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33歳女、プライドを捨て去り下手な歌をYoutubeに上げたワケ【挑戦と成長】

こんばんは!
カラオケは大人数より二人か三人くらいがいい、と言うかそもそも一緒に行ける友達がいない、ヒトカラのベテランはるねずみです!

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ありがとうございます!


実は私はるねずみ、先日6/1に33歳の誕生日を迎えました!🎂

TwitterのリプやDM、LINEでも、お祝いのコメントをくださった皆さん、ありがとうございます!✨
こんなに沢山の人からお祝いされることなんて、今まで生きてきてなかったので、本当に嬉しかったです。

自分で「今日誕生日です!」と言うのが恥ずかしくて、でも誰かが気づいてくれたらいいな・・・なんて密かに思って、実は少し前から誕生日を「公開」設定にしていたのです笑
(恥ずかしいと言いつつ、本当は祝われたいというジレンマ笑)


その結果、気づいてくださる方が一人、また一人と…
中には「遅刻してすみません!」なんておっしゃってくださる方まで。とんでもない・・・

むしろ、こういうのってタイミングを逃した場合、「あ、誕生日だったのね…まぁでももう〇日も過ぎてるし…今更言うのもな…」と、そのままにしてしまうことが多いと思うんですよね。(私だけかな…💦)

だから、そのハードル(?)を超えて、わざわざコメントをくださったこと自体が私には嬉しかったです。(こんな考え方はもしかして大げさ…!?)


とにもかくにも、ちっぽけな私のことを気にかけていただき、いつもありがとうございます🦔

どんな形でかはわかりませんが、皆さんに何かひとつでもお返しできるよう成長してまいりますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします!


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「歌ってみた」に挑戦しました!


まずは、タイトルについて!

ちょっと今回は、私にしては攻めたタイトルにしてみました!
(ネガティブなイメージに捉えられないかどうか心配。後で変えるかもしれません…)


実は私、おとといの6/4土曜日、生まれて初めて「歌ってみた」の動画をネット上にUPして公開しました!
※その時点では”限定公開”にしていたのですが、現在は”公開”に変更し、Youtubeで検索すれば出てくるようになっています。

その動画がコチラ↓


私は子供のころから、歌を歌うのが大好きでした。

でも、好きと嫌いは紙一重というか・・・

「好きだからこそ、失敗するのが怖くなる」

みたいな気持ちって、皆さんにもありませんか??


私はまさにそれで、歌は大好きだけど、

「人に聞かせるのはちょっと・・・」
「下手だと思われたらどうしよう」
「ちゃんと練習して上手くなってからじゃないと」

という気持ちを抱えて、親しい人や、職場の付き合いでのカラオケなどやむを得ない場面以外では、極力自分の歌を人に聞かせることは避けてきました。

ましてや、ネットに歌声を上げるなんて論外です。


「歌ってみた」や「カバー」など、プロの歌手ではない方や、プロを目指しているアマチュアの方がYoutubeに動画をUPしているのを見ていると、どんなに上手な人でも、コメント欄では賛否両論あったりします。


肯定的なコメントで溢れていたとしても、その中に、

「下手」「センスない」「よくこんなの上げようと思ったねw」

のような否定的な言葉が一つでもあったとしたら、どうしてもそこに目が行ってしまうと思うんですよね…。


「こんなに上手い人なのに言われるんだったら、私だったら何を言われるかわかったもんじゃない」

はるねずみ脳内


今でこそ、Youtubeでは「低評価」数がデフォルトで非表示になっているものの、以前まではそれも表示されていましたし…


自分が大好きなこと、少しでも自信のあること。

それを否定されたら、立ち直れないくらい落ち込んでしまうと思います。
だから、それが怖くて、「私もやってみたいな」という気持ちはあったけど、ずっとできずにいました。


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民謡を習っていた幼少時代

※本題からは少し逸れるので、飛ばしていただいて構いません。

私が歌を始めたのは、2歳の頃でした。

父方の祖母が民謡教室の先生をしていて、弟や従兄弟の中で、ただ一人私だけが「民謡をじっと大人しく聞いていた」という理由で、民謡を習うことになったそうです。

祖母はそのことをいつも嬉しそうに皆に話して聞かせていたのですが、当の本人にはその記憶が一切ないのがちょっと面白いですよね笑


民謡教室では、私以外はみんなおじいちゃんおばあちゃん。若くても50代くらいの方が数名いるかどうか、でした。

子供一人だったから、みんなから可愛がられ、練習のときはいつも一番最初に歌わせてもらっていました。(それがものすごく嫌だったのですが笑)

