二度目の閉鎖病棟
強引に退院した翌年に再入院。
その間にも、何件か病院は廻ったけれど、合うところも見つからず「うちでは診れない」と言われたりもしました。
病名も”躁鬱”とか”境界線人格障害”とか”若年性更年期障害”だったり、色々と称号をもらいました。
(今の治療を受けてからはそれらが誤診だったと思えます)
で、行く末の無くなった私は再度自主入院。
ケースワーカーも主治医も前回と同じです。
しかし、2回目は内科的数値がとても悪いので、1週間の内科入院を経て閉鎖病棟へ。
・辛すぎる内科入院
無愛想な看護婦3人がかりで、4点拘束→尿道カテーテル。
しかも尿道カテーテルも何度も失敗され滅茶苦茶に腫れました。
寝返りも打てないし、ご飯も無愛想な看護婦に突っ込まれるように食べさせられる毎日に不安と苛立ちだらけでした。
そして、この間に「閉鎖病棟に移動したら脱走しよう」と決めました。
・無事に(?)閉鎖病棟へ
その時の相部屋の子は、可愛くて私より5つくらい年上のお嬢様育ちの女の子でとても楽しかったです。私と同じようにキャバクラや風俗を(私はこの時点ではまだ未経験)していた過去があるので話も合いました。脱走の計画も二人で話し合いましたね。
彼女は躁鬱だったので、波が激しく、鬱の時は一日中寝ていた時は寂しかったです。
・いざ脱走
その日は、保護者同伴で中庭に出られる日でした。
母が携帯を持ってきてくれていたので、電話をする為にトイレに行くふりをしてそのまま正面入口から猛ダッシュ。本当に脱獄者の気分がわかった気がしました。
小銭は入院中も持っていたので、バスと電車を使い2時間かけて帰宅。たしか、途中の駅から知り合いに車を出して貰った気がします。
母が私の支配下にあったので、母にも脱走した旨をメールで伝えて帰宅させました。
この時も任意入院でしたので、無理に連れ戻されると言うことにはなりませんでした。
同室の彼女とは、上手く落ち合うことが出来ず連絡も取れないまま終わってしまった事が当時は残念でしたね。
二度目の入院は二週間で終わりました。
この時も
「二度とこんな所戻らない」
と思ってたはずなんですけどね。
結果的には翌年出戻る事になりました(꒪⌓꒪)
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