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風に乗って

今から30年以上前、私は父を亡くした。
父についての話はこれまでにも何度も書いてきているけれど
書けば書くほどに、30年間私の中で誰にも分かち合われることのなかった
さまざまな気持ちがぷくぷくと湧き上がってくる。

これも、そんな思い出の一つだ。

当時6歳と3歳だった私と弟は、父の最期の姿を見ることができなかった。
父は3週間ほど行方不明になってしまった後、自死しているところが発見されたため、身内でも父だと認識するのが難しかったという。
そんな変わり果てた姿の父を見せることはできない、という家族の思いから、私たち子どもが父と対面することはなかった。

そういう形で父を見送ることになってしまったため、
私は父が亡くなったということの現実味がなかなか帯びなかった。

告別式の翌日、いつも通り朝起きてみても、父がいない。
「あぁ、お父さんは、天国へ行ってしまったのか」

と思うのだけれど、心のどこかで
「いや、もしかしたら今頃どこかで道に迷っているのかもしれない」

そんな風に思う自分との間でいつもゆらゆらと揺れ動いていた。

けれど、そんなゆらゆらした気持ちに一つのけじめをつけられた出来事があった。

それは父の納骨式だった。

おそらく葬儀から1年近くがたった頃だったように思う。

いつも法要でお経を読んでくれるお寺さんと、祖父母や親戚に囲まれて、
私は白い布に巻かれた父のお骨を母と弟と3人で抱えた。
1年前の大晦日に「いってらっしゃい」と言ったきり、
触れることもなく、見ることもできなかった父のお骨。

今まで骨壷が仏壇にあったのは見てきたけれど、
それと父が結びつくわけでもなく、中を見れたわけでもなかった。

その中身を、ようやく私は布越しではあるけれど見ることができて、触れることができた。

1年という年月のおかげで、私はお骨になった父を見てショックよりも、
「ようやく自分のこの目で見て会えた」という気持ちになれたのだと思う。
「父がこんな風になってしまった」、とは不思議と思わなかった。

そして、私たちはその布に包まれた父のお骨を3人並んで、お墓の中に入れた。

その日は寒い冬の日で、空は薄いグレーで、風が強い日だった。

お骨をお墓の中にいれるわずか数十秒の間だったのだけれど、
白い布が風に触れるたび、父のお骨の粉がふわりと舞った。
そしてその時来ていた私の紺色のコートについた。

母は、「お父さん、春奈と離れたくないんやね」

と笑いながら、でもちょっと泣きながらそう言った。

「うん」

私は自分のコートについたチョークの粉のような白い点々を眺めながら、
小人になった父を想像して心の中でちょっと笑った。

そして、また風が吹いた時、私はお骨の舞った風を吸い込んだ。

父のお骨がわずかに混ざった冬の風。

私はあの瞬間を今でも何度も、何度も思い出す。

「お父さんは、私の中にいる」

私にとって納骨式は、父が確かに私のそばにいて、私の中にもいるということが確信に変わった日になった。

ーーーーーー

亡くなった人たちは、生きていた時のようにもう会えないし、触れられない。

けれど、あの日私が見た父は、私の一部になり、そして風に舞い、空気の一部になった。

父はもう、どこにでもいる。

私は、あのときから、素直にそう思えるようになった。
自分の五感を通して、父を確かに感じることができたからだと思う。

私の中で、「人が死ぬ」ということは、「無」になることではないのだという考えがあるのは、この経験があるからだ。

「死」というのは形を変えるだけで、故人との絆は続き、故人は生きている時より変幻自在、いつでも、どこでもいられるようになる。

大きな大きなこの世界の一部に還っていく。

あの時冬空の下で舞った風は、私に今も消えることのない「繋がり」をくれた。

側から見たら悲しい思い出かもしれない、父の納骨式。

けれど、私はあの父の納骨式を思い出すたびに、今でも温かい気持ちになる。

そして、吸い込む空気の中に、どこかでわずかに父の存在を感じながら、私は今日も父と共に生きている。

山口春奈


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