毎週月曜日の19時からだったので、『名探偵コナン』のアニメが見られないのがちょっといやでした。(その頃、弟は家で見ていたので「ずるい」といつも思っていました笑)


普段は愛情深く優しい祖母ですが、元々サッパリとした性格で曲がったことが嫌いな、少し男勝りなところもある祖母でした。

民謡の指導は厳しく、私はよく泣きました。泣いたらもっと怒られるのですが・・・笑


小学校3年生の初めごろまで続けた民謡で、大会にも出て市民ホールで大勢の人の前で歌う経験をしたためか、少しだけ人前に立つことの耐性はつきました。時には”おひねり”を貰ったりも…笑

緊張はするけど、人前で発表して、それで褒められる、これがいつしか私の”喜び”になっていたのかな?と思います。

地味で大人しいけど、でも内心は目立ちたがり屋、みたいなところが子供時代も今もあるので・・・

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祖母は2年前に他界しています。

祖母にがっかりされたくない、と思って歌うこともためらい、両親の離婚もあったとは言え、18歳で地元を離れてからの約十数年の間で、片手で数えられるくらいしか会わないまま、突然の訃報を受けました。

小学校3年生以降はほとんど会っていないので、当然私は他の従兄弟たちと比べて思い出も少ないのですが、それでも、葬儀会場で流されるスライドショーでは、民謡で一緒に舞台に立ったときの写真が映し出されていました。

民謡じゃなくても、祖母のおかげで今でも歌が好きなのだということを、たとえ会えなくても何かしらの方法で伝えるべきだったと後悔しました。


民謡のこと、祖母との思い出は、話すと長くなるので割愛し、また別の記事でお話できたらと思います。


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ネットに歌声を上げるだなんて!


そんなこんなで、私は人より少しだけ、歌に自信がありました。

でも、多分そのピークは中学、高校くらいまでだったと思います。
(田舎の学校では、遊ぶ=カラオケ・プリクラ、くらいの選択肢しかなかったので、週2~3くらいカラオケに行っていました笑)

大学の頃は友達に誘われて軽音サークルに入り、ときどきライブでボーカルとして歌わせてもらったりもしましたが、3年生の途中からはサークル活動にも顔を出さなくなりました。

社会人になってからは職場以外の人付き合いは減っていき、それに比例してカラオケなど歌を歌う機会もめっきり減りました。家の中でも、騒音トラブルを気にしてあんまり歌わなくなりました。たまぁにヒトカラに行ったり、夜の散歩中に歌うくらいはしていましたが。


やっぱり歌も、歌わなければどんどん下手になります。音域も狭まって、高い声が出なくなる。

飲酒や加齢も原因だと思いますが、努力を続けなければ以前のように気持ちよく歌うことはできなくなる一方。その現実を、たまのカラオケで突きつけられ、悔しくて泣きそうになることも・・・笑


そんな中、Youtubeや音声配信などで、歌や弾き語り演奏を上げている人を見ると憧れる気持ちはどんどん大きくなっていきました。


「私も歌が上手く歌えればな」
「ギターが弾ければ・・・」
「今の歌声を、私の実力の限界だと思われたくない」
「練習すればもっとうまく歌える」

「大好きなこと」から逃げるための私の言い訳


でも多分、そうやって「今はできない理由」を並べて、歌にたいする自分の自信・プライドをなんとか守ろうとしていたに過ぎないんだと思います。
今の状態を見せて否定されたら、そんなちっぽけな自信なんて簡単に壊れちゃうって自分でわかっていたから。


一度歌声をネットに上げてしまえば、聴いた人には、それがイコール私の実力のすべて、ということになります。その第一印象は簡単には覆せないと思うんですよね。

「ああ、なんだ、はるねずみさんってこんなもんなんだ」
「思ってたより下手」
「それにしてもよくこんなの上げられたなw」
「こんなのネガティブキャンペーンにしかならないでしょ」

