春の革命

ヤンゴンに住む日本人です。 2021年2月にクーデターが起きたミャンマー、その後の状況…

春の革命

ヤンゴンに住む日本人です。 2021年2月にクーデターが起きたミャンマー、その後の状況を現地からお伝えしています。春の革命(Spring Revolution)というのは国民(たぶん9割以上)の抵抗運動を表す言葉で、軍を解体してミャンマーを真の民主国家にするのを目指しています。

最近の記事

弟の徴兵と姉の決断: 徴兵制が変えたミャンマーの若者たち

「こんにちは、私はミャンマー人です」 教室には元気な声が響いていた。ここはヤンゴンにある日本語学校。生徒のほとんどは、日本で働きたいと願う若者たちだ。しかし、男性の姿が少ない。30人ほどの生徒の中で、男性はわずか2名。あとは女性ばかりだ。 男性が少ないのは、今年5月から始まった徴兵制が原因だ。男性は18歳から35歳、女性は18歳から27歳までが徴兵対象だが、当初は女性が対象とされていなかった。男性への規制は厳しく、23歳から32歳までのすべての男性が就労目的での出国が禁止

    • Facebookが消えた日:ミャンマーのインターネット規制

      5月30日の午後、突如としてネットのスピードが極端に遅くなった。自宅で使っている光回線は30Mbps近いスピードがあり、YouTubeも高画質で問題なく見ることができていた。それが、数週間ほど前からなんとなく調子が悪くなってきていたが、この5月30日に極端に悪化したのだ。ネットスピードを計ると、限りなくゼロに近かった。そして、夕方にはついに何も表示しなくなった。VPNが原因ではないかと疑いVPNを外してみた。超スローであるが、何とか繋がっていた。しかし、ミャンマーではFace

      • 消えた家族と徴兵制

        私が住む地区には、毎日ごみ収集に来る家族がいる。彼らは朝9時頃にやって来て、夕方6時頃に帰る。地区内のいくつかの場所に置かれた住民用のゴミ箱から手押し車でゴミを集積場まで運び、そこでゴミの分別を行う。この作業を、両親とティーンエイジの娘2人という4人家族が毎日行っている。 家族はみな気さくで、私もすぐに顔馴染みになった。特に上の娘、ヤミン(仮名)は誰とでもすぐに友達になる特技を持っており、この地区でも人気者である。彼女が乗る自転車の荷台には、ゴミ回収用の大きなボックスを積ん

        • クーデターから1000日のミャンマー(その4:最終回)

          その村の噂を聞いたのは、新型コロナウイルスが発生する前年の2019年だった。村には幅30メートルにも満たない川が流れており、その川を渡るとそこはタイである。シュエコッコと名付けられたこの村はカレン州に位置し、中国の開発会社が一帯一路構想の一環として150億ドルを投じてスマートシティを建設するという。この開発会社がYouTubeで公開した映像には、未来のハイテク都市の姿が映し出されていた。 ▦ 違法ビジネスの巣窟 カレン州はタイに隣接し、国境近くの多くの地域は、ミャンマー独立

        弟の徴兵と姉の決断: 徴兵制が変えたミャンマーの若者たち

          クーデターから1000日のミャンマー(その3)

          「スマホを盗られた!」 日本人の友人から連絡があった。友人はバスを降りる際、ズボンのポケットに入れていたスマホをスリに盗られたという。ヤンゴンでこのような事件が頻繁に起こるようになったのは、クーデターから1年3ヶ月が経過した2022年5月頃からだ。 経済と治安が悪化するヤンゴン(2022年5月〜) クーデター前まで、東南アジアで最も治安が良いのはミャンマーだと私は思っていた。ドルキャッシュ、パスポート、スマホ、カメラなどの貴重品を何度かミャンマーで落としたり置き忘れたことが

          クーデターから1000日のミャンマー(その3)

          詐欺の街、ラウカイからの脱出

          「Are you John? I'm Kiki」 最近、見知らぬ若い女性からこんなメッセージが届く人が増えている。ほとんどの人はこれを無視するが、 「私はジョンじゃない、間違いメッセージだよ」 と返信する人もいる。これは詐欺師の罠にかかる第一歩である。 インターネットを利用した詐欺は以前から存在していたが、2022年頃からその数は急増した。特に、そのメッセージの発信元がミャンマーであることが多くなっている。詐欺メッセージを発信している犯罪組織はミャンマーの中国国境とタイ国境

          詐欺の街、ラウカイからの脱出

          クーデターから1000日のミャンマー(その2)

          2021年2月1日のミャンマー軍によるクーデター後、ミャンマー全土で大規模なデモや抗議活動が連日続いた。その先頭に立っていたのは10代から20代の若者たちで、ミャンマーではズィージェン(Z Gen / Z世代)と呼ばれている。この世代は今までのミャンマーに存在しなかった、まったく新しい世代だった。何十年にもわたる軍事独裁政権下で生きてきた親や祖父母の世代とは異なり、物心ついた頃には(限定的ながら)民主化された国であり、スマートフォンを駆使するデジタルネイティブとして、世界と繋

          クーデターから1000日のミャンマー(その2)

          クーデターから1000日のミャンマー(その1)

          2021年2月1日にミャンマーで軍事クーデターが起きてから2023年10月28日でちょうど1000日、2年9ヶ月が過ぎた。世界ではウクライナ、イスラエルと次々と戦いが起き、日本ではミャンマーのことは忘れられたように見える。しかし、今でもミャンマーでは戦いが毎日続き、悲惨なことが毎日起きている。私はヤンゴンに住む一人の日本人だが、このミャンマーの1000日間に何が起こったか日本にいる人たちにも伝えたいと思う。 まさかのクーデター(2021年2月1日〜2月3日) 2021年2

