ゆらゆら、ゆめ
高架下のノンステップバスと快速電車が交差する平日の午後5時。冷たく澄み切った空気と温かな家庭の匂いが混じりあう駅前。
紙袋の匂いに誘われてファストフード店に入ろうか。でも、今日は初めてネイルサロンに行ったし、美容院にも行ったし、バイト用の5cmのヒール買ったし、すでに罪悪感でお腹いっぱいだし。さすがにねと独りで苦笑いして、駅の階段へ呑気に足を下ろした。
帰路は人生のエンドロールのキッザニアみたいで好きだ。社会人用の緊張状態の筋肉をほろりと緩めて、ゆっくり五感に寄り添って、まわりの空気や光、音、匂い、体温に想いを馳せられる余裕がある。だから、この時間が、帰路が好き。
永遠を願えば願うほど、時間は通り過ぎて、憂鬱は天壌無窮に纏わりつく。ポップコーンで胃がはち切れそうだから、はやく終わってほしいな。でも、まだ見どころまで辿り着けてないかも、そんな淡い期待で日々を生き延ばす。あとちょっとでしあわせだから、もうこれでさようなら。
昨今のニュースで私に光を見せてくれたミューズの宝物の鏡が割れたことを知った。城が瓦解して、味方だったメディア社会は寝返って嘲る。都会は怒りっぽくて冷たくて人を都合よく容易に使い捨てるってそんなこと知ってはいたけど、我が身に降りかかってくると恐ろしすぎる。
おとなはこわい。なんだかもうなんにも信じられなくなった。混沌とした思考が渦巻いてどういう感情なのか自分でも混乱している。それでもミューズは、アイドールは、彼らはキラキラしていて、平和を願いながら歌う。ある人がブログでtime viewに触れていて、鼻先が痛くなった。貴方はどこまでもミューズなんだね。あたしも、生まれ変わったら。
そういえばさ、鎮魂歌であるtiffany tiffany がちょうど全部諦めようとしていたときにリリースされて、やらなきゃいけないって焦燥感でこの道を選んだんだよね。ずっとゆらゆら惑い続け、しがみつく。辞めようと思えばなんだって辞められる。でも、死ぬ気でやってなんとか出来そうなら、続けてみる。演技のレッスンである先生が言った、どうせ死ぬなら前のめりに死にたい。わたしは少々前のめりすぎるけど、それでも。やっぱり。
この街はあまりにも綺麗で冷酷でせっかちで、息を深く吸うのが難しい。時が経てばまだ違う景色が見えるのかな。けれども、過去も未来も不確かで今だけがそこにあって。輪郭のない揺らめくゆめがそこで息を潜めている。
スタンプラリー 最後の一個 銀のエンゼルもあと一枚 あとちょっとで幸せだから、もうこれでさようなら。(大森靖子 さようならより)
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