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北島の巨大温帯林をめぐる その⑤ 〜樹がデカいことの意味〜

その④から続く

樹がデカいということ

ニュージーランドの針広混交林(Podocarpus and Broadleaf Forest)は、地球上で最も樹木が巨大化する土地のひとつ。一面がコケやシダに覆われた"森の底"を彷徨っていると、空の色を忘れてしまいそうになります。
巨木たちが、1000年の時間をかけて幹を伸ばし、天高いところで森の天井を張った結果、空が林床から大きく遠ざかってしまったのです。

↑蒸し蒸しとした空気が充満した、森の底。

ニュージーランドは、南太平洋の南端に位置しているため、サイクロンが接近することは殆どありません(あっても年に1〜2回)。メラネシアで発生したサイクロンの多くは、南緯40度のニュージーランドに行く着く前に消えてしまうのです。
そのためこの国に生育する樹木は、風倒のリスクを気にすることなく、梢を高く伸ばすことができます。

↑1980年〜2005年のあいだに、南太平洋で発生したサイクロンのルートを示した図。ニュージーランドは、殆どのサイクロンのルートから外れている。https://en.m.wikipedia.org/wiki/File:South_Pacific_cyclone_tracks_1980-2005.jpgより引用


また、その②で述べた通り、ニュージーランドの気候は非常にマイルド。年中一定して適量の雨が降りますし、極端に暑くなることも、寒くなることもありません。
こうした穏やかな気候のもとでは、樹木の寿命が格段に長くなります。実際、Whirinaki Forestの超高木層を構成する巨木たちの寿命は、800年〜1000年、もしくはそれ以上です。

苔むす巨大温帯林の内部には、ニュージーランドの歴史がすっぽり収まるぐらいの膨大な時間が溜め込まれているのです。

↑ニュージーランドの針広混交林の断面。巨木(リム)の樹齢は800年越え、樹高も50m超え。ニュージーランドでは、年間の気候変化が小さく、1年にわたって適度な気温と降水量が維持される。この気候は、樹木がゆっくりと、一定のペースで成長するうえで都合が良い。ゆっくり成長した樹木は、幹の強度が高く、病害虫のリスクが低いので、寿命が長くなる。また、サイクロン、土砂崩れなどの撹乱のリスクが低い土地であるため、樹木が寿命を全うする前に絶命するケースも少ない。結果として、長期間にわたって樹木が成長を続け、巨大な森が出来上がる
↑日本の照葉樹林(神奈川県真鶴半島)。樹齢は最も古い樹でも300年、樹高も25mほど。日本では、気温と降水量の年較差が大きく、樹木が成長できるシーズンは限られている。この気候では、樹木は特定の時期(春)に、一気に枝葉を伸長させる必要がある。そのため、日本の樹木の多くは成長が早く、その分寿命は短くなる。台風や豪雨などの撹乱のリスクも高いため、樹木がいたずらに寿命を伸ばすメリットはほぼゼロ。それゆえ、日本の森では林冠高が30mほどで頭打ちになる。

「樹がデカい」というのは、それだけで森林生態系全体にとって大きな意味を持ちます。

Whirinaki Forestの植生は、”2階建て構造”
この森の林冠部分は、ただ単に枝葉が密集するだけの空間ではありません。100種を超える着生植物が繁茂する空中の森なのです。

↑リムに着生する、アステリア。
↑ナンキョクブナの巨木に群がるアステリア。

マキ科針葉樹の巨木たちは、人が乗ってもびくともしないぐらいに太い枝を、地上40mの高さで張り巡らせます。これらの枝は凹凸が激しいため、窪んだ部分では落ち葉が溜まり、長い年月をかけて土壌が形成されます。巨木の枝の上は意外にも肥沃なのです。
さらに、超高木の樹冠は毎朝のように霧をかぶるため、水に困ることもありません。地表から遠く離れた高所なので、日照条件も問題ナシ。