          クーデターから1000日のミャンマー(その1)

          「お金をください。何も食べていないんです」

          午後2時ごろ、私は両替屋に向かった。アパートの1年契約のためにまとまった現金が必要になったからだ。去年から、中央銀行発表の公定レートは1ドル2,100チャットになっているが、そのレートでドルをチャットに交換したいと思うミャンマー人はどこにもいない。実勢レート(闇レート)ではドルがずっと高いからだ。 今日の闇レートは1ドル2,885チャットだった。とりあえず必要な450万チャット(約21万円)ほどを両替えすると、けっこうな量の札束になった。私はバッグに無理やり押し込んだ。以前

          「お金をください。何も食べていないんです」

          今年もティンジャンを祝う人がいなかった

          ミャンマーでは一番暑い頃、4月17日に新年がやってくる。その新年の前の4日間は1年の災いを洗い流すため、みなで水をかけあう。ティンジャン(ダジャン)と呼ばれる水かけ祭りで、タイのソンクラーンと同様の祭りだ。 ところが、2020年は新型コロナ、2021年はクーデターと2年続けて誰もティンジャンを祝う人がいなかった。2022年、軍はティンジャンを利用しようとした。国が平常に戻ったのということを内外に示そうと、国民にティンジャンを祝うよう懸命に宣伝したが、ほとんどの国民は応じなか

          今年もティンジャンを祝う人がいなかった

          父を軍に殺された娘 #2

          #1はこちら 1年2ヶ月ぶりだった。家の前で娘のメイ(仮名)さんと祖母のミャ(仮名)さんが待っていてくれた。 もう、2年ほど前になる。メイさんのお父さんはクーデターへの抗議でデモ隊の中にいた。ある日、軍が発泡した銃弾にお父さんは倒れ、そのまま帰らぬ人となった。 以前ここに来たときには、ボランティア団体のメンバーと一緒だった。そのボランティア団体は、軍によって犠牲になった家族へ支援金として毎月いくばくかのお金を遺族に届けていたのだ。しかし、その団体は軍に目をつけられ銀行口

          父を軍に殺された娘 #2

          チン州の町にミャンマー軍が攻めてきた

          まだ雨季の頃だった。チン州の山から知り合いの男性がヤンゴンにやってきた。彼と知り合ったのはもう20年ほど前になる。ここではルィンさんという仮名にしておく。 2021年2月1日に起きたクーデターの後、ミャンマー中で大規模なデモが発生した。1988年のいわゆる「88民主化運動」のときも大きなデモが起き、軍は数千人(正確な人数は未だに不明)の一般国民を殺害した。88年の抵抗運動は、ヤンゴンなどの大都市が中心で地方は比較的静かだったが、今回はミャンマー全土と言えるほどデモなどの抵抗

          チン州の町にミャンマー軍が攻めてきた

          誰も祝わないティンジャン

          ミャンマーでもタイのソンクラーンと同じように4月の中旬に水をかけ合う祭りがある。ティンジャン(ダジャン)と呼ばれ、今年は4月13日から16日がその期間だった。ティンジャンが終わると新年になる。しかし、一昨年はコロナで去年はクーデターだ。ティンジャンで水をかけ合う姿を見ることはなかった。 今年は、軍は一部で水かけやステージを開こうとしていた。ヤンゴンのダウンタウンの中心に市庁舎があり、そこに軍が祭りのためのマンダ(ステージ)を設置したのだ。しかし、軍の支配を認めない国民は今年

          誰も祝わないティンジャン

          「僕はPDFです。スー母さんの息子です」

          昨日の朝、地方に住む知り合いから連絡があった。以下はその人から聞いた話だ。 外が何やら騒がしかった。家から出てみると、家の前の道を何人もの男たちが歩いていた。銃を持った兵士や警察官たちと私服の男たちが一人の青年の腰にロープを巻き、引き回していた。幼さがまだ残る青年は叫んでいた。 「僕はPDFです。スー母さんの息子です」 PDFとはPeople's Defence Force(人民防衛隊)の略称で、武器を持ってミャンマー軍(国軍)と戦うグループだ。だが、本当に彼がPDFの一

          「僕はPDFです。スー母さんの息子です」

          クーデターから1年の2月1日、サイレントストライキで再び沈黙の街へ

          2021年2月1日の早朝、徹夜明けの私は軍がクーデターを起こしたことを知った。それからちょうど1年後の2022年2月1日、9時ちょうどに目覚まし時計で目覚めた。 今日は午前10時から午後4時までサイレントストライキ(沈黙のストライキ)が予定されていた。去年の12月10日に行われたサイレントストライキでは、ヤンゴンのダウンタウンを歩いて回ったが、どこもゴーストタウンになっていた。 役所から届いた書類 私はストライキが始まった10過ぎに家を出た。まず、近くの小さなゼー(市場

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          家族を守るためにサガインの村に戻る

          「やつらは空からやってきた。空から爆弾が降ってくるんで、村のみんなは逃げるしかない。PDF(人民防衛隊)も逃げるしかない。そして、その直後に30人くらいの先遣隊が村に入ってくる。彼らは村にPDFがいないか確認した後、100〜200人の本隊がやってくる。無人の村でやつらはやりたい放題なんだ」 村は解放区となった ネーリン(仮名)はヤンゴンのある会社で事務職として働いている20代の青年だ。会社に入って数年になるが、ちょっと前まで両親と兄弟が住む村に帰っていた。サガイン地方にあ

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