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予測できない未来へ

10代の頃、私の心は不安定だった。特に中学生の頃、私は周りから見ればいわゆる「普通のおとなしい生徒」の部類に入っていたと思うけど、その心模様はなかなか荒れていた。

自分の性格も自分の顔も嫌いで1人で思い悩むことも多かったし、制御できないようなイライラが湧き上がってきて自分の感情に振り回され、戸惑うこともあった。

30数年の人生を振り返っても、いちばん戻りたくないのが中学時代だ。それくらい、心がしんどかった。といっても、ひどいいじめに遭っていたわけではない。じゃあ、なぜか?

それは、どんなにつまらなくても自分の力ではどこへも逃避できなくて、絶望的に何も変わらない日々に囚われていたからだ。

社会人1~3年目もなかなかつらい日々だったけど、社会人なら自分の意思で会社以外の場所に居場所を求めることもできるし、自分でタイミングを決めて去ることもできる。

中学時代の、あの30人くらいが1クラスに勝手に寄せ集められて、気の合わない人とも同じ空間で1年間×3を一緒に過ごさなければいけない学校生活は、普通に考えて過酷だ。

高校生くらいになれば精神的にも少しは成熟してくるけれど、中学生はまだまだ幼さが残っている。精神的な成長の度合いも人それぞれだし、感情も不安定だ。だから、そんな同年代が織りなす「社会」に属すすべての中学生は、それだけで本当によく頑張っていると思う。

自分が中学生の頃を簡単に振り返ると、勉強は嫌いじゃないけど基本的に学校生活はつまらなかった。心から尊敬できる先生にも出会えなかったし、部活もあまり楽しめなかった。周りの女子が夢中なアイドルにはちっとも興味が持てないから一緒に盛り上がれないし、仲よくしている子はいても親友と呼べる子はいなかった。

今思い返しても楽しい記憶じゃないけれど、当時は中学校が自分の社会生活のすべてだったから、本当に笑い事じゃなかった。あえてさらりと書くけれど「もう死んじゃいたいな」と切実に思ったこともある。

当時の鬱屈した感情は自分でもよく分からなくて、手に負えなかった。それで暴れたりすることはなくても、中学生の私にはその感情をうまく言葉にすることもできなかったし、ましてやそれを誰かに相談しようなんていうふうにも思えなかった。ただ自分の心の中でだけ、嵐のようなモヤモヤが渦巻いていた。

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当時の私みたいに、いじめが原因とかじゃなく、1人でモヤモヤしてしまって息苦しい10代の子も、きっといると思う。そんなどこかの誰かに届けばいいなと思いつつ、あくまでも当時の自分へ向けて書くつもりで、自分の経験と今思うことを書きだしてみた。

いろいろ思い返して書いているうちに長くなってしまったので、エピソードごとに見出しをつけました。気になるエピソードだけでも、全部まとめてでも、読んでもらえたらうれしいです。

①先生へのいらだちと、小説から学んだ言葉
②部活動でのレギュラー争いと人間関係
③親友がいないことに苦悩した日々と、1人の時間

④「もう死んじゃいたい」の先にあったもの
⑤当時の自分に届けたい言葉

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①先生へのいらだちと、小説から学んだ言葉

担任の先生の言動にどうしようもなくイライラして、他のクラスならよかったのにと本気で思っていた。好きな先生に対しては反抗心のかけらも持たないのに、中学1年、2年の時の担任だけは本当に生理的に好きになれなくて、どう思われてもいいと思っていた。

毎日その日の感想みたいなものをひと言書いて提出するノートがあった。朝提出して、担任がひと言返事を書いて、帰る前に返却される。

ある日、家に帰ってからむしゃくしゃしていて、そのノートに「むかつくむかつくむかつくむかつくむかつくむかつく…!」みたいな感じで筆圧強めでぐちゃぐちゃに書き殴って提出したことがある。(今考えるとあり得なくて自分でもドン引きするし、よくそんなことできたなと思う。)でも何に対してむかついているのか、書いている自分にも分かっていなかった。

それに対して担任が「何がむかつくのかな?」と普通に一言だけ書いて戻してきたことにもイライラした。

矛盾するようだけど、こんな乱暴なことを書いても普通にスルーするのか、と思ったのだ。それを書くことで呼び出されて話を聞いてほしかったわけじゃないし、怒られたかったわけでもない。理由なんかなくて、ただ心の中の感情をストレートに吐き出していただけだった。当然だけど、そんな一方的な言葉はどこにも届かなくて、むなしくて、感情のおさめどころが分からなかった。

