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東北フォレストジャーニー その3 巨木の神殿に分け入る・秋田杉天然林

スギという樹種は、なにかと嫌われがちです。

「春に桜を咲かせよう」と受験生たちに鼓舞する予備校の先生はたくさんいても、「春に杉の花を咲かせよう」という狂気じみたことを言う人はまずいません。
桜の花の開花は昔からおめでたいことの象徴として捉えられているのに対し、杉の花の開花には花粉症警戒情報以外になんの意味もないからです。

自分の娘に「さくら」と名前をつける親はいても、「すぎ」と名前をつける親はいないでしょう。1人の非常にワイルドなコメディアンと全く同じ名前が出来上がってしまうからです。

スギは、世界でも数少ない、開花がうっとおしがられる花なのです。

さらに、山歩きが好きな人からもスギは嫌われています。
日本各地の山に、広大な面積のスギの人工林が広がっていますが、大抵の場合、そうした人工林の中を歩いても面白みは感じられません。スギの枝葉で日光が遮断されているせいで林床が暗くなっているため、生えている植物の種数は極端に少ない。雰囲気もなんだか不気味で、一人で歩くと結構怖い。
登山をしている時にスギの人工林に差し掛かると、「あ〜あ、退屈な森が始まるなあ」とがっかりする人が多いです。
近年は、人工林が土砂災害の被害を拡大させている‼︎として、スギに対してさらなるバッシングが集まっています。

………とまあこんな感じで、スギに対して、良くないイメージを持つ方が少なくありません。
ただ、花粉症問題や土砂崩れ問題など、スギの負の一面にばかり注目してスギに悪い評価を下すのはフェアじゃない。スギにだって、美しい一面があるのです。樹木好きとして、スギの魅力も、多くの方に知ってもらいたい……‼︎

スギ天然林の存在

では、「スギの美しい一面」に触れるには、どうすればよいのか。

細々とした樹が単純に並ぶだけの人工林では、スギの美しさを感じることなど不可能です。

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↑多くの人がイメージするスギの林は、こんな感じなのでは。これは典型的な放置されたスギ人工林。

でも、日本に存在するスギ林のほとんどは人工林。だから、「スギの森は味気ない」というイメージが染み付いてしまったのだと思います。
ただ、味気ないのはあくまで人工林に限った話。

スギの天然林に入れば、それはそれは美しい光景に出会うことができるのです。スギに対して良い印象をいだいていない方も、スギの見事な天然林を見れば、またイメージが変わるのでは、と思います。

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↑日本に存在するスギ天然林の名所や、天然スギの地域名。スギは日本各地の山に植林されているため、日本中どこにでも分布している樹種のように思われがちだが、天然のスギはごくごく限られた地域にしか生育しておらず、出会う難易度は結構高め。地図上で青くペイントされた部分がスギの天然分布域。ここに行かないとスギ天然林を拝むことはできない。(フリー白地図サイト「白地図専門店」から作成)

今回の記事では、スギ天然林の美しさを広めるため、秋田の山奥のスギ天然林を訪ねた時の模様を書こうと思います。

秋田杉とは

青森県のお隣、秋田県は、昔から優秀なスギ材を産出する地として知られてきました。
「秋田杉」という名前に聞き覚えのある方も多いと思います。

秋田杉というのは、秋田県の主に米代川流域・雄物川流域に分布する天然杉のこと。以前紹介した青森県の青森ひば、長野県の木曽ひのきとともに、日本三大美林のひとつに数えられています。
昔から優秀な木材を生み出す樹として日本中に名を知られていたブランド杉で、秋田県の代名詞とも言える存在です。

スギは一般的に成長の早い樹種ですが、秋田杉の場合は話が別です。
秋田の気候は寒冷で、冬になるとかなりの雪が積もるので、スギの成長スピードが非常にゆっくりになります。そのため、秋田杉は年輪の間隔が非常に狭くなり、緻密で丈夫な材を生み出すのです。これが、秋田杉が木材としてすぐれている、と言われていることの所以です。
さらに、秋田杉は木目も美しい。秋田杉の年輪が織りなす独特の模様は高く評価されています。
そのため、住宅の内装材、家具など、材そのものが直接見えるようなところに秋田杉がよく用いられていました。