こういう風に思われた場合、もしまた次の曲でリベンジしようと思っても、そもそも「下手」で「期待もしてない」から聴かれるチャンスは二度とないかもしれない。

「懲りずにまた上げたの?」
「この程度でそんなに自信持てるなんて脳内お花畑で草」
「痛すぎて見てられないw」
「勘違い乙」

こんな風に、むしろイメージはどんどん悪くなっていく可能性すらありますよね。


ここまでお話すれば分かっていただけたと思うんですが、私はあの動画を、決して自分の歌に自信があるから公開したわけではないんです。

むしろその真逆で、全く自信はありません。

音声も外しているし、歌詞も間違っているし、何より自分の顔が出ていて恥ずかしいし、動きも挙動不審で自分で見ていても恥ずかしいほど。

とにかく赤っ恥、数か月後には黒歴史になっている可能性すらある激ヤバ動画です。


だったらどうして、そんな動画をわざわざ上げたのか?となりますよね。
長くて申し訳ないですが、もう少しだけお話にお付き合いください…涙


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大好きなことだから失敗が怖い

※再び話が脱線します。ここも飛ばしていただいて構いません。


私は、歌手になりたかったわけでも、声優になりたかったわけでもありません。具体的に「○○になりたい!」と思ったことがあるのは、保育士さん、学校の先生、心理カウンセラー。そういう、人の成長や心に寄り添う仕事です。


でも、「あなたは何が好きですか?」「何をしている時が一番楽しいですか?」と聞かれたら、恐らく「歌」が一番にきます。


将来の夢とか、自分のやりたいことを考えるときって、やっぱり「好きなこと」を軸にするのかなと思います。

その意味では、今宅録ナレーター・声優として活動していることも、広い意味では「声」を活かす仕事だから「歌」に通ずる部分があると思っています。

だから私の中では「自分の本当にやりたいことができていない」とは思っていませんし、自分の持ち味を活かして人の役に立ち、期待に応えられることに喜びを感じています。納得もしています。


以前、実父から「今どんな仕事をしているのか」問われた際、「在宅ワークで、ナレーターとして動画のナレーションとか、声の仕事をしてるよ」と簡単に説明したことがありました。


そのことを特に否定もされなかったのですが、

「歌をやればいいのに」
「〇〇は歌うまいんだから」

と、言われました。(屈託のない笑顔で、父には何の悪気もないです。他にも何か言われましたが忘れてしまいました。)


私が民謡をやっていたのはもう二十年以上も前のこと。

それでも父の中では、私は祖母から民謡を習っていた歌が大好きな娘、今でもそれが自慢でもあるのだと感じました。


両親の離婚後も、ときどき実父や祖母に会うことがありましたが、そのときにも、「久しぶりに聴かせて」と、民謡を歌うよう求められたことがありました。(確か小学校高学年くらい…?)

民謡教室に行かなくなってからは、祖母からもらっていた民謡のテープも聞かなくなっていました。それに子供の私にとって民謡は物心ついたころから通わされており、元々いやいやだったこともあり、家で自分で練習することなどありませんでした。

だから当然、その頃には上手くなるどころか下手になっているわけで・・・

祖母をがっかりさせることが怖くて、私はそのときすごく困りました。結局歌ったのかどうかも、もう忘れてしまったのですが。


「歌が得意だったころ」を知る人に、「今は下手」であることを知られてガッカリされることも怖い。

私の歌を聞いたことがない人に、「なんだこんなもんか」と一度のチャンスで決めつけられてしまうのも辛い。

そういうことで、大好きな歌が大嫌いになってしまうのは、もっともっと怖くて辛い。


だから、先ほどの父の言葉(「歌をやればいいのに」)には全く悪意はなく、軽くポンと投げられた言葉ではあったのですが、私にはとても受け入れがたいものでした。

「そんな簡単に言わないでほしい」

心の中ではそんな複雑な、怒りとも悲しみとも呼べない感情が渦巻いていました。


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だったらなんで上げたのさ?


やっぱり、なんだかんだ言って歌が好きだし、自分の歌を人に聴いてほしいからです。

もしかしたら、「自分が歌うことで人が笑顔になった、喜んでくれた」という幼少期の成功体験?みたいなものを引きずっているのかもしれませんね。

あとは、「自分が得意なもので認められたい」のような承認欲求もあるかもしれません。


今は、自分の気づいたことや思いを、こんな風に文章にしてnoteに書いたり、スタエフで話したりして発信しています。
その中で、ときどき、好きな曲の歌詞を引用したりもします。

つまり、「あ、この気持ちはあの曲で歌われてることだな」という瞬間が結構あって、その歌を紹介する方が手っ取り早いというか、伝わりやすいんじゃないかと思うことが多々あるんですよね。


ついこの間も、noteで書きたい文章を考えながら、

「あ、そうだ!アカペラでいいからあの歌を、”今の気持ちにぴったりな曲”として歌って、その音声を記事の最後に貼り付けるのはどうだろう?」

なんてアイディアが浮かんだんですよね。
(結局まだやってないのですが💦)


