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「お金をください。何も食べていないんです」

午後2時ごろ、私は両替屋に向かった。アパートの1年契約のためにまとまった現金が必要になったからだ。去年から、中央銀行発表の公定レートは1ドル2,100チャットになっているが、そのレートでドルをチャットに交換したいと思うミャンマー人はどこにもいない。実勢レート(闇レート)ではドルがずっと高いからだ。

今日の闇レートは1ドル2,885チャットだった。とりあえず必要な450万チャット(約21万円)ほどを両替えすると、けっこうな量の札束になった。私はバッグに無理やり押し込んだ。以前はヤンゴンは東南アジアで最も安全で未来が輝いていた都市だったが、今や最も危険で混乱した都市に堕ちてしまった。全てはミャンマー軍が起こしたクーデターが原因だ。両替屋から一人で歩いて帰るのに危険を感じる。誰か私の後をつけてきてないか、時々後ろを振り返りながら私は帰路を急いだ。

途中の繁華街ではかなりの人出だ。クーデター、新型コロナ前の8割くらいだろうか。でも、人が多いわりには静かだし賑やかさを感じない。路上では、何人もの物乞いを目にした。1歳くらいの小さな子を抱えた母親が歩道に座り、ぐずる子供をあやしていた。その向こうでは、3歳くらいの女の子が小さな空き缶を前に置き、無表情で座っていた。近くには痩せこけた老人二人が所在なげに道端に座っていた。物乞いにしてはお金を入れる缶も何もない。最近は物乞いなのかそうでないのかよくわからない人が増えている。

そうした人たちの前を街の人の多くは足早に過ぎていく。まるで物乞いが存在していないかのようだ。ヤンゴンで物乞いの姿が急増してから、もう1年が経つ。今では日常の風景になってしまった。人々が通り過ぎるのも、物乞いの彼らの一人ひとりに胸を痛めていたら、一歩も前に進めなくなってしまうからだ。それに、通り過ぎている人の中には、物乞いに近い生活をしている人も多い。

私は外出すると一度はお金を渡すことが多いのだが、今日は違った。札束を持った私は無事に家に帰らなければならない。私も彼らの姿が見えないふりをして帰りを急いだ。

しばらく歩くと、前方に銃を抱えた数人の兵士と警察官が見えてきた。道路の向こう側に渡って彼らを避けようとも思ったが、逆にその行動を疑われると何をされるかわからない。そのまま黙って進むことにした。彼らの姿が近づいてきた。すると、私の胸の中に怒りが湧いてきて、彼らを睨みつけてやりたくなる。しかし、今のミャンマーでそんなことをやるのは自殺行為だ。

彼らは体の前に銃を抱え、銃床は脇の位置で銃口は斜め下を向いている。指は引き金のすぐ近くに置いている。何かあればすぐに撃つことができる態勢だ。そのすぐ横を通るのはいくら慣れているといえ、やはりビビってしまう。怒りと恐れが入り混じった心を悟られないためには、彼らの存在を頭から消し去るしかなかった。彼らはいるけどいないのだ。

自宅アパートまでもうすぐだった。向こうから若い女性が歩いてきた。随分とくたびれた服を着ていたが、それほど汚れているわけでもない。そのまま彼女とすれ違いかけたが、突然彼女が立ち止まって胸の前で小さく手を合わせた。
「お金をください」
「何も食べてないんです」

消え入るような小さな声だ。歩いていて見も知らずの人からお金を請われたのは初めてだった。私は財布から1,000チャットを出して渡した。
「どこから来たの?」
「パズンダウンから」

パズンダウンというと、ここからかなり遠い。歩いてきたのだろうか。
「年はいくつ?」
「24歳」
「ずいぶん若いんだ。がんばって!」

口に出してすぐに気がついた。私はなんと間抜けな会話をしてしまったのだろうか。今のこのミャンマーで何をがんばれと言うのだろうか。それでも、彼女がちょっと微笑んだような気がした。

家に戻った私は家賃のお金を数え始めた。そのときになって、さっきの女性の姿が頭に蘇った。そして、たった1,000チャットしか渡さなかったことを悔やんだ。私はいつも物乞いには1,000チャットを渡していたので、彼女にも条件反射で1,000チャットを渡してしまった。しかし、今どき1,000チャットじゃ露天でモヒンガ(ミャンマー人がよく食べる汁麺)ぐらいしか食べられない。

両替屋との往復はたった45分だった。その間に私の心は憐れみと怒りと恐れと後悔で大きく揺れ動いてしまった。こんなヤンゴンの日々が今日も続く。


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