見出し画像

2020/8/30感情の記録-言葉への違和感を払拭するには言葉を尽くすしかないと私が思う理由-

相手が発する言葉に違和感を抱くことが多い。たぶん、言葉の理解にこだわりが強いから「それはつまりどういう意味?」「それってこういうことですか?ちょっと違いますか?」という質問を、素直にすることがある。

自分が話をするときも、例え話を入れたり、(伝わっていないかもしれないな)と思ったりしながら、相手の様子を見て話をするようにしている。

感情の理解を相手任せにしてはいけない。そう常日頃、自分に言い聞かせている。

(え、わかってくれないの?)という声にならない感情は、友人関係や家族関係やパートナーとの関係に、大きな溝を生んできた歴史があるではないか。

それでもいまだに人は、言葉を使うことを億劫に感じがちだと思う。

確かに言葉での長い説明を理解するよりも、感情を理解できる方がかっこいいような気もする。話をするという行為は、時間がかかるし、労力も使う。
世の中には「なんとなく」を理解して、どうにかやってほしいと思うことも、一般的に言われる、いわゆる普通や常識がたくさんある。

それでうまくいけばラッキーだが、ここで思い出して欲しい。
大事なことほど言葉にしなかったことで、うまくいかない結果を招いたことが、世の中にはたくさんあるのではないだろうか。

言葉にして伝えるべきところで、言葉にしなかった。それで私もたくさんの失敗をしてきて、人を傷つけてきたと思う。だからこそ今は、伝わるように、理解してもらえるように、言葉を尽くすことは、大事だと感じている。

そのために、言葉を知っていることだけでなく、言葉の伝わり方には受け取る人のフィルターがかかりやすいこと、例えば…の話を相手に合わせてできるネタを持っていること、自分が喋り言葉と書き言葉の伝達でどちらが得意かを知っていること、人が聞いた言葉をイメージするには時間がかかること、などを知っている必要がある。

だから、自分が話をするときも、相手が知っている分野のことで例え話をしたり、得意な書き言葉で再度伝え直したりすることを意識している。

「回りくどくて面倒な人だな。」と思われていそうだし、自分でも「面倒なやつだよね。ちょっとした立ち話を、考えたあとにラインで送ってきて。」と考えながら、でもちゃんと伝えた方がいいなと思うものは、ラインをしてしまう。

でも、私がそのスタンスでいることで、周りの人が話をすることへの抵抗を減らしたり、話をする時間を大事なものとして扱ったりする意識を持ってくれるのではないか、と思いながら生きている。
大事なことはそこにあると、小さな希望を勝手に抱いている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?