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淡々と、けれど真っ直ぐに。

#あの選択をしたから 企画参加記事です。本文、文語体にて綴ります。

あの選択。人生に於いてそれは様々にあるだろう。私にも、そんな転換地点が幾つかあった。その最初とも言えるものを、思い出してみようと思う。恐らくは、私という時の中にあって最初の選択であったろう、あのことを。


1.中学校時代


私の取り柄、その1つは足が速いことだ。子供時代、運動会の徒競走で一等賞を取るくらいのレベル、どこにでもいるかけっこの早い子供。それが子供時代の私だった。
小学校六年生のころに、校内マラソン大会があった。そこで3位に入賞した。そこそこの結果だったが、この大会にはオチがある。マラソン大会は学校行事だから、卒業アルバムに写真が載る。当然、その時の大会もアルバム用に撮影する予定だったのだが、学校側が依頼していた写真館の職員が遅刻し、大会を撮影することができなかった(道路渋滞のためと聞いている)。
ゆえ、後日に入賞順に並んで大会をしている演技をし、それを撮影するという何ともアレな(苦笑)顛末を経て、演技したマラソンの姿は私たちの卒業アルバムの1頁を飾ることになる。……なんとも不格好な思い出である。

ともあれ、そこそこに足の速い生徒が入学したと、中学校進学期には話題になっていたらしい。私が進学した中学校はマンモス学校が二分割され、新たに設けられた新設校だった。立ち上がったばかりの学校に、立ち上がったばかりの陸上部がある。当然のごとく、部員の数が少ない。そこで、陸上部顧問の教師に、私はひとつのことを頼まれた。

「中体連のときだけでいい、臨時部員として800メートル走に出てくれないか」と。陸上という専門分野に自分のような単なる駆け足が早いレベルの生徒がふさわしいとは、そのときの私には思えなかったので、卒業までの3年間を助っ人部員として過ごし、中体連時期限定で部活動に参加した。そして、中学卒業後は、仮初めのアスリートもどき、その活動からも卒業するはずだった。

2.高校時代~本格的に走る


高校に進学した私は、平凡に勉強し、大学進学を目指す……つもりであり、そのはずだった。だが、自分の与り知らぬところで、上級生や教師の思惑が静かに進行していたらしい。中学二年時の中体連、陸上競技800m走で大会タイのタイムを(たまたま)残していた自分に、進学した先の陸上部顧問が可能性を見出してくれたそうで、マネージャーが私の教室にやってきて、こう告げた。

「とりあえず、部活を見学しにこない?」
 
その誘いに私は頷いた。それから程なく、私は「運動部だけは向いていないだろう」と思っていた、その運動部、それも部活動で最も厳しい陸上部の一員となった。高校一年の春のことである。その後、私の高校生活は、陸上競技(800メートルランナー)と勉学の両立、そこへの努力と情熱でできていた。アスリートとしての能力がさして高くない自分、高校卒業が私の陸上選手の卒業だ。入部したときから、そう決めていた。そして、その決意どおりに完全燃焼し、思い残すことなく、高校三年の秋に部活動を引退した。高校卒業以後、競技会で走ったことはただの一度もなく、高校の卒業証書がそのまま陸上競技の卒業証書となった。

3.選んだから、今がある

あの時、あの選択を選ばなかったなら、陸上部入部を断っていたならば、私はどうなっていただろう。ごく普通の高校生として過ごし、取り立てて思い出とする出来事もなく過ごしただろう。それはそれで、何の問題もない学生生活ではあったろう。
#あの選択をしたから といっても特筆するほどの思い出はない。私は地方(北海道)在住の、ごく一般的な中距離走ランナーだったから。選択が私にもたらしたものは、競技結果、試合の順位ではない(表彰台の一番上に立つことは最後まで叶わなかった)。競技を経て結ばれた縁が、私にとり今も消えることのない至福である。同じ部の仲間たち、ライバル校の選手と健闘を称え合った思い出。
人を慕う(先輩等)ことも導く(後輩たち)ことも、己の体、その体調維持も、他者に対する礼節も。社会人になってから必要となるそれらを、私は陸上競技場、一周400メートルのトラック、そのコースから教わった。
体調維持については、別記事を書いている。参考までリンクしたい。

耐えること、ペース配分をしつつ無理はしないこと。自分を少しは冷静に見つめる視点を持ち得たと、今を顧みて思う。早朝に登校、朝練を済ませて授業が始まり、終業後はまたトレーニング。走ってばかりの3年間だった。あの無理な頑張りは、10代のあの時間であったからこそ可能であり、我が身に身を結んだ、実と成り得たのだ(当然だか今の私には到底できぬ相談である)。

陸上のトラック、そのスタートラインについて、ピストルの合図と共に走り出す。 On your mark , Ready…Go! その言葉と観客の声援、競技場の熱気は、壮年を過ぎ初老に足を踏み入れようとする私の背中を今も押してくれる。無駄な事など何もないのだろう、全ては必然なのだから。

4.最後に


自分には相応しくない競技、そこへの入部を決めた、#あの選択をしたから 今の私が存在する。今、先の選択肢を見失いがちな時代、何かを選ばなければならない「あなた」に、ひとこと僭越な文言を刻みたい。
納得のいくまで迷い悩み、そして自分を信じて道を選んでください、と。

以上、企画さまの意図するところとはずれてしまったかもしれませんが、#あの選択をしたから で拙い言葉を綴りました。株式会社マイナビ さま、
企画立案と運営に感謝申し上げます。そして、ここまでお読みくださった方がおられましたら、その貴重なお時間とお心に深い敬意を捧げます。ありがとうございました。

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拙稿をお心のどこかに置いて頂ければ、これ以上の喜びはありません。ありがとうございます。