担任を尊敬できないことにもイライラしていた。その理由はたぶん「大人なのに」尊敬できないからだ。中学生だった当時はどこかで「尊敬できる大人」の存在を(当たり前なんかじゃないのに)当たり前のこととして求めていたのだと思う。何だかのらりくらりとした担任に尊敬できる要素はないと見なしていたし、人としても好きになれなかった。中学生の感受性は大人が思っている以上に敏感で強い。

でも今なら分かる。担任は別に何も悪くないし、今思えば「そういう先生なんだな」で終わることだ。他人の人間性のことで、私があんなにイライラする必要はなかった。教育理念や仕事への情熱の度合いや生徒との接し方なんて先生によってさまざまだし、そもそも「相性が合わない人」というのは絶対にいる

ただ、大人になればそういう人とは意識的に距離を置けても、中学生の私には無理だった。学校の担任となると毎日顔を合わせて話を聞いたりせざるを得なくて、そういう意味でも学校は過酷だった。

1つ、高校生になってから知って、すごく救われた言葉がある。吉本ばななさんの小説「ハチ公の最後の恋人」の中で出てくるセリフだ。

「嫌いな人がいたら、好きになるところまで離れればいいのよ。」

この言葉には、高校時代以降、人づきあいをする上で本当に助けられた。逆立ちしても分かり合えないような人とは、相手が自分の心の中に入ってこないように、できるだけ距離をとる。自分の心を嫌いな人で占拠してしまうことほど、無駄で苦しいことはないのだ。

②部活動でのレギュラー争いと人間関係

中1か2の時、部活動でのレギュラー争いで、私がレギュラーになったことで補欠になってしまった子がいた。仮にその子をA子としよう。私と同じポジションには同じクラスのA子と1つ上の先輩の合計3人がいた。先輩があまり練習に来なくなり、A子は私よりそのポジション歴が長かったので、私は当然A子がレギュラーになると思っていた。

だから大会前にレギュラーメンバーが発表されたとき、心底驚いた。A子はその場で何も言わず、私は「A子はきっと面白くないだろうな」と思って気分が塞いだ。どう思われているか気になったけど、謝るのも変だし、何と声をかけていいかも分からなかった。そのことを仲のいい友達に漏らしたら、あっという間にA子の耳にも入ったようで、翌日あたりの休み時間にA子が私の席に来た。「気にしなくていいのに~!」と笑顔で励まされ、心からほっとして少し泣いてしまった。

でも、数日後にまた暗い気持ちに引きずり下ろされることになる。

A子はいわゆるギャル系のスクールカースト上位にあたる子で、そのグループ内で私の陰口を言っていると知ってしまったのだ。中には私に聞こえるように「泣くなんて嫌みだよね~」と大きな声で言う子もいた。(ああ、すごく中学生っぽい。)

ただただ悲しい気持ちと、数日前のA子の言葉に涙した自分がバカみたいだと思う気持ちと、「じゃあどうすればよかったの?」といういらだちとで、もう勘弁してくれよと言いたくなった。こんな思いをするなら大会なんて出たくないと思った。

レギュラー入りを喜んでくれる友達がいても、どうしてもA子の存在を気にしてしまい、先輩たちに混じってせっかくレギュラーに選ばれたのに全然うれしくなかったし、自信を持つこともできなかった。周りを気にしすぎて、自己肯定感があまりに低かったのだ。とにかくこれ以上嫌われないようにしなきゃと変に気を遣って、グラウンドも居心地の悪い場所になった。

だけど、今は思う。頑張ってレギュラー入りした自分をもっと自分で褒めてあげればよかった。せっかく練習を頑張ったのに、レギュラー入りしたせいで人間関係を気にして全力で打ち込めないなんて、もったいないことをしてしまった。

そして部活に関して一番思うのは、そもそも私はチームでやる運動が好きではないのに、その自分の感覚をちゃんと優先してあげられなかったな…ということだ。本当は美術部か吹奏楽部を選びたい気持ちがあったけど、中学生の頃の運動部至上主義みたいな雰囲気にのまれて、友達と離れて文化部を選ぶ勇気がなかったのだ。まだまだ自分を確立できていなかった。