それくらい、気持ちを表現するには、「歌」って言葉も感情も入っているし、もってこいだなぁって思うんです。

そもそも、それだって私が歌が好きだからその発想になってるってことなんですよね。


「できない理由」は挙げればキリがないし、それには及ばないかもしれないけど、「やりたい理由」も思い浮かぶ。


今は下手だけど、上手くなっていく過程を応援してもらえたら嬉しいし、私のように、本当はやりたいけど二の足を踏んでいる人にとっては、挑戦する姿を見てもらって「勇気が出ました!」と言ってもらえたら嬉しい。


自分は恥をかくけど、それでも「やりたいこと」に挑戦できることには変わりない!しかも、それによって(失敗例?前例?として)人の役に立てるならそれはそれでやる意味があるじゃん!と。


今は下手だけど、実際それが「現時点で私が出せる全力」であることには変わりない。好きなんだったら練習だって苦じゃないでしょ?だからその「現時点で私が出せる全力」を、どんどん更新していけばいいだけじゃん!と。


なんかそう考えてみたら、この「挑戦」にたいして、自分が難しく考えすぎていただけなのかな、と思えたんですよね。


今やりたいことが、数か月後、数年後、できるようになっている保証はない。


やっぱりその時も、今と同じような言い訳を並べて先延ばしにしているかもしれない。そしたら私、一生やらないまま終わるな、と。


大好きなことを好きということは恥ずかしいことじゃないし、別に、好き=上手、じゃなくてもいい。それに「好きこそものの上手なれ」というし、自分の気持ちに嘘をつかずに向き合えば、きっとまた気持ちよく歌えるようになるはずだ。


それに、noteだってスタエフだって、「誰かに話すつもり」で毎日アンテナを張って過ごすことで、嬉しいことや小さな幸せをキャッチできるようになった。「一日の終わりを良いものにしよう」「後でこんな風に話したい」と思って行動することで、なんでもない日が最高の日になったりもした。


誰かに話すつもり、聞かせるつもり、見せるつもり・・・その前提があるかないかで、自分の取り組み方は変わる。


歌だって、今はカラオケに行く相手も夫以外にいないから、別にそんなに一生懸命練習する必要だってなかったわけで。

これが、「あと2週間後にのど自慢大会に出る!」「歌の仕事をもらえるチャンス」「カラオケ大好きなあの人と、今度一緒にカラオケに行くことになった!」とあらば、一生懸命練習するはずです。

歌も「聞いてもらう」前提でいれば、練習の仕方も頻度も変わる・・・!!


だから私は、あの動画を載せて、

「私の歌、どうよ?」
「さぁ、称賛のコメントをどうぞ!」

とは思っていません。
むしろ、褒められたらちょっとへこむ可能性すらあります。(「あぁ、ほんとはもっと上手く歌えるはずだったのに・・・悔しい」みたいに笑)

ちょっとめんどくさい人ですね💦笑笑

でも、反応をいただけたことはめちゃめちゃ嬉しかったです!
先に書いたとおり、すんごく勇気が要ることだったので・・・


というわけで私は、33歳の誕生日を迎えて「今までやりたいと思っていたけどできなかったことに挑戦したい!」と改めて思い、早速その一つをやってみました。


なんで急に思いついたかというと・・・

カラオケJOYSOUNDの「うたスキ」というコンテンツサービスで、歌ってみた動画を簡単に撮影・アップロードができる!ということことを知ったから、ただそれだけです!笑

(「歌ってみた」の動画を作るには、音源を探したりエコーをかけたり動画編集したり…色々乗り越えるべきハードルがあり、それを”完璧に”こなそうと思ったら私は絶対にやろうとしない。それをまた「今はできない理由」としてでっちあげるに違いない。だから「そんな私にもってこいのサービス」でした!笑)


