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児童相談所の一時保護所に娘が入所した話 その2


続きです。

一時保護所へ入所後はどうするかというと、
まず学校と情報共有。
それから担当の児童福祉司さんと児童心理司が決定され、私は児相に赴き面談。
もちろん娘とは一切の連絡は取れません。福祉司さんが施設に様子見に行ってくれて様子を伝えてくれます。

昨今、児相というのは虐待事件が発覚すると批判にさらされ、そして一時保護所というのも批判が多いようです。
先日ラジオで入所経験のあるトー横キッズの少女がインタビューに答えていましたが、保護所が嫌な場所だったと語っていました。

それは事実なのだと思います。一時保護所に関しては非常に情報が少ない。
実際どんな運用がなされているのか、入所したらどんな処遇なのか、どれくらい入所者がいてどんな生活なのか、子どもたちの福祉として機能しているのか、私も疑問に感じています。

ですが、私たち母子担当の福祉司さんはじめ心理司さんも、とてもよくしてくれました。保護所を出る前も、そして保護所を出てだいぶ経過した今も、支えてくれています。
緊急の際は夜自宅に駆けつけてくれましたし、仕事をしている私のことを考えた面談設定をしてくれます。
逆に申し訳なくなるほどです。
職員さんのワークライフバランスをいつも心配しているくらい。

話は戻りますが、入所後の私は心配と後悔と、毎日泣いていて夜もほとんど眠れませんでした。

集団生活がストレスになる娘の精神状態は?
学校はどうしよう?
母娘関係再構築できるのか?
時間を戻したい、なんでこんなことになっちゃったんだろう、せっかくうまくいっていたのに。

そんな中でも仕事はある。下の子の育児もある。ご飯は食欲なくても作らなきゃいけない。
私しかいないんだから。

出社すれば笑顔で何事もないように振る舞い仕事をし、下の子に心配かけないように家庭でもいつも通り振る舞う。職場を始め、周りにはこの件は言いませんでした。よくやっていたな、私。

娘の様子と心理状態は児相の職員が伝えてくれました。

今書いているのは過去の話なので、当時職員からどう伝えられたかうろ覚えです。
ですが、学校のテキストを差し入れてほしいという依頼があり、その勉強道具で施設で勉強していたということは覚えています。
娘、たしかなかなか自分が悪かったところがあるという意識にはならなかったことも覚えています。あと意外とご飯はちゃんと食べていたことも。(ムスメ、超偏食)

娘自身が、学校に通いたいから早期退所を臨んだこと、そして私もやっぱり学校に通わせてあげたいから早期退所を臨んだこと、
児相の心理司さんたちが私をサポートしてくれたこと、

色々と検討の上、娘はそれほど長く入所することなく帰宅しました。

でも問題はここから。
一度壊れた母子関係の再構築、再度同じことを繰り返さないようにする方策、娘自身が自己を省みること、
課題は山積みです。

結論から言うと、現在の娘は落ち着いております。母子バトルはままありますし、相変わらず大変ではあるけれど、
今から一緒にアイス食べにいくくらいには仲良く、また会話もあります。
笑いあったりアホみたいなLINEを送り合う中で、ムスメ面白いやつだな、と思う日々です。

どうやって再構築していったか、をまた記事に書いていきます。
続く。


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