秋田で最も有名な特産品のひとつ、「大館曲げわっぱ」も、秋田杉からつくられています。曲げわっぱというのは生の木の板を丸めてつくられる小さな木製の箱のことで、昔は山仕事をする人が弁当箱として利用していました。秋田ではおよそ1300年ほど前から生産されており、当時からほとんど形は変わっていません。
現在、曲げわっぱは木のぬくもりを感じられる伝統工芸品として国内外で人気を集めています。秋田杉の美しい木目を毎日の食事の時に堪能できる、という魅力に多くの人が惹きつけられているのでしょう。

………いろいろと書きましたが、とにかく秋田杉はすごく有能な木材なのです。

いざ秋田杉の天然林へ

さて、秋田県内には、そんな秋田杉の天然林がまとまって広がっています。

特に、県北部の米代川流域の山岳地帯(能代市〜上小阿仁村にかけての地域)には樹高40メートルクラスの秋田杉が集中して分布しており、百年ほど前には「巨木の神殿」とも言えるような天然林が山を覆い尽くしていたと言われています。
この一帯から産出される木材は材の色合いが美しく、質感も軽くて弾力があるなど、すぐれた性質を持ち合わせていたため、大木が大量に伐り出されました(1950年代が伐採のピークとされている)。そのため、現在は往時のような広大な原生林は残されていません。

しかし、能代市南部には「仁鮒水沢スギ希少個体群落保護林(以下「仁鮒の天然林」)」という18ヘクタールの森林保全地区が設けられており、そこでは自然そのままの秋田杉天然林を堪能できる、とのこと。
この情報を入手した時、0.2秒で「ここに行ってみよう」と決断しました。
数百年前から秋田の山を覆っていた杉の巨木の神殿に身を投じるなんて、考えただけでワクワクするではないか。

青森県十和田から奥羽山脈を越え、約3時間のドライブ。能代の山奥へ車で分け入っていきました。

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↑秋田県の秋田杉天然林の分布(赤い線で囲われた部分が分布域)。オープンストリートマップから作成


高速を降りて国道を西にむけてしばらく走ったところに二ツ井という町があり、ここが仁鮒の天然林の玄関口となっています。
二ツ井の街自体はコンビニあり、スーパーあり、住宅地ありといった感じで、典型的な地方の小さな町、といった感じ。

しかし、二ツ井から内川という米代川の支流を遡っていくと、景色がガラッと変わり、周囲にはトトロの世界のような雰囲気が漂いはじめます。
川に沿った狭い県道を奥へ奥へと進んでいくと、やがてインディ・ジョーンズ感あふれるトンネルが。

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トンネル内は道が狭く、車のすれ違いができません。津軽の「十二本ヤス」の悪路で辛酸をなめた経験が頭の中によぎり、ちょっぴり不安になります。この先、もしかして道がせまいんとちゃうか。

でも、その心配は杞憂でした。
トンネルをぬけてしばらく走ったところで再び道が広くなり、田んぼの中を走る快走路に。

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ズンズン進んでいき、山道と田んぼの繰り返しを何回か重ねたのち、やっとこさ目的地・仁鮒の天然林に到着しました。

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駐車場からわずか30秒で遊歩道の入り口に到着。しばらく森を進むと、いきなり目の前にスギの大木の群生が‼︎ここが「スギ希少個体群保護林」の入り口です。

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おお…………これが本場の秋田杉か。予想していたよりもずっと迫力がある。
やはり人工林の弱々しい若い衆とは格が違います。こっれが本物のスギか。この見事な姿を見ずにスギを「つまらない樹」と評価してていたら、大損していたと思います。危なかった……

仁鮒の天然林では、駐車場からスギ天然林までの非常にわずかな距離のあいだに、森の景観が急激に変化します。
落葉樹の枝でできたトンネルをくぐり終えると、突如としてスギの大木の群生が姿を表すのです。
この、樹種の変化のドラマチックさが、スギが歓迎してくれているみたいでなんだか嬉しい……。

スギ天然林の特徴

入り口でスギの巨木たちに見とれているばかりでは時間がどんどん過ぎていくだけなので、いざ森の中へとあゆみを進めます。
森に入ってすぐ、スギの大木がなんらかの理由で折れ、遊歩道を塞いでいるのを目撃。うわっ。やばいな。こんなのが倒れてきたら、人間などひとたまりもありません。

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↑倒木まで近づけなかったので、遠くからの写真になってしまった……。小さく見えるが、実際にはかなりの大きさ。

