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「フリ」をしてると積み重なって自分に染みつく。悪い方向でもいい方向でも。

新卒で会社員になり4年以上経った頃、趣味を通じて友達ができた。当時、クライミングにハマり、仕事帰りに週1~2回通っていたジムで徐々に顔なじみが増え、そのうち何人かとは土日も一緒にジムめぐりをするようになった。みんな年齢も職業も出身もばらばらだけど、壁を登っている間は子どもに戻ったようにワクワクして、本当に楽しかった。

その中に、海外から来て日本で働いている子もいた。背が高くて優しくてお茶目な年下の子だ。ここでは彼を「A」と呼ぶことにする。

出会って3年以上たった頃、Aが母国へ帰ることになった。送別会には彼のいろんなつながりの友達が駆けつけて、参加者どうしは初めて会う人が多かったけど、すごく和やかないい雰囲気で、Aを囲んで楽しく過ごした。送別会の間、Aがみんなから愛されてることがすごく伝わってきたし、私もAのことが人として大好きだと改めて思っていた。帰国してしまうのはすごくさみしいけど、こんなに素敵な人と仲良くなれてよかったと、しみじみと出会いに感謝していた。

送別会が終わり、お店を出てぞろぞろと移動して、みんなAと別れがたくて、道路脇の広場でまったりと飲んだり喋ったりしていた。Aに抱きついて泣いている男の子もいた。Aは泣きそうになりながら優しく笑って、ジョークを言って彼を笑わせてる。

私はそんな様子を見ながら、ほかの友達と座って喋っていた。ふと気づくとAが私の前にやって来て、私の目をまっすぐ見て、手を取って、自然な笑顔で「本当にありがとう」と言った。私は思わず、ちょっと笑って「どうしたの?」と聞いてしまった。急に改まって言うから、何のことだかピンとこなくて。すると「今日来てくれて本当にうれしい。帰国しても、また仕事の相談とか力になれたらうれしいと思ってる。」と、思いがけずまっすぐな言葉が返ってきた。表面的じゃない、心からの言葉。

そんなAの愛にあふれた態度に胸がいっぱいになり、慌てて私もお礼を言い返したけど、Aと比べて自分の表情や言葉が恥ずかしくなった。ちゃんと心を込められてるかなって。Aの半分も感謝の気持ちを伝え切れてないんじゃないかなって。大好きなのに、それがちゃんと伝わった?本当にまた会いたいんだよっていう気持ちが、伝わった?自分の表現力の乏しさが、もどかしかった。Aの気持ちは、こんなに全身からあふれ出てるのに。

昔から、私は自分の感情を他人に伝えるのが下手だったけど、そんな自分に拍車をかけたのが、新卒で入社した会社で過ごしてきてしまった、それまでの数年間だった。

その会社で、私は心を殺して働いていた。同期との研修期間中は大変ながらも楽しかったけど、部署に配属された当日に「ここは無理かもしれない」と感じた。新人係が50近い管理職の男性で、彼の歪んだ人間性にまず拒否反応が出た。そのフロアに流れるよどんだ空気に心が蝕まれそうだった。とにかく人を嫌な気持ちにさせるような、関わりたくない人が何人もいた。そこで私は、感情を無にして余計なことは何も感じないように、淡々と働くようにしていた。信頼してる人にしか、笑顔は見せない。極力自分を出さない。

朝の通勤ラッシュでは、最初の頃に嫌な思いをしてから、必要以上にちょっと不機嫌そうな、怖い顔をして乗るようにしていた。そのほうが、周りのイライラしてるサラリーマンからの八つ当たりや、近くに潜んでいるかもしれない痴漢の手から自分を守れると思ったからだ。そうやって、車内でも心を殺していた。

平日に心が安まるのは、お昼に同期とごはんを食べてる時と、会社を出た後から次の日の朝起きるまで。そんな生活を数年続けるうちに、通勤ラッシュでの不機嫌な顔も会社で心を殺すこともすっかり板についた。

やがて、会社でのストレスは相変わらずあるものの、信頼できる上司や先輩との関わりも徐々に増え、ほんの少しだけ会社での息苦しさが減った。社内で笑顔を向ける相手が少し増えた。あるミュージシャンの存在を知り、大好きになって、通勤ラッシュではその人の歌を聴いて狭い車内で心だけ自由に解放させるようになった。さらに今の仕事に就くための一歩を踏み出して学校に通い始めたり、クライミングにハマってジムに通うようになったりと、自分の世界が広がり始めた。

暗い沼の中から明るい地上へと顔を出せた気分だった。でも、そうして明るいところにたどり着いて、もう大丈夫だと何も気にせず自由に息をしようとした時に、何だか違和感があって思うようにうまくできないことに気づいた。それでようやくハッとした。職場と通勤ラッシュの中でだけ心を殺して別の自分を演じているつもりだったのに、その数年間が積み重なり、気づいたら私という本質の中に暗い影が本当に染みついてしまっていたのだ。久しぶりに素の自分を出してもいいと思える場所を見つけた時に、「素の私って、どんな感じだったっけ?」と、戸惑いを覚えたのだ。いつの間にか、心を殺している自分が素になりつつあって、ぞっとした。好きな人たちに心からの笑顔を向けるという自然な行為さえ、どこかぎこちなくなってしまっていた。

あの夜の広場で、まっすぐで温かくてキラキラしているAを見て、自分の心をないがしろにしてきた数年間の代償を痛感した。心を殺して、自分の正直な感情に蓋をして、周囲を気にしていないフリをして、そういう癖をつけてきたせいで、マイナスな感情だけでなく自分のプラスの感情にまでどこか鈍感になってしまっていたのだ。常にその瞬間瞬間に自分がどう思っているかをちゃんと意識してないと、感覚が鈍ってしまう。それじゃうまく言葉にできるはずもない。

積み重ねが人を変える。それは怖いことでもあり、希望でもある。あの会社での数年間で自分にかけてしまった呪縛は、また別の積み重ねで解くことができる。私はもう心を殺して生きていないし、これからいくらでも心を豊かに開いていって、さらにいい方向に行けるはずだ。これからも、日々の忙しさに流されずに、しっかり自分の声を聞いて、自分の気持ちを素直に表現して、大切な人たちに伝えることを意識して過ごそう。そんなことを改めて思った。



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