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自分の「看板」に掲げる歌を詠んでみよう。

……と思い立った歌歴30年、永遠の初心者かつ無冠無所属(苦笑)
切欠は、こちらの記事を拝読したからです👇


木下龍也さんのworkに倣うようで、何とも畏れ多い💦 ヤスさんにもお詫びを(記事の切欠にいたしまして。良き気づきを頂戴しました)畏れ多いなら合掌しつつ歌いましょう(真面目に書いております<(_ _)>)
短歌の出発点=短歌同人誌 の誌風が社会詠だったので、どうしてもそうした個への視点が弱くなる。これは私という歌詠みの欠落です。欠落は埋めねばならぬし、社会への視点だけでは人の心に届かない、その琴線に触れることは叶いません。


幾人の歌人が同様のことを述べておられることに出会いつつ、認識を新たにしたいと思います。

歌は歌として、韻律を、調べを持つ言の葉として、元来この世界に存在しているものなのです。私たち歌に関わるものたちにできることは、その拡張器、いえ吸い取り紙になることです(歌というインクの)。

それ以外は何もしてはならない。作為を外していくこと、それこそが短歌、詠草、詠うことだと私は信じています。
必要がないのです。詠う者の心には既に三十一文字がある。それを詠い、それを綴ればよいのです。悩むことなく、てらわず心をくうにして。


それでは、拙き三十一文字を参ります。

宵風が吹いてくように歌となり
あなたの頬をかすめていくよ 
                   /春永睦月



看板、というよりも柔らかなメッセージですね。私にとり書くことはダイアローグ、対話なのだ。改めて自認した次第です。それゆえ、歌専業にはなれず、それゆえに詠い続けるのだろう、と。

7月7日は七夕ですね。願い事は何ですか?
(画像はCanvaのテンプレートをお借りしました)

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

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拙稿をお心のどこかに置いて頂ければ、これ以上の喜びはありません。ありがとうございます。