割り箸みたいな細い木ばかりの人工林では、こうした貫禄のある倒木を見ることはできません。さっそく天然林ならではの体験をしてしまった。

さて、仁鮒のスギの森には、普通のスギ天然林とは全く異なる、独特な特徴があります。歩いてきて感じたそれらの特徴を、ダイジェストで紹介したいと思います。

①スギたちの威厳
天然林内には、とにかく巨木が多い。神社で神木になりそうなメガ個体が何本も林立しているのです。まさしく「巨木の神殿」という表現が似合う森です。

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森に一歩入ってしまうと、視界がすべて太い太い幹で埋め尽くされます。スギの幹で圧迫感を感じてしまうぐらい。もちろんここまで逞しい幹の林立は人工林では見ることができません。

そして、上を見上げれば空を射抜くように真っ直ぐ伸びるスギの木立。その姿はまるで青空の串刺し。圧巻です。ものすごく美しいので、ついつい見惚れて上を向きっぱなしになってしまいますが、だんだん首が痛くなってきます。彼らの身長は、訪れた森好きの首にクリティカルヒットを食らわすほどに高いのです。

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スギの名前は、「直く(すく)」という昔の日本語に由来する、とされています。「真っ直ぐ(まっすぐ)」という言葉があることからわかる様に、これは直立する様を表した語。
天然林内の優美なスギたちを見ると、この名前のルーツに問答無用で納得させられます。

潔く、いっさい寄り道をせずにひたすら空を目指す姿が超カッコいい。いくつもの樹の幹が空をキャンパスに直線を描く、均整のとれた美しさをたっぷり堪能できます。

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仁鮒の天然林に生育するスギの平均樹齢は約250年。若いものでも180年、年長の樹だと300年ほどです。
かなりの樹齢を重ねた大樹たちが密集して生えている、ということになります(実際、仁鮒の天然林内には樹齢180年以上のスギが2182本存在する、とされている)。
伐採に伐採を重ねられた秋田杉の大木が、ここまでまとまって残った天然林というのは本当に貴重。

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江戸時代、この仁鮒の天然林は藩によって直轄で管理される「御直山(おじきやま)」に指定されていました。
秋田杉は藩にとって重要な財源だったため、その枯渇はなんとしても避けなくてはなりません。そのため、「留山制度(とめやませいど)」という制度が導入され、杉の保護が図られたのです。
この留山制度は、ある一定の区画の森林での伐採を厳格に禁止し、必要であれば植林したり、苗木の天然更新の促進をはかったりする、という非常に優れた森林保護制度で、現在の日本の森林保護政策の原型とも言われています。

仁鮒に自然そのままの秋田杉天然林が残っているのは、江戸時代の良質な森林保護の賜物なのです。

数百年のあいだ、スギたちの成長を邪魔するものは誰もいませんでした。
そのため、天然林のスギたちには有り余るほどの時間が与えられました。その時間を有効活用し、スギたちはとんでもないサイズにまで成長したのです。

仁鮒の天然林のスギは、ほとんどが樹高50メートル前後。50メートル級というのは、熱帯雨林の林冠の高さに匹敵します。
こうした、「超高木」がひしめく森なんて、日本にはほとんど存在しません。
北国の東北で、熱帯雨林のサイズ感を味わえる森に出会える、というのもまた面白い………

② エリート巨木の存在
仁鮒の天然林では、林内に生える主要な巨木たちに名前がつけられています。その中には、とてつもない称号をもつ「エリート巨木」がいらっしゃるのです……….

たとえばこちらのスギ、名前を「きみまち杉」といいます。↓

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きみまち杉は、樹高は58メートル、直径160センチ、幹まわり5メートルの巨木で、1996年に秋田営林局から「樹高日本一のスギ」の称号を与えられています。
彼の知名度はもはやスター並で、看板はもちろん、↓

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道路標識にまで名前が載っています。↓

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っがしかし。
ほんとうは、彼はすでに「日本一高いスギ」という称号を失っているのです。

2003年、愛知県新城市の「鳳来寺山の傘杉」の樹高が59.6メートルであることが判明。きみまち杉は2位にランクが下がってしまいました。
さらに2017年には、京都府京北の「花背の三本杉」の樹高が62メートルであることが判明し、現在はこちらが日本一高いスギとされています。

本当は18年前に日本一高い杉という称号を返上しているのにもかかわらず、現在でもきみまち杉は「日本一高い杉」として有名なのです。18年間も日本一の称号を持ち続けたとなると、もう引っ込みがつかないレベル。

