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児山紀芳さんの声の思い出

かつてラジオ少年だったぼくは大人になってもラジオと共に暮らしているようなところがある(テレビには何の愛着もない、結婚してからはテレビが家にない暮らしをしている)。いまぼくの言っている"ラジオ"とは、主に、音楽を流すラジオのことだ。自分の手元にあるレコードやCDや音楽データやetc.だけを聴いているのでは、聴こうと思ったものしか聴けないので詰まらない。

しかし相変わらず日本のラジオには音楽をしっかり聴かせる番組が少ない。

先日、ピーター・バラカンさんの『ラジオのこちら側で』(岩波新書)を読んでいたら、BBC Radioにはじつに多くの音楽チャンネルがあるということが書かれていて、比較してNHKラジオのこの貧弱さは… と思ってしまうけれど(仕方ないね、貧弱なんだから)、そこでぼくに音楽を教えてくれる人たちも相変わらずたくさんいる。

最近は、なぜか週末のラジオを主に聴く。平日のラジオが全てダメだというわけではないのだが… 週末にラジオを録りためておいて、1週間かけてポツ、ポツ聴いて楽しんでいる。

土曜の夜のNHK FM「ジャズ・トゥナイト」は、昨年の秋から、体調を崩した児山紀芳さんの代わりに月替わりのミュージシャンが出演して番組をやっている。先週の放送を聴いて、児山紀芳さんが2/3にお亡くなりになっていたことを知った。半月の間、訃報に気づかなかった。

10代の頃、1990年代、NHK FMといえば、平日の夕方にやっている「ポップス・グラフティ」(月曜が萩原健太さんの"オールディズ"、水曜が大橋美加さんの"ジャズ・ヴォーカル"、金曜の関谷元子さんの"ワールド・ミュージック"、など曜日によってジャンルが違う、火曜と木曜は覚えてないなぁ)、金曜の夜の「ワールド・ロック・ナウ」(これは時間帯を変えていまでもやっている)、土曜の夜の「ジャズ・クラブ」を毎週のように聴いていて、児山さんは何人かいる「ジャズ・クラブ」の"案内人"のひとりだった。

「ジャズ・クラブ」は、他のどの番組よりも、硬派という感じ。でも敷居が高いという感じでもなかったかな。

1990年代には1990年代の、2000年代には2000年代の(そしておそらく2010年代には2010年代の)ラジオで喋る人の声、喋り方というのがあったと思う──つまり、みんな同じ声になってしまう──が、ぼくが音楽を教わった"先生"たちは、なぜか時代に影響されず、ずっと独自の語り口を保ち続けていた。

“アナウンサー”ではなかったから?

はたしてそれだけだろうか?

児山さんも、声を聴けば、わかる。静かな語り口で解説し、音楽をじっくりかける。音楽がメイン・ディッシュで、語りは添え物という感じだが、しかしその声はしっかり耳に残る。

その、音楽世界を案内する人の声は、仄かな明かりのようになって、ぼくのからだの奥のほうで、これからもずっと消えないだろう。

(つづく)

「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"は、1日めくって、2月15日。今日は、"番人"の話。さいごの一文、いいなぁ。※毎日だいたい朝に更新しています。

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