周りはどうあれ、自分の気持ちに正直に行動できる強さがあれば、全然違った中学時代になっていたかもしれない。

③親友がいないことに苦悩した日々と、1人の時間

クラスや部活で普通に話せる友達やよく一緒にいる友達はいたけど、親友と呼べる存在はいなかった。そしていじめまでいかないけどクラスの別の女子グループからいじわるな発言をされたり…とかはまれにあって、そういう学校内での閉じた人間関係はストレスの大きな要因だったと思う。

思春期ならではのイライラを生み出していたのは、少なからずこの学校内での閉塞感のせいだったんじゃないだろうか。

家に帰ってからは、当時はスマホもないし、本を読むか勉強するかだった。中学生の私には音楽を聴く習慣も1人でテレビをつける習慣もなくて、唯一1人でも楽しめた読書も、本の虫というよりは「心が落ち着くから読んでいる」という感じだった。

何もする気が起きないときは部屋の窓の近くに座り込んで、ひたすら空を見上げていた。形を変えて流れる雲を見ては、遠くへ行けていいなと思っていた。空を見ながら、空想の物語を1人で考えたりもしていた。

姉と妹は友達が多いから遊びに出掛けてほとんど家にいなかった。部屋に1人でいると言いしれぬ寂しさに襲われたけど、遊びたいと思う友達がいなかったからどうしようもない。たまに約束をして出掛けることはあったけど、基本的に友達と会うのは学校だけで十分だと思っていた。

でもやっぱり「親友がいたらいいのに」とずっと思っていた。何でも話せて、一緒にいて心から楽しくて、お互いに同じくらい大好きになれる子がいたら、毎日が楽しくなるはずだ。私のことを分かってくれる人なんてここにはだれもいない、と思いながらも、私を分かってくれる誰かに早く出会いたいと切実に思っていた。

自分が変わればつまらない学校生活も何か変わるかなと思って、「明日から少し変わってみよう!」と奮起したことも一度や二度じゃなかった。でもやっぱりそう簡単に変われなくて、嫌になるほど毎日が同じことの繰り返しだった。

振り返って思うのは、部屋ですることがなくてモヤモヤしている時間に、音楽や映画など何か1つでも好きになれるものと出会えていたらよかったということだ。好きな人もいないし、好きなアイドルもいないし、趣味と呼べるものもなくて、中学生の私は「心が動く瞬間」が圧倒的に少なかった。

好きなものがないから、「好きなものを見つけよう」という発想自体がなかった。自分のお金がないから、何かを楽しむためにお金を使うという自由も知らなかった。1つでも夢中になれて心が躍る何かがあれば、よどんでいた日常に光が差しただろうなと思う。

自分1人で行ける行動圏内にTSUTAYAも映画館もなかったし、毎月固定のお小遣いもなかったけど、あの時せめて家でネットが使えて、YouTubeとか見ていたら、何を好きになってたかな。(と思って調べてみたら、YouTubeに初めて動画が投稿されたのは2005年らしく、私が中学生の頃にはまだ全然存在していなかった…)

④「もう死んじゃいたい」の先にあったもの

中学時代の変わらない毎日の繰り返しは絶望的なほど長く感じて、1度だけ「もう死んじゃいたいな」と思ったことがあった。何か決定打があったわけじゃない。何も変わらない毎日に意味を見いだせなくなったのだと思う。

気づいたら自分の手で自分の首を絞めていた。部屋で1人、勉強机のイスに座って静かに両手に力を入れて首を絞め続けた。しばらくすると我慢できないくらい苦しくなって手の力を緩めてしまい、再び呼吸したとたん熱い涙があふれてきた。何も変わらない絶望と、自分が変われない悔しさで目の前がにじんだ。

あの時の自分を思い出すと、そんなことしちゃダメだよ、とは言えない。あまりに切実だったから。ただ、言えることは1つだ。

本気で死のうとしないでくれて、ありがとう。

中学校という自分にとって死ぬほどつまらない世界のせいで、「生きててもつまらないことだらけだ」と思い込んだまま人生を終えてしまわないでよかったと、心から思う。

だって、中学校より高校が楽しかった。心を許せる友達ができて、尊敬できる先生にも出会えて、友達に左右されず自分がやりたいと思った部活に入部して打ち込むことができた。

さらに、高校より大学が楽しかった。いろんな人がいて、友達もサークルの先輩もびっくりするほどいい人ばかりだった。初めて好きな人もできて、親友みたいな恋人もできた。友達と一緒に旅行したり、1人で海外に行ったりもした。

