見出し画像

個人的な出版活動をめぐるアレコレと、"感情"の話

今朝は、昨日に引き続き、原稿のような企画書のような手紙の推敲(!)をして、午後から夜にかけては"支援"の仕事に出た。

ぼくは誰かの本の出版をお手伝いする仕事を本格的に募ってやってもいいかという考えがないといえば嘘になるが、どんな内容でもやるか?(つまり、"自費出版"を請け負う会社みたいになるか?)と自分に問うと、いや、ちょっと待てよ、と思ってしまう。

そもそも、いま、ぼくは「本」というものを、あまり一気呵成に、たくさんつくらなくていいと思っている。

もっと、もっと、ゆっくり、ゆっくりやる方がいい。出版という営みは。

いや、次から次へと、出して、ひろめてゆくことも必要ではないか、という気もする。それは、確かに。

しかし、ぼくが継続してかかわっている、"文芸"とか"芸術"、"福祉"とか、"教育"とかというジャンルにおいては、むしろ「待つ」ことの方が重要な意味をもつ。──と感じている。

そんなことを言っていると商売にならないわけだ(だから商売らしくしていない)。

それより、できるだけ、じっくり付き合い、ゆっくりとかたちになるものをすくい上げるような仕事をしていたい。と願っている。

一方で、ぼくは自分自身がエッセイ(ある種の"試み")や小説(文字通り"小さな説")を書き続けている人でもある。が、まず自分の本をアフリカキカク(自分の営んでいる個人的な出版レーベル)から出そう! という気分にはちょっとなれなくて、ま、そんなもんはいつでもつくれる、という気でいる。つくろうと思えば毎月つくれる。が、まずやりたいのはそういうことではないのである。

出版"者"でありつつ、編集者をやり、ちょっとしたデザインも手がけ、福祉や教育に携わる仕事をしながら、自らの執筆活動も継続しているという、この、なんというか、あっちへホイホイこっちへホイホイ状態が、また自分の精神状態を支えているという気もしている。

今回の『アフリカ』には、ぼく自身は、「活字の断食」という原稿を寄せている。昨年の「オトナのための文章教室」で書いていた原稿のひとつである(主宰している自分でも書いていたのだ)。

これから何を書こう? と自分に問う。

今日から参院選の、選挙運動が始まった。ぼくはどちらかと言うと、この世の中を「恨んでいる」方である。これまでのことを考えると、いつ死んでもおかしくなかったと思う。ぼくはたまたま、出合う人に恵まれていた、ものすごくラッキーなことはなくても、肝心なところで助けがあり、救いがあった。しかし、別のところで運を使いすぎてしまっていたら、もう生きていられなかったかもしれないと思うことはよくある。

ぼくには、自分の中に湧き上がる怒りを持て余して、人間関係を切らしてしまったこと(という表現はヘンだろうか)が何度もある。

その都度、ぼくは自分を助けたんだ、と思うことにしている。というのは、そういったことがあった後、ぼくは誰も恨んではいないからだ。

怒りのことを、これからぼくはちょっと時間をかけて、書いてみたいと思っている。

自分の抱えている怒りを、原稿にぶつけるとか、そういうことではなくて、"怒り"というものを、じっくり扱ってみたい。そういった本があることは知っているし、手元にも少しありますけど、それらも参考にしつつ、ちょっとその先まで行ってみたい。哲学の本でも心理学の本でもなく、それをエッセイ(ある種の"試み")としてやってみたい。

今度の『アフリカ』の、犬飼愛生メール・インタビューでも、"感情"の話をしている箇所がある。そのあたり、面白いので、ぜひ読んでみてください。

(つづく)

ようやく完成する『アフリカ』最新号について、とりあえず目次をアップしました。画像の表紙は作業中のもの(部分)。予約受付中です。

掲載しているいろんな文章やら何やらについて、近々ここで書くつもりです。

「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"、1日めくって、7月5日。今日は、洗って半分に切ってそのまますぐに食べられる…あの果物の話。

※"日めくりカレンダー"は、毎日だいたい朝に更新しています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?