き多くのミャンマー人が立ち上がり、不可能を可能にしてきた。

軍を支持する国民はほとんどいない。国民から見放された軍はもう崩壊するしかないように見える。それが2ヶ月後なのか1年後なのかはわからない。軍が崩壊した後は、国造りをゼロから、いやマイナスから始めなければいけない。困難な仕事だろうが、軍を倒すことができた国民なら真の民主主義の国を建設できると私は信じている。


クーデターから1000日のミャンマー

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