もしかして、傘杉や花背の三本杉のことをバラさないほうがよかったかな……?
ごめん、きみまち杉よ。文春砲みたいな記事を書いてしまった。日本一の杉問題は、君の人生を揺るがす一大事案だよね……

ということで、みなさん傘杉や花背の三本杉のことは一旦忘れてください。

それよりもご覧ください。彼の堂々としたルックス。↓

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「杉天然林の王」と呼ぶにふさわしい、威厳のある雰囲気です。めっちゃクール。
私はもっと成長しなくちゃいけないんだ。「どの杉が一番高いか」なんていう人間の競争遊びに付き合っている暇はないね。キッパリとそう言い切っているような、清々しい立ち姿をしています。

さらに、仁鮒の天然林には、もうひとつご紹介したい巨木がいらっしゃいます。
それがこちらの「恋文杉(こいぶみすぎ)」です。↓

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恋文杉も樹高56メートル、直径102センチのかなりの巨木で、きみまち杉よりも枝が短く、スリムな印象の見た目をしています。
実はこの恋文杉、1962年に「精英樹(エリートツリー)」に指定されています。
精英樹というのは、すぐれた木材を生み出す形質をもった個体のこと。
具体的には、
・枝が短く、樹が成長すると自然に枯れ落ちていく(材にしたときに枝による節ができにくい)
・幹に病虫害がない
・乾燥、雪、風、雨などの急激な気象変化に強い
・成長が良好
などの性質を持ち合わせた樹が精英樹に指定されやすいとされています。
なんのために精英樹というものが指定されているのかというと、ずばり子供を作ってもらうためです。人工林を造成する場合、質のよい苗木を用いた方が当然木材として収穫するときの利益が上がります。
精英樹から種をとり、そこから育った苗木を植林することで、木材の効率的な増産をはかる、というのが精英樹指定の最終目標なのです。仕組み自体は、競馬の種馬とよく似ています。

この恋文杉の子供が、日本の山のどこかで今もすくすくと育ち、日本の木材生産を支えているのでしょう。

これらの他にも、天然林内にはたくさんの名前のついた巨木がいらっしゃいます。ぜひ自分の「推し」の巨木を見つけてみてください。

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↑迫力ある根元のスギが遊歩道沿いに林立している。秋田杉の幹の材積は生涯肥大し続ける。樹齢70〜100年ごろに材積成長速度は最大になり、その後も成長スピードは落ちない。数百年のあいだ最大速度での成長を維持したまま、幹の材積は増え続ける。

③ほかの植物にも門戸を開く
放置されたスギの人工林の中には、スギ以外の植物があまり生えていません。かなりの密度で杉が生えているので、日光が地面まで届かないのです。
しかし、秋田杉天然林では事情が違います。

一本一本の杉の間隔が比較的広いため、日光が森の隅々にまで届き、ありとあらゆる植物が生育しています。

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↑すさまじい本数が立ち並ぶスギの高木の下に、トチノキの若木が生えている。奥入瀬の落葉広葉樹林で大木に育ち、森の主役として君臨しているトチノキが、ここでは森の中高木層を埋める脇役になってしまっているのがなんだか切ない。

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↑斜面にもオシダなどの草本植物、トチノキなどの中高木が進出。

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↑カツラの巨木がつくりだしたベンチに、腰掛けるようにして生育するオシダの群落。こういった森の芸術を鑑賞することができるのも、この天然林が多くの植物のゆりかごになっている何よりの証拠。

やっぱり、杉天然林はイイ!

いままで見たことのなかったような杉の天然林をたっぷり堪能できて、大満足の森歩き。この気分を提供してくれたスギの巨木たちに感謝です。
人工林を歩くのは別に楽しくないけれど、仁鮒の天然林のような、杉が自由奔放に育った森を歩くのはやっぱり楽しい。(そもそも、数百年の時間をかけて作り出された風格ある森と、放置されて荒廃した人工林を比べること自体が失礼な気がしますが………)

普段奥入瀬で落葉広葉樹ばかり見ていると、たまに針葉樹林が恋しくなります。仁鮒のスギたちは、落葉広葉樹まみれの現在の樹木生活に、ちょっとしたスパイスを加えてくれました。

それでは仁鮒水沢スギ希少個体群保護林の樹木たちよ、さようなら。また会おう‼︎

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※ここに載せた写真は、すべて2021年5月13日に撮影したものです

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