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ストレス発散って意味がないからストレスの原因を解決するように行動していると話しても理解されない話

「ストレスの発散方法はありますか?」

面接などで聞かれる項目によくあるこの質問。
大学生になって「面接ではこういうことに答えるのか~」と思ったときに考えた回答はこうだった。

「ストレスはその原因を解決することが大事だと思うので、ストレスを発散するのではなく、ストレスになる原因を解決するように行動して、ストレス自体を溜めないようにしています。」

面接の練習をしたときに、「は?」って顔をされた。面接本番でも「・・・はい、では次の質問にいきます。」と、こいつ何言っているんだという「・・・」の目線を今でも覚えている。
確かに、質問の回答としては不適切かもしれない。方法があるか、と問われているのだから、適切には「あります!」か「ありません!」のどちらかだ。

でも、何度考えても、ストレスを発散をするのは意味がないと思ってしまい、ストレスの理由に向き合って頭で考えて解決するしかないでしょ?と思ってしまう。
もちろん、そんな簡単に解決できないよ、とか、解決できることがストレスだなんで生ぬるい環境で過ごしてんな、とか、思われると思うし、実際にいろんな人と比較をし始めたらきりがないのはわかっている。

でも、人生30年近く生きてきて、解決できることは上手に解決するのが人間のなせる技!理性と知性で戦うのがかっこいい!という精神を養ってきた私。

発散することでは、なにも解決されない・・・という事実を何度か経験してきたことで、その精神でしか生きられなくなった。
だから面倒がられるだろうな〜と思いつつ、「あの時はこういうことが言いたかったのに、うまく言えなかったから、もう一回伝えます。」とか「〜さんのさっきの意見、もう少し詳しく聞いていいですか。」とかそういうコミュニケーションをとりがち。

うまくいかないこととか、なんだか違和感のある人間関係とか、ありとあらゆることに関して、自分でうまく解決策を見つけたり、人と解決できるように動いたりするようにしている。というかそうしちゃいたくなる。

新年度。
また、面倒なやつだな〜と思われる役回りをガンガンとっていって、組織のコリやかたまりをほぐし続けて、「もう〜」と思いつつ思われつつ、違和感に向き合って小さいことから課題解決を前向きに行っていくことができたらいいなという今日。


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