木陰は、インフラである 〜夏の樹木たちが贈る、無償のギフト〜
ひこにゃんとお城で有名な滋賀県彦根市の市街地には、「芹川(せりかわ)」という川が流れています。
芹川は、鈴鹿山脈を源とし、滋賀県東部の平野を縦断して琵琶湖へと注ぐ一級河川。1603年の彦根城築城の際、その周辺で流路の付け替えが行われたため、彦根市街地の芹川は人工河川となっています。
流路付け替えの際、芹川の両脇の堤にはケヤキやエノキ、ムクノキ、サイカチが植えられました。堤を補強するためです。
それから経つこと400年。結局、芹川は一度も氾濫を起こしませんでした。堤に植えられた苗木たちは、誰にも邪魔されずにすくすくと育ち、いつしか芹川の土手に”巨木の並木”が出来上がりました…。
芹川のケヤキ並木
実際に芹川の土手を歩くと、やはりその居心地の良さに感動します。
芹川の堤上には、遊歩道が通っているのですが、その両脇には樹齢300年〜400年ともいわれるケヤキの巨木が生い茂ります。皆、流路付け替えのときに植えられたものでしょう。
ふた抱えほどもある太い幹で、十分すぎるほどの貫禄を示す一方、頭上ではしなやかな枝が縦横無尽に伸び、優しげな黄緑色の天井を作り出す…。このギャップに、萌えてしまうんだよなあ…。
僕はケヤキの巨木の大ファンなのですが、彼らと思う存分遊べる森はそう多くありません。
ケヤキは、広葉樹界で最高級の良材を産出する樹種。それゆえ、古来からケヤキの大木は伐採のターゲットとなってきました。原生的な森が広がる青森奥入瀬渓流でさえ、江戸時代に行われた伐採の影響でケヤキの大木は少数派となっています。
樹齢300〜400年のケヤキの大木が、人里近くの河原に大勢で住まわれている、という芹川の状況。いい意味で、「どういうミラクルが起こったんだ…⁉︎」と思ってしまう…。
木陰の魔力
芹川の遊歩道の最大の魅力は、「木陰」だと思います。
ケヤキは、元来枝を大きく横に広げるタイプの樹種。優れた木陰クリエイターになる素質があります。そんな奴らの”大木”が、大勢いらっしゃるのです。木陰のスケール、質は共に超一級。
僕が芹川を訪れたのは夏の盛りの7月下旬。気温は35℃でしたが、ケヤキ並木の内部ではさほど暑さを感じませんでした。
巨木たちが、たおやかに枝葉を伸ばし、遊歩道の上空に緑のカバーをかけてくれるからです。殺人的な直射日光も、樹々の枝葉を通過すれば、優しげな木漏れ日に変換されてしまう…。
淡い緑色のステンドグラスが煌めく中、ゆっくりと並木の内部を通り抜ける…。風が吹くと、微かに緑の匂いが香ります。マジで気持ちいい。”夏”という季節の良さが、この瞬間に凝縮されているような気がします。
駅のホームやバス停の屋根、建物の”ひさし”等々、日本の街中には影をつくる構造物が結構たくさんあります。しかし多くの場合、そういう人工的な影に入っても、心地良さはあまり感じないでしょう。みんな”暑さから逃れたい”という、割と消極的な動機で影に入っている気がします。
一方、木陰には「この空間にいつまでも居たい…」という、プラス方向の動機を引き起こす心地良さがあります。この点において、木陰は人工的な陰と比べて圧倒的に優っていると思うのです。
前述のように、樹々の枝葉には、日光の強さを心地良いレベルに調節する機能が備わっています。何層にも重なった枝の幕が、直射日光を大幅にカットするのだけれど、完全な遮光は行わない。微量の日光が枝葉の幕を透過して、地上まで降りてきます。
一般的に、樹下の相対照度は、樹上の5%ほどであると言われています。この「5%の明るみ」が、木漏れ日という形で我々の目の前に降り注ぎ、極上の空間を創り出すのです。
人工的な影は、日光を「暑さをもたらす不快な存在」として厳格にシャットアウトすることで出来上がります。一方、木陰の心地よさは、日光なくしては生じ得ません。樹々が直射日光を無毒化し、「木漏れ日」という最高のギフトに変換してくれる場所。それが木陰なのです。
日光を”恨めしいもの”として避けているのか、”心地良さの源”として使いこしているのか。これが、人工的な影と木陰の違いなのかなあ、と思います。
木陰の世界史
有史以来数千年、我々人類は「木陰」というギフトを樹木から受け取り続けてきました。
古代ギリシャ時代、ソクラテスやプラトンなどの名だたる哲学者たちは、弟子たちをプラタナス(スズカケノキ属の樹種の総称)の大木の木陰に集め、そこで講義を行っていました。医学の祖・ヒポクラテスも、同じくプラタナスの木陰で講義を行っていたらしく、ギリシャには「ヒポクラテスの樹」と呼ばれる大木が現存するそうです。
プラタナスの木陰で生まれた知見が、後に文明の礎となり、人類に大きな恩恵をもたらしていったのです。このことから、プラタナスは「学問の樹」とされており、現在でも彼は大学・病院などのシンボルにたびたび登場します。
古代の人々にとって、木陰は”知の源泉”ともいえる、特別な場所だったのです。
インドに分布するムユウジュ(無憂樹)、インドボダイジュ(印度菩提樹)、サラソウジュ(沙羅双樹)は、3樹種あわせて「仏教三大聖樹」と呼ばれています。これは、「お釈迦様は、ムユウジュの樹の下で産まれ、インドボダイジュの下で悟りを開き、サラソウジュの下で亡くなった」という言い伝えに由来します。
