音楽と形式と「聴いたことある」意味の話。

ソナタ、ロンド、リートなどなど、クラシック音楽に存在する形式。クラシック以外でもポップス、ロック、ジャズにも同様に、形式はあらゆる音楽に存在している。では単純な疑問として、何故形式が存在するのだろうか。

 第一に考えられる理由は、作曲家が楽曲を書きやすいからだ。形式が存在していれば、作曲家はアイディアや閃きをその形式に落とし込み、楽曲は完成させられる。簡単に言ってはいるが、もちろんそんなに容易い話ではない。しかし、形式の有無によって、その労力は大きく違ってくる。昨年映画が作られて話題になったqueenの《ボヘミアン・ラプソディ》のような、前例のない独創的な音楽は制作に大変な労力と根気が必要だし、売り出すレコード会社も聴き手の反応が読めないために、商業音楽として発表するのは結構難儀な話だったりする。

 これはどこかで読んだ内容で、正確性に欠けるから話半分で聞いてほしいのだけれど、某有名音楽プロデューサーは提供等で自身が最も製作する楽曲が多く忙しかった80~90年代は、Aメロ、Bメロ、サビをそれぞれ大量に作ってストックしておいて、制作の際にはそれらをつなぎ合わせて作り上げていたと語っていたことを記憶している。商業音楽は基本的に詞先ではなく曲先なのでこういう作り方も可能だが、形式が存在していることも大きく寄与していたのではと考えられる。

 第二の理由として、聴き手側からすると、形式に則って書かれた楽曲は聴きやすいという代えがたいメリットがある。聴き手は楽曲の展開を予想しながら安心して盛り上がったり、心動かされる準備ができるというわけだ。

 いくつか例を挙げて説明する。日本のポップスやロックの大半の楽曲には、Aメロ、Bメロ、サビという流れ(これが所謂形式だ)が存在する。聴き手はAメロを序論、Bメロを展開、サビをメインだと、歌詞を聴きながら予想し、その形式通りに盛り上がることができる。曲の1番ではBメロまで行ってサビに入らないなどの手法も存在するが、そこから生じる肩透かし感というのもj-popの形式が存在していて、聴き手に認知されているからこそ効果がある。

 もう一つ、クラシックのソナタという形式を例に挙げる。ソナタ形式は第一主題と第二主題からなる提示部、その二つの主題が形を変化させて進む展開部、最初の2つの主題が再度演奏される再現部、曲の終わりに結尾部という形式で、クラシックの中でも最もポピュラーな形式の一つだ。噛み砕いて説明すると、2つのテーマが最初に演奏されて、途中そのテーマが形を変えて、最後にまた最初の2つのテーマが元の形で演奏されるというものだ。この形式では、聴き手は展開部でテーマを見失っても、はたまた寝てしまったりしても、最初に流れた2つのメロディが再び演奏されたときには、また安心して続きを聴くことができるといった利点がある。人間は知っているメロディを聴くと安心するという心理を利用した形式とも言える。

 話は少し逸れるが、音楽は他のコンテンツと楽しみ方が大きく異なる要素が存在する。それは「知っている」ということだ。好きなバンドの新曲が発表されることは楽しみの一つだが、ニューアルバムのツアーライブで新曲が歌われる中、定番曲が始まるとイントロだけでも会場は熱狂する。そこにはやはり、その曲を「知っている」ことが起因する。映画も小説も絵画も、好きな作品は何度も見返したりするものだが、殊音楽に関してはその傾向が顕著だ。往年の名曲をカバーした曲が発売されたりするのも、その一例だ。

 先の「知っている」の話は形式の話とも同列に考えられて、聴いたことのないメロディでも、知っている展開であれば聴き手は楽しめる。アイドルソングやアニメソングに多く見られる楽曲の冒頭をサビから始めるという手法も、前述したソナタ形式と同じで、冒頭に提示したサビが盛り上がる場面で再度出てくることで、「知っている」メロディが「知っている」形式通りに出てくるという展開が演出できる。ファンが安心してコールを入れられること間違いなしだ。

 音楽にとって、「知っている」「聴いたことある」というのは重要な要素だ。理論的に難しい言い方はいくらでもできるが、要するに形式とは、音楽を作る側では制作の効率や安定した聴き手の獲得に、音楽を聴く側にとっては音楽を安心して楽しむために存在しているのだ。これまで形式を意識せずに音楽を聴いていた方も、意識して聴いてみると普段とはまた違う面白さに出会えるかもしれない。

 それではさよなら、また今度。

はるねこ
@No_313Room

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