いろいろ大変だった会社員時代も、同期や信頼できる上司や先輩に精神的に救われたり、仕事以外で楽しい居場所を見つけられた。好きになれる音楽やスポーツがあることも社会人になってから知ったし、やりたいこと(今の仕事)も一度社会に出てから見つけられた。

そして今。

今がいちばん精神的に自由で、大変なこともひっくるめて自分の人生を生きている感じがしている。日常では、ほとんど余計なストレスがない。この心の軽さは、中学生の頃の自分には想像もできなかった感覚だ。

恋人と一緒に暮らし、会いたい友達とだけ会い、つかんだ仕事を全力でやる。稼いだお金で好きなものを買い、音楽を聴き、ライブに行き、映画を観て、おいしいものを食べ、旅行に行く。

30歳を越えた今、ささやかだけど楽しみなことがたくさんある。

⑤当時の自分に届けたい言葉

中学校という「大人の都合に合わせて用意された小さな箱」の中で、もし何も悩まず楽しめたのなら、たぶんめちゃくちゃラッキーなのだと思う。

まだまだ自分のこともよく分からない年齢だし、嫌いな人や苦手な人との適切な距離のつかみ方も分かっていなかったりする。そして、誰かを傷つけるようなことを悪意をもって平然と言ったりする人もいる。(自分だって、無意識にひどい言葉を誰かにぶつけていたかもしれない。)

個性豊かな大勢の生徒たちが、勉強に部活に学校行事にと、周りとうまくなじんで輪を乱さずやり遂げることを求められる。それって、本当はかなりハードなことだ。無理だよって弱音を吐きたくなっても全然普通のことだと思う。ただ現実の学校は、弱音を吐きにくい環境だ。みんなが「大丈夫」な前提で物事がどんどん進んでいく。

そんな余白のない小さな箱の中では、いわゆる不良っぽい素行が悪い子や不登校の子など、教師にとって分かりやすく「対応が必要な生徒」ばかりがどうしても目立ってしまうだろう。でも、私みたいに心の中では嵐が渦巻いてるけど我慢して粛々と学校に通っている「普通のおとなしい生徒」もまた、同じくらいかそれ以上にいると思うのだ。

永遠に続くかと思うような、何も変わらないつまらない日々。誰にも分かってもらえない孤独感。抜け出せないモヤモヤ。だけど誰に何をどう伝えていいかも分からない。そういうものが積み重なって、ある日突然、何もかも嫌になって消えてしまいたくなる。

そんな感情を抱いた当時の自分に、今の私から声をかけることができるとしたら、共感でも励ましでもなく、事実だけしか伝えられないと思う。

「未来では予測できないことが起きるよ。」

すごく当たり前なことだけど、視界が暗くなるとつい見失ってしまう事実だ。

どこにも逃げられず、日々の窮屈さに閉じ込められていた当時の自分は、未来に想いを馳せることもできないほど思考が縮こまっていた。またやってくる明日が今日と何も変わらないんじゃないかと思っては、暗い気持ちになっていた。

でも、「今」に希望が見いだせなくても、生きていれば必ず、予測できない未来が待っているのだ。

私が会えてよかったと思える人たちや、一生大切にしたい好きなことや、忘れられないすてきな出来事に巡り会ったのは、ぜんぶ中学を卒業してからだ。中学時代の私からしたら信じられないような、夢みたいなことがたくさん現実の世界で自分の身に起こった。出来すぎた小説みたいな展開が起きたことも何度もあるし、好きなものも年を重ねるほどどんどん増えてる。

今の環境がつまらなくて苦しんでいるあなたを変えることは私にはできないけど、未来には予測できない出来事が待っているということだけは伝えたい。そしてそれを経験してほしいと、心の底から思う。自分の未来を、自分の目で見てほしい。大人になるほど、人生を楽しめるようになるから。

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大人になって、好きなものがどんどん増えていく純粋な楽しさを知るたびに、幸せって単純なことでいいんだなと思えるようになった。例えば好きな音楽が増えた時もそう。最近初めて聴いて、瞬間的に「好き!」と思ったAlfred Beach Sandalのきれいな歌声に出会えた時なんかも、単純だけど生きてるといいことがあるなと思った。これから先も、好きなものが増えるたびに、きっとそう思うだろう。


最後に、とにかく「生きにくさ」を感じていた昔を振り返って書いたnoteも置いておきます。あなたらしくいられる場所が、どこかに必ずある。


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