↑倒れた巨木の幹の表面。幹の凹凸は、土壌と着生植物の根で詰まっている。

この森の超高木層は、植物からしたら”優良穴場物件”。一度棲みついてしまえば、地表部での熾烈な生存競争から解放され、悠々自適な空中生活を送れるのです。

↑リムの巨木。太い幹は、着生植物で構成された植生全体の重みを余裕で支えることができる。

着生植物たちの空中生活を、地上から覗かせてもらうと、彼らの羽振りの良さが伝わってきます。
重力に逆らって樹上に居候してるくせに、奴らのカラダはかなりデカい。最もよく見かけるアステリア(Astelia)類は、直径1〜2mほどの大きな根塊(着生植物が枝に固着するために伸ばした根に土壌がくっつき、塊状になったもの)を形成します。あんなに高いところで、そこまで大きくなって、バランス取れるのか…?と心配になってしまう。樹の上の居心地が、よっぽど良いのでしょう。

↑こちらはWhirinaki Forestではなく、ロトルア近郊の森だが、見事なアステリアの根塊が観察できる。ホストツリーはフトモモ科のノーザンラータ、根塊に生育しているのはウコギ科のPseudopanax arboreus。アステリアの根塊は、ニュージーランドオナガコウモリ(New Zealand long-tailed bat)や、その他多数の固有の鳥のねぐらになる。

アステリアの根塊は、巨木の枝にがっちりと密着していて頑丈なうえ、養分豊富な土壌を含んでいます。
地表部で居場所を失った陽樹(ウコギ科のPseudopanax arboreus、Schefflera digitata など。代表的な先駆樹種)が、日照を求めてアステリアの根塊上で芽吹き、何十年も空中生活を送ることもしばしば。

マキ科針葉樹がアステリアを居候させ、そのアステリアが陽樹の面倒を見てあげる…。
遷移が極相に達し、古木が密集した森では、日照を必要とする先駆樹種たちが路頭に迷うケースが多いのですが、Whirinaki Forestではその心配はありません。
植物たちが無意識の優しさを連鎖させ、森の天井で”もうひとつの森”を創り上げる。そんなセーフティーネットが構築されているためです。

これらの空中植生帯は、ニュージーランド固有の様々な動物(ニュージーランドオナガコウモリ/Long -tailed bad、フクロウオウム/kakapo,世界唯一の飛べないオウム)の棲家としても機能します。

↑着生型のシダである、drooping spleenwort(Asplenium flaccidum )。
南太平洋全域に広く分布する。

地上60mの空中に、地表とは切り離された別個の生態系が出来上がる。こんな奇妙なことが起こってしまうのも、この森の樹木の、圧倒的な巨大さゆえ。台風によって林冠高が低く抑えられている日本では見られない現象です。

↑夕暮れ時の森の底。日が傾くと、分厚い緑の蓋の内側にも日光が入り込んでくる。黄金色に輝くサルオガゼが美しい…

ただし森というのは、デカくなればなるほど、脆くなってゆきます。

巨大温帯林は、その形成過程で、地球上で一番貴重な資源である「時間」を大量に消費します。これを人為的に破壊してしまったら、人間の寿命をいくら積み重ねようと、もう取り返しがつきません。

さらに、Whirinaki Forestの植生は、枝葉が霧の湿気を林内に閉じ込める作用によって維持されるもの。
巨大な樹が伐採されると、たとえそれが1本だけだったとしても大きなギャップが生じます。そうして枝葉の密集に”隙間”ができると、そこから風が入り込み、林内の乾燥化が進むのです。こうなると、着生植物たちは棲家を失ってしまいます。

↑こういう景色、地球上にあとどれくらい残ってるんだろう…

巨大温帯林の生態系は、とてつもなく緻密な階層構造の効能によって、なんとか保たれています。人間がむやみにいじくりまわしていいモノではないのです。

森を知ることは、国を知ること


森を探索した後、近くのミンギヌイ(Minginui)という小さな村落に立ち寄ったら、「海外から来たの?珍しいね」と住民の方が声をかけてくれました。

その方はマオリ系の男性で、村周辺の森で遊歩道管理、害獣駆除の仕事をしているとのこと。自分が樹木に興味があって、Whirinaki Forestに行ってきたことを伝えると話が弾み、「今日、Whirinakiで鹿を狩ったんだ。これからカレーをつくるから、食べに来ないか?」とお誘いをいただきました。
森林保護のお仕事をなさっているためか、その男性の知識量は半端なく、とにかく話が面白かった。もっとお話を聞きたいと思って、お宅にお邪魔することにしました。

↑ミンギヌイ村。集落内を馬が闊歩していた。

男性のお宅の目の前では、2匹の馬が闊歩していました。人を怖がる様子は全くありません。
「この馬は、村のみんなが共同で飼ってるんだ。使いたい人が、使いたい時に使う。畑仕事とか、荷運びとかね。このあたりの道はダートが多いから、車よりも馬の方が便利なのさ。」

