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ピーナツと「お父さん」

あれは小学校何年生の時だっただろう。

家族で車に乗ってどこかへ出かけていた。父が運転していて、母が助手席に座り、私たち3姉妹は後ろの席できゃっきゃしていた。

移動中、おやつに柿の種をぽりぽり食べていた。今では柿2、3個にピーナツ1個の割合でバランスよく食べるけど、子どものころは柿のほうばかり食べていた。残ったピーナツを持てあまし、何の気なしに、父に「いる?」と聞くと、父は「うん」と答え、こう言った。

「お父さん、ピーナツだ~いすき」

この時の父のうれしそうな、おどけた声を今でもよく覚えてる。そのセリフを聞いて、ハッとした。「お父さん」にも、好きなものがあるんだ…!

それは、その時まで「お父さん」という枠でしか認識していなかった父を、1人の「個人」として認識した瞬間だった。もともと血のつながった家族だけど、急にぐっと身近に感じた。無色だった父に、ぽわっと色がついた。

父は、平日は外でバリバリ仕事をして、家でも勉強したりするまじめな会社員だ。本もよく読むし、休みの日にはいろいろ運動もする。決して厳しくはないけど、「お父さん」だから、何となく自分の中で堅いイメージがあったんだ。テレビもNHKとか野球中継とか、子どもからしたら小難しくて退屈な番組ばかり観てるし。

それが、え、ちょっと待って、「ピーナツだ~い好き」って、その言い方も含めてかわいいぞ。お父さんて、実はおもしろい人なのかもしれない。近くにいすぎて、どんな人かなんて知ろうともしたことがなかったけど、そうか、そうだったのか。

小学生の私は無性にうれしくなって、くすくす笑って、それからしばらく心の中でこっそり「ピーナツお父さん」と呼んでいた。

父はあのとき「お父さん」の顔を一瞬はずして、ただの「個人」の一面をさらりと娘に見せてくれた。それから大人になるにつれ、少しずつ少しずつ父という人を知っていってると思う。物腰は穏やかだけど、どっしりしてるし、しっかりしてるし、そしてやっぱりどこかおもしろい人だ。そんな父という人を、好きだなぁとしみじみ思う。

家族も「個人」の集合体なんだと気付いてからがおもしろい。あのとき、お父さんにピーナツをあげてよかった。

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