30代、まだ若いけど、いつどんな理由でやりたいことができなくなるかわからない。自分や家族の病気とか怪我とか、急に忙しくなって、とか・・・

肉体だってどんどん衰えていくし、歌も、努力だけではどうにもならない加齢による限界もあるかもしれない。


だからこそ、一日でも一歳でも若いうちに挑戦すべきだと思うようになりました!最近の話ですが・・・


だから、自分が他の人から見て「恥ずかしい人間」に映ってるかもしれないとは思いつつ、これからも自分の好奇心のおもむくまま挑戦は続けます。

ネットに載せて公開することで、きっと否定されることは避けられません。笑い者になるかもしれません。正直、それはやっぱり怖いです。

でも、それでも今は、そういうのも含めて「やってみよう!」と思っています。
※メンタル維持できなくなりそうだったらさすがにやめるかもしれませんが・・・笑


ここまで読んでくださった方にはぜひ、

「こういう考えも悪くないかもな」
「私もやってみようかな」
「この先どうなるのか見てみたい」

と少しでも思ってもらえたら嬉しいです。


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夫は、成長を見守り合える存在


成長ってきっと「できなかったこと」ができるようになるってことなのかな、と最近ときどき思うんです。


私にとって夫は、生涯を共にすることを約束したパートナーであり、時には母親であり祖母であり、兄であり弟であり、はたまた子供みたいだなあと感じます。


私は内弁慶なタイプで、実は頑固で勝ち気が性格です。
(今でこそややマシになってきましたが・・・)

例えば、喧嘩や言い合いなど、自分を正当化するためなら驚くほど饒舌になり、自らの非をも棚に上げ、何としてでも相手を打ち負かそうとまくし立てるほどでした。自分の意見が絶対でそれ以外は認めない、そういう感じだったんです。


だから、同棲を初めてから結婚してすぐの頃は夫ともよく衝突していました。(といっても、夫はいたって温厚なので、私がただ一方的にイチャモンをつけていただけなのですが…)


夫との喧嘩ではいつも私が主導権を握り、最後はいつも夫が謝ってくれる、というパターンでした。私は、それが当然だと思っていました。(ひどい話です)


しかし、いつも「ウン、ウン」と聞いてくれる夫も、我慢の限界が来ると私でも手のつけられない状態になることも・・・

何時間も口を利いてくれなくなってしまったり、そのまま家を飛び出してしまったこともありました。

さすがの私もものすごく焦って、必死に謝りました。

そんなとき、どんなに激しい感情の浮き沈みも受け入れ、横暴をも許してくれる夫でさえ許せない部分が自分にはあるのだと知り、私は深く反省しました。


また、私の心無い言葉や態度、行き過ぎた暴言などで、何度も何度も夫を傷つけました。

私は、「自分にできることは他の人もできて当然だ」とか、「こういうときはこうすべきだ」という意見の押し付けが非常に強かったんです。

それは誰に対してもというわけではなく、親しい間柄であればあるほど、その要求は強まる傾向にありました。
(むしろそうでない場合は徹底して自分を抑えます。)

だから夫にも、「何か言いたいことがあるなら早く言ってよ」「そんなこともできないの?」など、ひどいことを言ってしまいました。


私と夫は似ている部分も多いです、特に根っこの部分は。ただ、結構真逆な部分もあります。

例えば、私は思いついたことをすぐに口にするタイプ、一方夫は、相手の言葉を受け止めてからよく考えて言葉にするタイプ。

何かを始めるというときも、私はまずやってみよう!というタイプ、夫は自分のキャパシティなども考えて慎重に動くタイプ。

こういう違いを感じるとき、はじめのうちはそれにイライラしてばかりいたのですが、だんだんと「相手に合わせる(歩み寄る)」「待つ」ということ覚えていきました。

ここまで「自分が絶対!」な私がそうしようと思えたのは、やっぱり夫が、どんな状態の私も受け入れてくれたからだと思います。


会社員時代、心が病んで、帰宅してから2時間以上も号泣しながら悩みや愚痴を聞かせ続けた私を支えてくれたのは夫だけでした。(夫まで病みそうなほど、ものすごく精神的負担をかけてしまった)

会社を辞めることを後押ししてくれたのも、フリーランスとして動画編集やナレーターの仕事を始めることも応援してくれました。

お仕事をいただけたときはいつも一緒に喜んでくれるのはもちろん、家族や友達にも話して「こんな風に言ってたよ!」と、家族のグループlineでのご両親のリアクションを共有してくれたり。(それもとても優しいのです…)

初めてのオーディオブックの表紙画像を今でもスマホの待ち受け画像にしてくれています。(家族ですらそんなことしてくれていないのに笑)


(私の今の活動は、下手すると、他の人には恥ずかしくて話せない・隠したい、と思われてもおかしくないことだとも思うのに・・・。
実際、母には「会社辞めなければよかったのに」とか、義父からも笑われました。だから私も、身近な人にはまだほとんど打ち明けられていません。)