↑森で捕まえたという、イノシシの剥製。

「この村には店も病院もないし、一番近いスーパーマーケットは100km先。不便なところだけど、俺はここが好きだよ。野菜は村が共同で持ってる畑で採れるし、Whirinaki Riverに行けばトラウトだって釣れる。森の中に入れば鹿や猪も自由に狩れる。このあたりは原生林に囲まれてるから、食べ物には困らないんだ。
それに、この村に住んでるみんなが友達だから、お互い気兼ねなく助け合える。オークランドやウェリントンの騒がしい住宅街で、誰とも関わらずに暮らすよりも、生まれ育ったこの村で幼馴染とのんびり暮らすのが一番さ。」

↑Whirinaki River で獲れたというトラウト。

同じニュージーランドとはいえ、都市化が進んだタウランガとは全く違う生活スタイルです。毎日大渋滞に巻き込まれながらスーパーに出かけ、安い輸入食品に頼る毎日を送る僕には、彼の話がとても新鮮に聞こえました。

ルアペフ山のダニエルさんもそうでしたが、この国の奥地には半自給自足の生活を送る人が結構いるのかな。

↑トタラで作った木箱。伝統的な渦巻き紋様が描かれている。

「元々この村は林業で栄えてたんだ。俺の祖父さんもそうだったけど、みんなWhirinaki Forestで大木を伐って生計を立ててた。この家も、その頃に伐ったリムの材で建てたんだぜ。
俺が生まれる前の話なんだけど、保護区が設立される前は、みんな結構自由に森を利用してたらしい。俺の祖父さんは、カヒカティアのクライミングの達人だったんだ。あの樹の実はすごく美味しいから、昔は貴重な食料源だった。だからフラックスの繊維でできたロープを使って、樹冠まで登り、新鮮な実を摘み取るんだ。危険すぎるし、禁止されてるから、今これをできる人はもういないけどね。」

↑鹿肉カレー。じゃがいもと一緒に食べる英国風スタイル。

地上60mの森の天井まで己の手ひとつでよじ上り、枝づたいに林冠を歩き回って実を摘み取る…。ニュージーランドが森で覆われていた頃のマオリは、地表から超高木層まで、巨大な階層構造を自由に行き来していたのです。まさしく”森の民”という言葉が似合います。

↑カヒカティアの実。

ニュージーランドは、国土の改造の積み重ねによって出来上がった国。新しい民族が上陸するたびに、自然も、社会も、何もかもが変わっていきました。

でもこの国の森は、1000年単位のゆっくりとした時間軸で息づいています。
マオリの初上陸から、2023年の現在まで、約800年の間にこの国で紡がれてきた歴史のすべてが、Whirinaki Forestの巨木たちの年輪に収まってしまうのです。人間がどんなに大きく国土を改変しようと、森さえ護られていれば、その内部では1000年前の空気が保存されます。

北島で一番森が深い土地であるWhirinaki Forestには、消えかけの”森の国だったころのニュージーランドの歴史”が、いまでも息づいているのです。

深い森に抱かれ、皆がミンギヌイの住人のような生活を送っていた800年前のニュージーランドと、ヨーロッパ人が築き上げた先進的な社会で、高度な生活水準が保証された現在のニュージーランド。
どっちが良いとか、どっちが正しいとか、どっちが”本物のニュージーランド”なのかとか、そういう話をする権利は僕にはありません。僕はタウランガで、後者の恩恵を目一杯受けているからです。

でもWhirinaki Forestにたどり着いていなければ、後者の、キラキラしたニュージーランドしか知らずに留学を終えていたでしょう。
フイアラウ山脈の奥地で、人類到達以前にこの国に広がっていたであろう景色を見れた。そしてそれを起点に、現在のニュージーランドの風景を見つめられるようになった。これが重要なのです。

↑カヒカティアの巨木。これを命綱なしで登る、という想像ができない…

森は、人間の1人の寿命はおろか、時には国の歴史すらも軽く飛び越えて、長い年月にわたってその存在を維持し続けます。だからこそ、その国の歴史、文化、社会を表す鏡となる。森を知ることは、国そのものを知ることなのです。

参考文献

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Robert Vennell(2019) “The Meaning of Trees”


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