暑さが厳しいインドの気候。増してや空調器具など何も無い時代。熱波から逃れられる場所となると、木陰ぐらいしか無かったのではないでしょうか。暑さを気にせず、自分がやりたいことを、やりたいようにやれる場所。当時のインドの人々にとって、木陰はまさしく生活空間の一部だったのです。
出生、瞑想、知識の獲得、師弟との議論、そして死……人生の旅路を進むお釈迦様の側に、いつも”樹”という存在があったのは、ある意味必然的なことだったのかもしれません。
さらに、木陰は、芸術文化の分野にも多大なる影響を与えてきました。
例えば、”世界で初めて電波に乗せられた音楽”として知られる「オンブラ・マイ・フ」(1906年に初のラジオ放送で演奏された)は、ドイツ人のヘンデルが1738年に作曲した詠唱歌ですが、その歌詞はプラタナスの木陰の美しさを謳ったもの。木陰の情景は、多くの芸術家たちのインスピレーションの源となってきたのです。
楽しい歴史だけではありません。悲しい歴史も、木陰は包み込んできました。
ナチスの迫害から逃れるべく、1942年〜1944年にかけてアムステルダムの隠れ家で生活していたアンネフランクは、家の屋根裏から見えるセイヨウトチノキ(マロニエ)の大木を眺め、季節の移ろいを感じていました。悠々と枝葉を広げるマロニエの樹姿は、彼女にとって外の世界の全てだったのです。「アンネの日記」でも、マロニエの描写は随所に散りばめられています。
生活の場のすぐそばにある、「何となく心地良い空間」。どの時代の、どこの国でも、そういう場所は人々にとって必要不可欠だったのです。木陰は、そのニーズを見事に満たした場所でした。それゆえ、数千年以上のあいだ、木陰は人々の日常生活に溶け込み続けていたのです。
食べられるわけでもなく、木材として使うわけでもない、”街路樹”というタダの樹を街中に列植する。こんな不可解な習慣が文明の誕生以来ずっと続いているのは、木陰の重要性の高さの証拠です。
何となく心地良いからこそ、何となく人が集まってきて、そこで様々なドラマが生まれる…。木々の枝葉は、多くの人間の悲喜こもごもを包み込み、長い長い人類史を見守り続けてきたのです。
木陰の喪失
しかし残念なことに、日本の都市で木陰の魅力を味わうことは年々難しくなっています。街路樹の強剪定(樹形を完全に変えてしまうぐらい、大きく枝を伐採すること)が至るところで行われているからです。
上の写真(↑)は、強剪定が行われたケヤキ。彼のウリである美しい箒型樹形は見る影もありません。樹というよりも”物体”という表現が似合うような、無味乾燥な棒が突っ立っています。
当然ながら、こんな状態になった樹は木陰を作り出すことができません。枝を削ぎ落とされた樹からは、生気が感じられないし、何よりこういった”棒”が街路脇に立ち並んでいる風景は、かなり味気ない。このような樹に、風景にアクセントを加えたり、木陰を街中に作り出したり…といった、街路樹本来の任務を遂行する能力はありません。
棒になった街路樹の下を夏場歩いても、強烈な直射日光に苦しまされることになるでしょう。
街路樹から樹としての魅力を取り上げる。まことに本末転倒なことが日本中の街で行われているのです。
強剪定が行われる一番の理由は、「住民からのクレーム」です。街路樹が散らす大量の落葉、信号や標識を隠すほどに伸びた枝葉……。こういうトラブルに頭を悩ませた住民が、市役所に苦情の電話を入れ、街路樹が伐られてしまうのです。
僕も庭のクスノキの落ち葉に悩まされた経験があるので、街路樹トラブルで役所に電話をかける住民たちが悪いとは全く思いません。クレームを理由にして安易に強剪定を行う、役所の管理方法に問題があると思います。
神戸市では、街路樹の落葉の清掃は「原則沿線住民が行う」ということになっています。これでは、住民側が「葉っぱが落ちるなら伐ってくれ」となるのも無理はありません。清掃を行政が担い、住民の負担を減らせば、落葉に関するクレームは格段に減るような気がします。
枝葉による標識・信号の覆い隠しも、樹勢を維持したまま樹冠のボリュームを落とす「枝抜き剪定」を行うことで解決できます。強剪定以外にも、街路樹トラブルの解決策はたくさんあるのです。
街路樹は、都市という人工物の塊のような空間で、数万人もの人々と共同生活を送っています。それゆえに、樹と人間が衝突してしまうことも多い。しかしやっぱり、樹が日常生活のすぐそばにある、というのは素晴らしいことなのです。
芹川の木陰の道を歩いているときに、「この枝、邪魔だから伐ってしまえ」と思う人はいないと思います。樹にまつわるトラブルが起これば、すぐに枝を伐る…というのは、勿体無い。
木陰は、樹木が私たちに贈ってくれる、無償のギフトなのです。それを一方的に断り、ついでに枝もちょん切ってしまえ、というのは、樹に対して失礼すぎる気がします。
木陰を「インフラ」として捉え、樹かのギフトを手軽に受け取れるような街づくりを行う。そんな動きが広がれば、もっとワクワクするのにな、と思います。
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