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傷つけないことより、許すことを。

今日、誕生日プレゼントにもらったワイヤレスイヤホンの片方がなくなって必死で探していたところに、娘が泣き出し、焼いていた新物のさんまが焦げそうになる、そんなパニック中に、家のインターホンが鳴った。

時間的に再配達の郵便屋さんかなと思って、モニターをチェックせずに出たら、塾の宣伝をしにきた営業のお兄さんだった。ものすごい営業スマイルで自己紹介をされたのだけど、こちらは本当にそれどころではなかった。

あしらうような態度ではなく、私なりに丁寧に「ごめんなさい、今忙しいので」と伝えたけれど、さっきまでのスマイルは何処へやら、これもしかしたらキレて襲ってくるかもしれない、と思うくらいに途端にお兄さんの周りの空気が激変した。

ここまで変わらなかったら、もう少し話を聞いたかもしれないけど、その変貌ぶりが怖いくらいだったので、思わずそのままドアを閉め、鍵をチェーンまでくまなくかけた。

もらったプレゼントを迂闊にも失くしたことで、ただでさえ凹んでいたのに、そこに輪をかけてあそこまで出会って数秒の人に、悪意を向けられたことに結構ショックを受けた。

きっとほとんどの人たちが意図的に誰かを傷つけようとして生きているわけではないと思う。私ももちろん、できれば誰も傷つけたくない。

けれど、どれだけ気をつけていたって、私たちは一人一人違う人間で、違う考えや、違う背景を持っていて、違う言い分だってある。

誰も傷つけずに生きていけるなんてことはない。

私たちは生き物を大切にしましょうと言いながら、
知らない間に足元のアリを踏んでいることもあるだろう。

この前は、仕事でヨガの生演奏をしていた時に、最後に「生きとしいけるものすべてが幸せでありますように」と唱えている最中に、目の前の人が床にクモを見つけて、ティッシュで捕まえて丸めていた。

私たちは誰も傷つけずに生きてはいけない。

「自分は誰も傷つけていない」と自負している人は、
その自負のせいで周りが見えなくなっていることだってある。

だから私は最近、誰も傷つけないで生きようとすることよりも、

「どれだけ気をつけていても生きている限り誰かを傷つけている」という事実を謙虚に受け止めることの方を大切にしている。

それを受け止めたら、自ずと他人を許せるようになる。
だって、私たちもきっと誰かを傷つけ、また許されているのだから。

あの塾の営業のお兄さんも、きっと一日営業で疲れ果てていたけれど、最後に振り絞った営業スマイルだったのかもしれない。私もあのタイミングで来られてなかったらもう少し話だけでも聞いてあげられたと思う。

でも、起こってしまったことは仕方がない。私たちはちょっとしたすれ違いや行き違いで、普段気をつけていても簡単に誰かを傷つけてしまう。

だから、傷つけないことに完璧であるより、許すことに意識を向けていたい。そちらの方が結果的に優しくなれるし、その優しさは広がっていく気がする。

結局、私の失くしたイヤホンは扉の溝に綺麗にはまっていたようであのお兄さんが帰った数時間後に見つかった。

お兄さんはあの後無事に仕事を終えられただろうか。
いい週末を過ごしてくれるといいなと思う。

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