肉親さえも愛せず信用できず、何年も会わない、連絡を絶つ、絶縁するということが、当たり前?のような感覚の私にとって、夫は今まで出会ったことがないほど温かい人でした。どんな風に育ったらこんなに優しい人になるの?と。

夫のご両親も、本当に優しくて嘘の無い素敵な家族だと、会ってすぐに感動しました。こんな家族もあるんだ、実家ってこういう場所なんだなと。


すぐに顔色を伺って不安になって「怒ってるの?」と何度も聞く私に、嫌な顔せず「怒ってないよ」「大丈夫だからね」と根気強く相手をしてくれる夫。

何かしてもらったときに「ごめんね」が真っ先に出てしまう私に、「ありがとうでしょ」と笑顔でたしなめてくれる夫。たまに逆もあり、最近は私がそれを真似して夫に言うこともあります、「ありがとうでしょ」と。


私は、自分にできて夫にできないことがあると夫を責めて直させようとするばかりだったけれど、夫はいつも自分が折れてくれていたんですよね。

それが当たり前だと思っていた自分が、なんて子供なんだろうと思いました。


人の話を聞くこと、後ろを歩く人を待つこと。これこそが「優しさ」であり「愛情」なんだと、夫から学びました。

自分以外の人の意見を「聞けない」、のんびりしている人を「待てない」、心が狭くて自分中心人間だった私が、今は少し、聞けるようになり待てるようになりつつあります。


夫は、私が今まで持っていなかったものを沢山与えてくれています。

それはモノだけじゃなくて、私がずっと欲しかった「家族」です。

夫であり、母であり祖母であり、兄であり弟であり、はたまた子供みたいな存在として。

(”父”がないのは、夫が私を叱るようなことはほぼ無くて、とにかく優しいからお父さんというよりはおじいちゃん、おじいちゃんというよりはおばあちゃん、な感じだからです笑)


夫との日常のやりとり

(公開前の下書きnoteを読んでもらって)
私「どう思った?これ大丈夫かな…」
夫「すごくよかったよ!まさに哲学、ニーチェだね」
私「え、ニーチェってあのニーチェ!?じゃあ、ハルーチェってこと!?」
夫「そうそう、ハルーチェ!」

自信をくれた。

夫「好かれるには嫌われ者になるってことでもあるから」
私「そっか、じゃあ嫌われること気にしてたらだめなんだね。嫌われるくらい、自分を出していかなきゃいけないんだ!」

勇気をくれた。

私「ねぇねぇ、私変わったよね!?」
夫「そうだね、優しくなったとおもうよ」
私「そうだよね?前みたいに怒らなくなったもんね!」(ドヤ)

自己肯定感を高めてくれた。


夫と結婚してから迎える2回目の誕生日。

生まれ育ちにそこそこ難ありの、平成元年生まれ33歳女性。

は、ふざけて人を笑わせるが大好きな10歳児。ときには、ひとり空想が趣味の多感なセブンティーン。笑

「家族」を手に入れた私はここからまた、1歳、2歳と、きちんと年を重ねていけるのかな、と希望を胸に抱いて・・・!


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「人は与えられているぶんだけ、与えられるものだから」


いつか、ある人に言われて涙が止まらなくなるほど嬉しかった言葉です。

「人に与える余裕なんてないよ」「どうせ自分は冷たい人間なんだ」

そんな風に自分を責めている人がいたら、私も、この言葉をかけてあげたいです。

与えられないのは、あなたが悪いからでも冷たいからでもなくて、与えられたことがなかったり、足りていないから。あるいは、人に与えすぎちゃったからかもしれません。


私が少しずつ与えることができるようになったのは、夫を始め、今沢山の人達から与えてもらっているから。

これらからは、私ももっと「与えられる人」になりたいです。

3年前の写真。振り返ることはあっても、つま先は前に向けて。


"あの頃"に生きること、いつの頃からか選んでいた
自分のこと、過去のこと、いつの頃からか守り過ぎてた

離れてゆく、近づいてく、この手を繋いで

『大人の階段』米倉利紀

※実は、H2Oの『想い出がいっぱい』を思い浮かべて”大人の階段 歌詞”で検索したところ、こちらの歌詞が一番上に出てきました。一度も聞いたことのない歌なのですが、今の心境にピッタリな歌詞に思いがけず胸を打たれ、引用させていただきました。

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最後までお読みいただきありがとうございました!
33歳になったはるねずみも、引き続きよろしくお願いいたします✨


ところで・・・
「アラサー」って何歳まで名乗っていいのでしょうか…🤫💦笑

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