日常生活で【毒親】【親ガチャ】という表現を使わないようにしている理由。
こんにちは。
春野太陽です。
私は【毒親育ち】です。
毒親に支配されて、人生の選択肢は勝手に決められ、喧嘩のたびに命の危険に晒されて、其の結果精神病も負うことになり、絶縁を選択せざるを得ない人生を生きてきました。
その経験から、
『似た境遇の人を救いたい』
『後世に同じ過ちを繰り返さないように啓蒙したい』
とこのnoteをはじめています。
ですから、noteには【毒親】というワードを
多用しています。
発信している毒親育ち当事者の私と、
ご覧になられている毒親育ち当事者にとって、
わかりやすい表現だからです。
しかし、日常の場面では、
【毒親】【親ガチャ】
という単語の使い方を気をつけています。
むしろあまり出さないようにしています。
その理由をお伝えしていきます。
理由①短い造語であるためにファッション的に使ってしまいやすいから
【毒親】【親ガチャ】。
どちらも言葉がとても短くてかつ言いやすい。
新しく生まれた造語というのは
流行の単語として瞬く間に広まっていきます。
そうなると、
【毒親】【親ガチャ】という単語を
安易にノリで使いかねないんですよね。
だから、『日常的にファッションで使われるのを防ぐ』ために
自分自身もリアルな生活の場面で
【毒親】【親ガチャ】の言葉の使用は
控えています。
理由②単語だけ知っていて実情を知らない人が多いから
たしかに【親ガチャ】【毒親】という単語は
それ自体、とても一般的な言葉となってきました。
しかし、理由①にも通ずるように、
ファッション的に使う人が出てきている。
それはなぜなのかというとおそらく
【本当の毒親育ちの実情を知らない】
からなんですよね。
こちら、私が親と絶縁するときに大変参考にさせていただいたチャンネルなのですが、
まさにこちらの木村裕子さんのおっしゃる通りです。
動画の解説を抜粋させていただきます。
この【親ガチャはずれ】と【毒親育ち】
が混同して、ぐちゃぐちゃなまま
安易に発言している方、多いと思います。
毒親育ちは本当に精神や生命そのものを
内面を危険に晒されながら命がけで生きてきました。
そんな本気で毒親に苦しんでいる子からしたら、
親ガチャレベルで年収や肩書だけで『うちの親は毒親だわ』不満垂らしてる子を見て
腹が立ちますよね。
精神虐待の内情・実情の重みが
【毒親】という使いやすすぎる単語からは
なかなか伝わりにくいんです。
それも含め、私は外ではできるだけ単語は控えて具体的な被害を説明することに注力しています。
【毒親】【毒親育ち】の悲惨さを知らずして
安易に単語を使わないでいただきたい。
理由③単語を使う対象が、「毒親育ち当事者」ではなく、「親」だったり「まったく関係のない第三者」になってきている現状があるから
もともと【毒親】この単語は、
どなたかの著書から生まれた造語らしいです。
その出版かたしか20年くらい前とか?
そして時を経て私の体感としてここ5~6年で猛スピードに広まった
【毒親】という単語。
本来、この【毒親】という言葉の誕生は、
『子供に決定権を与えず精神的に支配して
その子のあるべき成長を妨げる毒のような親(大意)』
を簡略的に表現したものです。
この言葉が広まってきたことで、
『お金も食事も進学も何不自由なく育ててもらったはずなのに何故か親に感謝の気持ちが湧かない。自分が変なのかな。』
『年中あれこれと連絡してくる親に対して嫌気がさしてくる。私はもう結婚もして自分の家庭があるのに、なんかすごく干渉されてて苦しい。親が私の意思なんて無視して乗り込んでくる。でも親の優しさだよね。親が正しいんだよね。私が我慢しなきゃならないよね。』
『なんだか社会に出たら、家庭で教わってきたことと全然違うことを言われるなぁ。上司のアドバイスがなぜか嫌味に聞こえる。同僚の努力が素直に褒められず嫉妬しちゃう自分がいる。あれ?なんだかおかしい。周りと自分がすごく感覚がズレてる。なんでこんなに生きにくいの?』
と、理由のわからないモヤモヤのあった人たちが
自分の抑圧してきた気持ちに気づいて、
不自由なく育ててくれた親は実は精神虐待をしていたという事実にも気づき
そこからようやく自分の謎のモヤモヤした気持ちに納得がいきスッキリできる。
もともと【毒親育ち当事者】にとって、
気づきのきっかけであり救いの手である単語でした。
でも今は、
子育て中の親が「自分は毒親です。」
と勝手に自称して悩んでいたり、
全く関係のない第三者が
「親のことを毒を表現するなんてけしからん」
と物申していたり、
カオスな状況です。
このカオスな状況で、安易に当事者の私が
【毒親育ちです】などといったもんであれば
勘違い野郎から何を言われるか分かりませんので
日常生活ではできるだけ言いません。
なんとなく私の言いたいことが
伝わったでしょうか。
まぁ、理由はひと通りざっとこんなもんです。
最後に
私の心の叫び
ここではっきり言わせてもらいますね。
其の1【毒親】【毒親育ち】【親ガチャ】を安易にノリで使うな。
本当の毒親の苦しみを味わってる人にとって、安易な気持ちで発せられるこの言葉を耳にするのは傷口を塩を塗られる行為です!
其の2 親のあなたを【毒親とみなすかみなさないか】判断する決定権があるのは、親のあなたでもなく第三者でもなく、その子供のみ!自分がその子にとってどんな親だったのかは、子供が成人する頃にその子の行動で答えが返ってきますよ。
其の3『自分が毒親かもしれない』と悩んでるパパママさん。正解のない子育てだからこそ不安・心配・困惑しているのでしょう。そのお気持ちは察します。
でも完璧な親なんてこの世に1人もいません。子供が親に求めているのは、「完璧」ではなく「誠実」です。
子供を1人の別の人間として対等に素直に向き合えれば親として上等ですよ。
『自分は毒親かもしれない』って自分を主語で悩むより『子供がどうすれば生き生きするかな』って子供を主語で考えてあげる方に切り替えればいろんな物事の視点が変わりませんか?
其の4「親のことを毒というなんてけしからん」という人。その【毒親】という言葉に出会ってようやく苦しさから救われた人たちがどれだけいるか分かってらっしゃいますか!言葉の起源とそれを使い始めた人たちがどんな人たちかを知れば、この言葉が必要である意味がきっとわかるはずです。使い方の理解を誤っていると「けしからん」になるので、そうならないようにあなたも学び直して協力してくれませんか。
以上。
このテーマは、個人的な経験としてというよりは
社会的な問題、言葉や実態の理解などの大きなテーマなので
また新たな情報や視点を得られ次第
報告、共有、啓蒙、忠告、議論として
持ち込んでみようかなと思います。
ありがとうございました。
2023.07.18(tue)
春野太陽
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